第16話 親友ゲッツへ
文字数 2,904文字
「ベルリン科学アカデミーの初代会長に就任された由、まことにおめでとうございます」
夜半の蝋燭の下、私はキリキリと羊皮紙の上に羽根ペンを走らせている。
複雑だ。
今さらこんな手紙を送っても、ゲッツは喜んでくれるかどうか。若いころ親友だったとはいえ、私たちは長く音信不通だったのだ。
出世したから急に媚びてきた、などと先方に思われるのは不本意である。
かと言って、彼の大抜擢がこれほど話題になっているのに黙っているのもまた不自然というものであろう。
長期の無沙汰を詫びるぐらいは何でもなかった。ただ、ゲッツの攻撃的な性分もあって、若き日の私たちは一度喧嘩別れをしている。その後、手紙のやりとりは何度かあったが、はっきりと仲直りしたわけではないのだ。
攻撃的な性格の友人といえば、ロンドンで同時期に学んだアイザック・ニュートンがまず浮かぶ。
ロバート・ボイルの研究室で、一緒に空気ポンプの実験に立ち会ったときのことだ。気体の体積と圧力との関係が目の前で証明され、私は素直に驚き、感動もしたのだが、ニュートンは冷めた目で一部始終を見ていただけだ。私とは表面上の付き合いをしたが、同じ研究者としては相手にしてくれる気すらなさそうだった。この程度で驚く方が馬鹿だと言いたかったのかもしれない。
もちろん、その後ニュートンが自然科学において上げた数々の功績は万有引力の発見にとどまらないし、今では彼が王立協会会員の中心となって活躍していると聞いて、さもありなんと思う。実際に優秀な男だったということだ。
だが私の中で、今でも彼は「ちょっと苦手な友人」である。
そしてロンドンを離れ、パリに移ると、今度はゲッツと出会ったというわけだ。
ゲッツは上から下まで最新流行の服に身を包み、身振り手振りも大げさだった。地味で引っ込み思案な私とは対照的。彼はいつも先鋭的であろうとしていたし、常に他人を攻撃していないと自分が生き残れないと信じているふしがあった。
ゲッツが勝気だという理由で、私はついニュートンと重ね合わせてしまった。パリではこの男にいじめられるのか、などと思って、私は唇を噛んでうつむいた。
だがゲッツは同じザクセン人だった。しかも親分肌で親切な男だった。私は華やかなパリの雰囲気に付いていけず、借りた家に閉じこもりがりになっていたが、ゲッツはそんな私を強引に外へ連れ出し、パリのあちこちを案内してくれたのである。
「よく見ておけよ、レオン。これがパリだ」
人体模型や天球儀がずらり並ぶ回廊で、ゲッツはそこが自分の家であるかのように両手を広げて見せた。
「科学アカデミー の基金は実に一万二千リーブル。桁違いだよな」
私は黙って、彼の後をついて歩いた。
彼の言う通り、そこは桁違いの華やかさと重厚な空気に満ちているようだった。ちょうど財務総監ジャン=バティスト・コルベールが、主君ルイ十四世を学問の庇護者として喧伝し、その力を自らの重商主義政策に活かそうとしていた頃の話だ。あながち気のせいでもあるまい。
あの頃はまさにローマ教皇を頂点とする神の世紀が終焉を迎え、代わって科学の世紀が立ち上がろうとしていた。私たちの青春はその激震の中にあったのだと思う。ゲッツとは同時代の感動と興奮を、確かに分かち合っていたのだ。
「君は真面目だけど、あと一歩何かが足りないんだよな」
ゲッツはそんな風に私のことを評したが、私はその弁舌が嫌いではなかった。いつもなるほどと思わされた。他の人間だったら不快なことでも、ゲッツに言われたことは前向きに捉えることができた。
彼の大らかな人柄がそうさせたのだろう。私はこの友人から離れる気にはなれなかった。
そんなゲッツはある日、大胆な提案をしてきた。
「なあレオン。ホイヘンスの研究室を訪問してみようぜ」
気が進まなかった。私はまがりなりにも貴族の身分だから、ゲッツがチルンハウスの名を利用したがっているのを感じたのだ。そういう友達にちょっぴり嫌悪感さえ抱いた。
もちろんクリスティアーン・ホイヘンスといえば、当時のパリのアカデミーを代表する研究者だった。私とて、あこがれる気持ちは少なからずあったと告白する。会えるものなら会いたかった。
しかし二人とも知り合いでもなければ伝手もなかったのだ。無名の若者が訪れたところで、追い返されて当然である。
しかしゲッツという男は強引で、簡単には引き下がらなかった。
「きっと会ってくれるよ。君にとっては、大学の先輩なんだろう?」
確かに同じライデン大学だが、それだけの話である。嫌だと言った。なのに、ゲッツは無理やり私の手を引いて連れて行ってしまったのだ。
