第2話 懲りない男

文字数 1,858文字

 まったくその通りだった。
 ベトガーは奇人変人としか言いようのない男で、これまでにも国王陛下を怒らせる言動を繰り返してきた。そのたびに多くの人間が彼のために奔走したが、本人はまったく懲りる様子を見せないのだ。
 人々は驚き呆れ、やがてはもうかばいきれぬと、ベトガーを見放していったのである。

 にも関わらず、私は最後まで残ってしまった。愚かとしか言いようがないが、やはりベトガーのために何かせずにはいられなかったのだ。何度も密かに陛下に会い、格別のお許しを願い、彼に下されようとしている懲罰をやめさせてきた。
 仕方がなかったのだ。私が動かねばベトガーはすぐに処刑されていただろう。

 ベトガーに最後に会った時、この若者は私の足元にひれ伏して深く感謝の念を示した。しおらしく頭を垂れ、二度と陛下のお怒りを買うような真似をしないと固く誓ったのである。

 なのに彼はまた裏切ったのだから、どうしようもない。もはや手に負えないと、私もようやく自分を納得させたところだった。
 フュルステンベルク侯爵にも、これ以上迷惑はかけられなかった。私は目を閉じ、長い嘆息をもらして降参の意を示す。
「……分かった。もうあのような愚かな真似はしない。約束するよ」

「ま、それをうかがって、ひとまずは安心しましたけれども」
 フュルステンベルク侯爵の目は、まだ私を解放してくれてはいなかった。
「ですが伯爵、あなたがベトガーと親しくお付き合いされていたのは事実ですよね?」

「それは、同じ科学者だからだ」
 侯爵の射るような視線から逃れたくて、私は回廊の先を見やった。
「ベトガーのことをいろいろ言う輩もいるようだが、実際に彼は優秀だよ。研究熱心だし、物質の変性にも詳しいし……」
 多少は認めてくれてもいいじゃないか、という思いが私の中にはまだある。

「変性、変性って言いますけどね。もう錬金術師の奴らを信用するのはやめにしませんか」
 侯爵は鋭く私の話を遮り、今度は両肩をすくめて見せた。
「私はもう、ほとほと懲りましたよ。あんな風に出資ばかり要求されて、結局いつまでも黄金はできないじゃありませんか」

 古い友人はくぎを刺してきた。ああいう手合いを相手にしてはいけないと、これ以上はないほどもっともなことを言う。
 幾度となく繰り返されてきたこのやり取りが、今また空疎な声となって回廊に響いていく。
「……そういうわけですから、今日という今日は口出し無用に願います。あなたは特に危険だから言うんですよ。最後まで何も発言しないで下さい。よろしいですね?」

 最後までしつこく念を押すと、フュルステンベルク侯爵はあたふたと去って行った。
 少しの間も陛下を一人にしてはおけないのだろう。それだけ重用されている友人の後ろ姿は頼もしい限りだが、やや後ろめたい私は無言で見送るしかなかった。
 
 彼は有能な代官である。我々の主君、ザクセン選帝侯フリードリヒ・アウグスト一世は戦争で城を留守にしていることが多く、内政はほぼすべてにおいて侯爵がそのしたたかな意志と冷めた知性をもって代行している。この国は彼がいないと回らないのだ。

 私はああいう力強い味方を失ってはならないし、またこうまではっきりと言われてしまえば、ベトガーの助命を嘆願する余地はもうないというものだった。

 私は黙って目を閉じる。
 もう駄目だ。もう助けることはできない。
 神よ、許し給え。そして許せ、ヨハン。私は、できるだけのことをしたのだ。

 いつもより一層暗く見える宮殿内の回廊を、私はおぼつかない足取りで進んだ。

 田舎貴族の、しがない身分である。それでもこの宮廷から姿を消していった大勢の人々を思えば、恵まれている方だろう。この地位を守るために汲々として、ようやくここまで来た。つまらぬことで足をすくわれるわけにはいかないのだ。

 壮麗な造りの大広間には植物の彫刻が施された円柱が並び、その柱と柱の間、最も奥まった所に豪奢な金の玉座が設えられている。

 そこにアウグスト王が鎮座すると、居並ぶ人々の間に異様な緊張が満ちていった。
 静けさのあまり、咳払いもできない。王も貴族たちも全員が純白のカツラに付けボクロで着飾っているが、とにかく無表情だ。フュルステンベルク侯爵は側近として王の右脇に立ったが、私の方はもはや見ようともしなかった。

 一方、宮廷顧問官ミハエル・ネーミッツとその一派の男たちは、勝ち誇ったような表情でその反対側に付いている。今日、大騒ぎして貴族をかき集めたのはこの男である。

「来たぞ」
 と、誰かが小声で言った。

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み