第29話 ホイレーカ!

文字数 2,553文字

 私はむっとして黙り込んでいた。
 
 長年にわたってガラスの仕事をしてきた身としては、ガラスの可能性を否定されるのは嫌なものだった。あれは木炭などの植物原料から抽出した貴重な物質である。硬く、透明度も高くて、磁器の質感にこれほど近いものは見当たらないというものだ。
 どちらにしろ、このナクル石にガラスを加えてみる必要はあると思う。

 だが、と一方でまた思った。
 それでうまくいくなら、確かにとっくの昔に誰かが成功していただろう。それに、ほんのかすかな予感でしかないが、ヨハンが何かを言い当てているという気がしてならない。なぜそう思うのかうまく説明できないが、とにかくそうなのだ。
 とりあえずガラスから離れてみる、ということも必要なのではないか?
 
「じゃあ、新たな物質を探してみようか」
 私は背もたれから身を起こした。
「ナクル石の精製と、平行してやっていこう」

 ヨハンとともに、候補となるいくつかの物質を選び出した。
 うまく気孔を埋めてくれそうなものは何か。最初から粘土の中に混ぜることができ、加熱によりきれいに溶け、冷めたとき再びきれいに固まることが条件だ。
 
 小さな石たちを窯に入れ、焼き出してみる。
 やがて私たちの手と目は、一つの試料のところでぴたりと止まった。

 素晴らしい反応を示しているのは、ノルトハウゼン産の雪花石膏(アラバスター)だった。古くから彫刻などに使われてきただけあって、半透明の優美な色合いを見せている。

「……これだよ、きっと」
 ヨハンが顔を紅潮させて言った。
「ナクル石にアラバスターを加えた試料を作ってみよう」

 成果が出つつあるかもしれないと王宮へ報告すると、アウグスト王はさっそくぞろぞろと側近を引き連れ、稜堡(りょうほ)へ視察に訪れた。

 もちろんネーミッツもその中にいる。涼しい顔を装っているが、内心は憎悪に燃えていることだろう。実験室のあちこちを見回し、どこかに私の落ち度がありはしないかと猛禽のような目で探っている。
 
 私は深呼吸をして気を落ち着け、とにかくアウグスト王を隣の部屋へ案内した。大きな細長い桶に、白い液体がなみなみと入っている。
 側近たちの全員が入ってきたところで、私はそれを指し示した。

「粘土はこのように精製いたします。少なくとも三、四日はかかります」
 ほう、と感心の声が上がるその向こうでネーミッツが顔をしかめているが、ここで振り回されてはならない。私は淡々と説明を続ける。
「原料の石はコルディッツ産よりアウエ産の方が肌理(きめ)細かく、美しい素地になりそうなので、調達先を切り替えたところでございます」
 
 国王は久々に満足げな表情を見せたが、今度こそ、という思いは私の方が強いはずだ。
 
 アウエ産ナクル石から作った粘土とノルトハウゼン産アラバスターの混合試料は、その割合に応じて、7種類を用意した。
 
 一つは粘土のみ。残りの六つは、粘土とアラバスターの割合を4対1、5対1と作り、9対1までの合計7つである。
 それぞれ小さな棒状に成形する。
 それを7日間ひたすら乾燥させ、一回り小さくなるまで待った。

 各試料は、順番通りに保護容器に並べて入れる。
 朝から開始した準備に丸一日かかり、夕刻になってようやく、窯に火を入れた。

 焼成はひとまず5時間。温度は1300度である。
 何度も何度も、数えきれないほど繰り返してきたこの作業。しかし今回のもどかしさときたら、これまでの比ではなかった。

 私はじっと目を閉じ、つい期待し過ぎてしまう自分を強く戒めた。こういう時に失敗すると、その落胆はかなりの精神的負担となる。うまくいかないことを前提にものを考えておくべきだった。
 火が沈静化し、窯の温度が冷めるのを待つ間、私は椅子の上で半分眠っていた。
 ヨハンも黙ったまま、部屋の中を落ち着きなく歩いている。

 窯の扉を開けると、中ではまだ保護容器が真っ赤だった。
 はやる気持ちを抑え、ある程度冷めるまで待つ。そしていよいよ、ヨハンが(はさみ)で引き出した。
 
 二人で保護容器の蓋を開けたのは、深夜になってからである。

 粘土のみの試料は白いまま粉々になっていた。
 4対1と、5対1の試料も崩れている。6対1の試料はどうにか形状を保っているが、変色していた。
 
 だが、残りの三つは無傷に見えた。
 確認は恐怖とのせめぎ合いだ。私はさんざんためらい、手を震わせながら、その中の一つに指先を触れた。
 
 崩れない。

 いや、思い切って持ち上げてみても、何ともなかった。
 完璧な硬さである。裏返してみても、変色の跡は見当たらなかった。ヨハンも別の試料を持ち上げ、無言でその白さに見入っている。

「……間違いねえ。アルブム、エト、ペルーキダートゥム、だ」

 ヨハンはそうつぶやくと、次第に興奮の色を顔に昇らせ、ついに拳を握って叫び出した。
「ホイレーカ! ホイレーカ! おれたち、ついに見つけたぞ!」

 かのアルキメデスによる、発見の際の歓喜の言葉。黒髪の錬金術師は今それを絶叫し、そこら中を飛び跳ねている。
 ヨハンの大声と足音は遠い世界の出来事のように感じられたが、やがて私の方も静かな感動に包まれていった。興奮は波のように広がり、全身を覆っていく。

 小さな出来事である。無釉の、素朴な白い棒が出来上がったに過ぎない。
 だが今この瞬間、純白の硬質磁器が、おそらくヨーロッパで初めて誕生したのだ。私たちはついに秘法、すなわち神の真理に達したのだ。
 
 ヨハンは晴れ晴れとした顔を上げ、からかうように私の背中を叩いてきた。
「ほら伯爵、もっと喜べよ! おれたちついに、白磁を焼いたんだぜ! 伯爵の長年の研究が、やっと報われたんだぜ!」

 しかしなぜか、私は言葉を返せなかった。

 全身に鳥肌が立っている。悪魔の手で背をなでられたような、冷たい戦慄が私を襲う。
 目の前にある、出来上がったばかりの小さな棒。ようやくイマリに追いついたその証拠がここにあるというのに、私が見ているのはそれではなかった。

 深い記憶の(ひだ)の奥から、何かがよみがえろうとしている。牛乳のように美しい白色が、封印した何かを解き放ってしまったようだった。

 耳に届きつつあるのは、かすかな怒号。
 見てはいけない、聞いてはいけない。
 しかしそのおぞましい何かは、確実に私の足元へと忍び寄ってくる。


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