第6話 命がけの救助

文字数 2,330文字

「チルンハウス伯爵。何か意見があるか」
 国王のひときわ大きな声が、人々の頭上に響く。

 はい、と答えて、私は静かに頭を垂れた。
「確かに、この男の言動には多くの問題があるように思われます。しかし物質の変性に関する知識は並大抵のものではなく、科学者として見所があるのも確かでございます。陛下が重用なさってこられたのも、この者の知識が将来のザクセンに栄光をもたらすとお考えになったためでございましょう」

 言いながら、服の下で玉の汗が流れていくのを感じる。またやってしまった、という悔恨の念でいっぱいだ。なぜ私は、ヨハンのためにここまでしてしまうのだろう?

 だが、アウグスト王の表情は魔法をかけたようにぱっと輝いた。
「うん、うん。そうじゃ。その通りじゃ。余も、この者の才能は、ただ事ではないと思うておった」
「ならば、ご一考頂きたく存じます」

 国王の発言を自然な形へと導かねばならない。緊張で視界がぐらつくほどだったが、私は大きく息を吸った。
「この男が陛下の庇護のもと、黄金作りを目指しているのと同じように、私もまた磁器の発明を目指し、様々な研究を続けて参りました。しかしもう、この歳でございます。そろそろ後継者を考えねばなりません」

 五十歳になったとはいえ、私はまだまだ気力、体力ともに充実している。研究はむしろこれからが本番である。
 しかしここは、ヨハンのために言い方を工夫すべきところだった。

「もし陛下のお許しがいただけるのなら、このベトガーを私めにお預け頂き、共同研究を試みとうございます。この者の知識が、私には是が非でも必要でございます」

 言い切った。果たして陛下はどうお答えになるか。

「うむ。なるほど、なるほど。確かにそれも良かろう」
 アウグスト王はたちまちいつもの元気を取り戻し、倒れたヨハンに語りかけた。
「ベトガーよ。死を賜る前に、伯爵の研究に協力する気はあるか」

 錬金術師はぶんぶんと音がしそうなほど激しく、首を縦に振った。

 ザクセン中に恐れられているこの国王は、もったいぶった所作で玉座より立ち上がった。
「聞いたか、皆の者! ベトガーはこれより、チルンハウス伯爵と磁器発明に向け、共同研究をすることと相なった。ついては二人の仕事に全員が協力するように」

 やはりさすが、である。上背があり、大柄で目の力も強いこの王が視線をついと投げかけただけで、ネーミッツを含めたすべての貴族が萎縮して何も言えなくなった。

 アウグスト王はマントの下の腕を、私の方へ大きく振り出してきた。
「伯爵よ、アルブレヒトの山城を研究所として貸し与える。ベトガーが今度こそ成果を出せるよう、全力で教え導くが良い」

 流れが変わらぬうちに、この場を打ち切りにしたかったのだろう。国王は言い終えると同時にマントを翻し、堂々と退出して行く。
 こうなると、誰にも止められるものではなかった。フュルステンベルク侯爵だけが、慌ててそのあとに付き従っていく。

 ネーミッツの一派はしばらく動かず、憎悪に燃えた視線を私に送ってきていたが、やがて同じように靴音を派手に鳴らして広間を後にして行った。

 それまで凍り付いたようになっていた人々も、流れるように大きく動き出す。まるで氷の張ったエルベ川が、春の陽射しの下でようやく寒さから解放されたかのようだった。

 一気にゆるんでいく大広間で、私は人々の流れに逆らうように兵士に囲まれたヨハンへと近づいて行った。
 彼はまだ床に突っ伏していて、生きているのか死んでいるのかも分からない。

 私は上着の裾を跳ね上げ、片膝をついた。
「……ヨハン、ヨハン。大丈夫か」
 そうささやいて彼の肩に手をかけようとした時、私ははっと息を飲んだ。

 ヨハンの破れた服のあちこちに、点々と赤黒い染みができている。
 出血の跡だろう。ヨハンの、日陰でひょろっと伸びた植物のような頼りない肉体に対し、おぞましくも容赦のない暴力が襲い掛かったのだ。

 今にもヨハンに命の危険が迫っているように思われた。彼の骨は、内臓は、果たして無事なのか。差し伸べた私の手が、今さらながら震えだした。
 
 だが心配は無用だったらしい。ヨハンは自力で起き上がれもしないくせに、兵士たちに支えられながら身を起こし、傷だらけの顔を歪めて笑ったのである。

「あ〜命拾いした。礼を言うぜ、伯爵よう」

 そこにはもう、ふてぶてしい若者の顔が戻ってきていた。もちろん私を安心させようと必死に言っているのだろうが、それだけの元気があるなら大丈夫かもしれない。

「……まったく、どこまで懲りない男なんだ、君は」
 ほっとすると同時に苦笑がにじみ出てきた。これ以上心配させるなと叱りつけたいところだが、それも次回に持ち越しだ。
「まずは養生しなさい。話はその後だ」

 再び連行されて行くヨハンを、私は笑いながら見送った。
 だがその直後、つかの間の安堵は煙のようにすっと消えていったのである。

 ネーミッツの、殺意さえ含んだあの視線。
 これで済むはずがなかった。
 彼の一派が何を仕掛けてくるかわからない。今頃さっそく仲間内で集まり、私たちの研究を頓挫させる計画を練っているかもしれないのだ。

 いや、むしろ私がドレスデンを離れるのは彼らにとって好都合だろう。ネーミッツは私の留守中、君側を自分たちの派閥で固めようとするに違いない。
 何しろ国王は領土的野心に燃えているため、ネーミッツはそれに応える主戦派の貴族をどんどん取り立てようとしているのだ。私がいなくなれば、彼らはぐんと動きやすくなる。

 フュルステンベルク侯爵は怒っているだろうが、ここで仲違いなどしている場合ではなかった。彼には平謝りし、アルブレヒト城へ行く前に十分な対策を講じておかねばなるまい。

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