その後、思いがけないことが起こった。
ホイヘンスは私たちを大歓迎してくれたのである。優しげな顔立ちのホイヘンスは実年齢よりずっと若く見え、その人柄も実に気さくで親しみやすかった。私たちのそれぞれがどんな研究を目指しているのか、熱心に耳を傾けてくれるような人だったのである。
来て良かった、と思った。このときばかりは、私も強引なゲッツに感謝したものだ。
さらにその日、ホイヘンスは私たちを自宅近くの研究施設へ案内してくれた。
「君たち、土星の輪を見たことはあるかね?」
彼の自作だという望遠鏡を覗かせてもらった時の感動を、何と言ったら良いのだろう。
かつてガリレオ・ガリレイが土星の耳だと思った、星の両端にぼんやりと突き出たものは、今やレンズの中でくっきりと輪を描いていた。そしてオリオン大星雲の中には、四つの星トラペジウムが輝いていた。
私は心底感じ入った。これは未来ある若者に対する、ホイヘンスの激励に違いない。
その帰路、私もゲッツも胸がいっぱいで、なかなか言葉も出てこなかった。ホイヘンスに親切にしてもらったというだけで、何かが変わっていくように思えた。
今なら、どんなことでも可能であるような気がした。だからセーヌ川のほとりでゲッツと固く手を握り合い、私たちは約束したのだ。
いつか二人の故郷ザクセンにも、自分たちの手で科学アカデミーを創設しようと。
「だけど、青臭い夢だぜ、レオン?」
かつてないほど意気投合した瞬間だったというのに、ゲッツは手を離すと、照れくさそうに笑って自分の鷲鼻をこすったものだ。
「パリには太陽王がいるんだ。ああいう絶大なる学問の庇護者がいるからこそ、一流の学者が集まっている。ザクセンではそう簡単にはいかないぞ」
確かにそうだと思う。だが精進を重ねれば、いつかは道が開けるだろう。私はそう信じ、その場ではただ笑っていただけである。
だが、ゲッツの言葉の方が正しかったのかもしれない。ザクセンの現状はそれから三十年近くが経った今もひどいものだ。
神聖ローマ皇帝の権力は有名無実化し、今も配下の領邦同士が小競り合いを繰り返している。学者たちは学問の隆盛を目指すどころか、戦争と貧困という現実に疲れ切って今日一日を生き延びるのが精一杯だ。
アカデミー創設なんて、今もはるか遠い夢なのだ。だからこそゲッツもより現実的な選択肢として、自らの活動の地にベルリンを選んだのだと思う。
夜半の蝋燭の下、私はキリキリと羊皮紙の上に羽根ペンを走らせている。
複雑だ。
今さらこんな手紙を送っても、ゲッツは喜んでくれるかどうか。若いころ親友だったとはいえ、私たちは長く音信不通だったのだ。
出世したから急に媚びてきた、などと先方に思われるのは不本意である。
かと言って、彼の大抜擢がこれほど話題になっているのに黙っているのもまた不自然というものであろう。
長期の無沙汰を詫びるぐらいは何でもなかった。ただ、ゲッツの攻撃的な性分もあって、若き日の私たちは一度喧嘩別れをしている。その後、手紙のやりとりは何度かあったが、はっきりと仲直りしたわけではないのだ。
攻撃的な性格の友人といえば、ロンドンで同時期に学んだアイザック・ニュートンがまず浮かぶ。
ロバート・ボイルの研究室で、一緒に空気ポンプの実験に立ち会ったときのことだ。気体の体積と圧力との関係が目の前で証明され、私は素直に驚き、感動もしたのだが、ニュートンは冷めた目で一部始終を見ていただけだ。私とは表面上の付き合いをしたが、同じ研究者としては相手にしてくれる気すらなさそうだった。この程度で驚く方が馬鹿だと言いたかったのかもしれない。
もちろん、その後ニュートンが自然科学において上げた数々の功績は万有引力の発見にとどまらないし、今では彼が王立協会会員の中心となって活躍していると聞いて、さもありなんと思う。実際に優秀な男だったということだ。
だが私の中で、今でも彼は「ちょっと苦手な友人」である。
そしてロンドンを離れ、パリに移ると、今度はゲッツと出会ったというわけだ。
ゲッツは上から下まで最新流行の服に身を包み、身振り手振りも大げさだった。地味で引っ込み思案な私とは対照的。彼はいつも先鋭的であろうとしていたし、常に他人を攻撃していないと自分が生き残れないと信じているふしがあった。
ゲッツが勝気だという理由で、私はついニュートンと重ね合わせてしまった。パリではこの男にいじめられるのか、などと思って、私は唇を噛んでうつむいた。
だがゲッツは同じザクセン人だった。しかも親分肌で親切な男だった。私は華やかなパリの雰囲気に付いていけず、借りた家に閉じこもりがりになっていたが、ゲッツはそんな私を強引に外へ連れ出し、パリのあちこちを案内してくれたのである。
「よく見ておけよ、レオン。これがパリだ」
人体模型や天球儀がずらり並ぶ回廊で、ゲッツはそこが自分の家であるかのように両手を広げて見せた。
「
私は黙って、彼の後をついて歩いた。
彼の言う通り、そこは桁違いの華やかさと重厚な空気に満ちているようだった。ちょうど財務総監ジャン=バティスト・コルベールが、主君ルイ十四世を学問の庇護者として喧伝し、その力を自らの重商主義政策に活かそうとしていた頃の話だ。あながち気のせいでもあるまい。
あの頃はまさにローマ教皇を頂点とする神の世紀が終焉を迎え、代わって科学の世紀が立ち上がろうとしていた。私たちの青春はその激震の中にあったのだと思う。ゲッツとは同時代の感動と興奮を、確かに分かち合っていたのだ。
「君は真面目だけど、あと一歩何かが足りないんだよな」
ゲッツはそんな風に私のことを評したが、私はその弁舌が嫌いではなかった。いつもなるほどと思わされた。他の人間だったら不快なことでも、ゲッツに言われたことは前向きに捉えることができた。
彼の大らかな人柄がそうさせたのだろう。私はこの友人から離れる気にはなれなかった。
そんなゲッツはある日、大胆な提案をしてきた。
「なあレオン。ホイヘンスの研究室を訪問してみようぜ」
気が進まなかった。私はまがりなりにも貴族の身分だから、ゲッツがチルンハウスの名を利用したがっているのを感じたのだ。そういう友達にちょっぴり嫌悪感さえ抱いた。
もちろんクリスティアーン・ホイヘンスといえば、当時のパリのアカデミーを代表する研究者だった。私とて、あこがれる気持ちは少なからずあったと告白する。会えるものなら会いたかった。
しかし二人とも知り合いでもなければ伝手もなかったのだ。無名の若者が訪れたところで、追い返されて当然である。
しかしゲッツという男は強引で、簡単には引き下がらなかった。
「きっと会ってくれるよ。君にとっては、大学の先輩なんだろう?」
確かに同じライデン大学だが、それだけの話である。嫌だと言った。なのに、ゲッツは無理やり私の手を引いて連れて行ってしまったのだ。
その後、思いがけないことが起こった。
ホイヘンスは私たちを大歓迎してくれたのである。優しげな顔立ちのホイヘンスは実年齢よりずっと若く見え、その人柄も実に気さくで親しみやすかった。私たちのそれぞれがどんな研究を目指しているのか、熱心に耳を傾けてくれるような人だったのである。
来て良かった、と思った。このときばかりは、私も強引なゲッツに感謝したものだ。
さらにその日、ホイヘンスは私たちを自宅近くの研究施設へ案内してくれた。
「君たち、土星の輪を見たことはあるかね?」
彼の自作だという望遠鏡を覗かせてもらった時の感動を、何と言ったら良いのだろう。
かつてガリレオ・ガリレイが土星の耳だと思った、星の両端にぼんやりと突き出たものは、今やレンズの中でくっきりと輪を描いていた。そしてオリオン大星雲の中には、四つの星トラペジウムが輝いていた。
私は心底感じ入った。これは未来ある若者に対する、ホイヘンスの激励に違いない。
その帰路、私もゲッツも胸がいっぱいで、なかなか言葉も出てこなかった。ホイヘンスに親切にしてもらったというだけで、何かが変わっていくように思えた。
今なら、どんなことでも可能であるような気がした。だからセーヌ川のほとりでゲッツと固く手を握り合い、私たちは約束したのだ。
いつか二人の故郷ザクセンにも、自分たちの手で科学アカデミーを創設しようと。
「だけど、青臭い夢だぜ、レオン?」
かつてないほど意気投合した瞬間だったというのに、ゲッツは手を離すと、照れくさそうに笑って自分の鷲鼻をこすったものだ。
「パリには太陽王がいるんだ。ああいう絶大なる学問の庇護者がいるからこそ、一流の学者が集まっている。ザクセンではそう簡単にはいかないぞ」
確かにそうだと思う。だが精進を重ねれば、いつかは道が開けるだろう。私はそう信じ、その場ではただ笑っていただけである。
だが、ゲッツの言葉の方が正しかったのかもしれない。ザクセンの現状はそれから三十年近くが経った今もひどいものだ。
神聖ローマ皇帝の権力は有名無実化し、今も配下の領邦同士が小競り合いを繰り返している。学者たちは学問の隆盛を目指すどころか、戦争と貧困という現実に疲れ切って今日一日を生き延びるのが精一杯だ。
アカデミー創設なんて、今もはるか遠い夢なのだ。だからこそゲッツもより現実的な選択肢として、自らの活動の地にベルリンを選んだのだと思う。