第30話 魔女狩り
文字数 2,357文字
「……牛乳魔女! 牛乳魔女め!」
忌まわしい怒号は最初は小さく、しかし次第に波のように折り重なり、大きく明瞭になっていく。同時に、古びた小さな村の光景が脳裏によみがえっていく。
おののく私を逃がさぬように、悪魔は容赦なくこの身を捕らえたのだ。
魔女の火刑は、村の広場で行われていた。衣服が先に燃え始め、裂け目から白い肌がちらちらと覗いている。
焼かれる女は壮絶な苦悶の表情を見せているのに、群衆は血走った目をし、より激しい断罪を求めている。喜びと怒りの両方を叫んでいる。
狂気が狂気を呼ぶ嵐というより他はなく、広場は異様な熱に浮かされていた。
「汝はサバトの饗宴に出向き、悪魔と闇の契約を交わした」
村の牧師は聖書を手にし、厳かに述べた。
「そして村中の牛から乳がまったく出ないか、あるいは少ししか出ないように仕向けた。相違ないか?」
それが私の母アンネローゼにかけられた嫌疑だった。母は身動きできないほど狭く細長い檻に閉じ込められ、激しい投石により額から血を流している。
「母さん、母さん。違うって言ってよ!」
私は群衆の中で、泣きながら絶叫していた。母は聞こえていないのか無反応で、何も答えてくれない。すでに私の手の届かない、遠い所に行ってしまったかのようだった。
病と飢餓に苦しむ村は、集団で狂気の波に呑まれていた。大人に手を引かれた子供たちも、親にならって悪魔除けの呪文をつぶやき、この裁判を見守っている。
牧師の顔もまた、猛火であぶられたように真っ赤になっていた。あの男が母に関係を迫ったことがあるのを、当時の私は知っていた。有罪は最初から決まっていたのだ。
なすすべもなく、母は檻から出されて粗末な木の十字架にくくりつけられていく。
私はそれでも、すぐにあきらめはしなかった。
必死に周囲を見回した時、私は気づいた。自宅に閉じこもり、息をひそめてこちらを窺っている村人がいる。私はすぐさまその家に駆け寄り、力の限り扉を叩いた。
「助けて! おじさん、助けて!」
村の人間なら、みんな顔を知っている。誰もが善良で敬虔なキリスト教徒のはずだった。きっと一人ぐらいは誰か冷静な人がいて、私たち親子を救い出してくれるだろうと、私ははかない望みを抱いていたのだ。
「おじさん、おばさん、出て来てよ!」
声が枯れるまで叫んだ。手に血がにじんでもやめなかった。
だが応答は一切なかった。
それが現実。それが世の中というものだった。
彼らは一つの決意をもって私たちを見捨てたのだろう。出ていけば自分が次の標的になると知っていたからだ。魔女が火あぶりになるその時まで、彼らは動いてはならなかった。
子供の声が聞こえたはずだ。誰かが立ち上がるような場面もあったかもしれない。
だがきっと別の家族がそれを引き留め、黙って首を振って見せたのだろう。
沈黙を守り、知らぬふりをする。自分の身を守るためならば、他の誰かが犠牲になっても仕方がない。
そういうものの考え方を、私は身をもって教えられたのだった。
今、実験室に立ち尽くす私の脳裏に、次々と古い光景が像を結んでいく。
崩れた家。積み上げられた干し草。家に一頭しかいない、やせた雌牛。少ない材料でチーズを作る母の後ろ姿。
そのチーズの売り上げが、私たち親子の生活を支える唯一の収入だった。
ああそうだった。私と母はいつも空腹で、薄汚れて、惨めだった。常に黙ってうつむいて、目立たぬように、誤解を招かぬように振舞わねばならなかった。私たちは何かあればたちまち見捨てられる側にいる。それを忘れてはならぬと何度も母から言い聞かされたものだ。
そこまで慎重に生きていたのに、なぜだろう。狂気の濁流は、私たちがあれほど努力して築いた堤を軽々と乗り越えてやってきたのだ。
あの頃、身の毛もよだつ迫害は、神聖ローマ帝国全土で猖獗を極めていた。男や老人、子供でさえも標的になっていた。差別とは常に弱者に向かうものだった。死や汚いものを想起させるという、そんな小さな理由で、つぶされる人々がいる。
今なら、私は母が殺された理由を想像できる。
要するに自分を正当化したいという衝動だ。
貧しい者への喜捨はキリスト教徒の務めだが、しかしその喜捨を拒否するとき、人々は少なからず良心のとがめを感じる。やがてそれは最後の審判の際に自分が断罪されるのではという恐怖にすり替わっていく。
ついには、貧しい隣人が復讐のために魔術を使っているという妄想に囚われてしまうのだ。
たぶん、私を飢えさせてはならないと思った母は、施しに頼ろうとしたのだと思う。村人たちはそんな母を重荷に感じ、あの女は魔女だと糾弾した。それが事の次第だ。
あのとき、私は身も世もなく泣いていた。
亡骸が下ろされたとき、私は母に取りすがって声を上げた。
なぜ私も一緒に焼き殺してくれないんだと言いたかった。一人残されたところで、この先を生きていく術はないのに。
当時、家族から一人でも魔女の被疑者が出ると、その同居人も魔術に手を染めているだろうと言われることは珍しくなかった。私もそれを知っていて、だったら自分も早く殺して欲しいと思っていたのだ。派手に泣きわめいていれば、誰かがうるさがって決着をつけてくれるだろうとも思っていた。
にも関わらず、なぜ村人は私をチルンハウス伯爵の元へ連れて行ったのだろう?
狂気の嵐がひとたび過ぎ去ってしまえば、もうどうでも良くなったのだろうか。あるいは子供にまで危害を加える必要はないと思ったのだろうか。
いずれにしろ、人々は私を視界から消し去りたいと思ったのではないだろうか。あるいは自分たちが重ねるように犯した迫害を認識していて、だからこそ早く、その過ちをなかったことにしてしまいたかったのかもしれない。
忌まわしい怒号は最初は小さく、しかし次第に波のように折り重なり、大きく明瞭になっていく。同時に、古びた小さな村の光景が脳裏によみがえっていく。
おののく私を逃がさぬように、悪魔は容赦なくこの身を捕らえたのだ。
魔女の火刑は、村の広場で行われていた。衣服が先に燃え始め、裂け目から白い肌がちらちらと覗いている。
焼かれる女は壮絶な苦悶の表情を見せているのに、群衆は血走った目をし、より激しい断罪を求めている。喜びと怒りの両方を叫んでいる。
狂気が狂気を呼ぶ嵐というより他はなく、広場は異様な熱に浮かされていた。
「汝はサバトの饗宴に出向き、悪魔と闇の契約を交わした」
村の牧師は聖書を手にし、厳かに述べた。
「そして村中の牛から乳がまったく出ないか、あるいは少ししか出ないように仕向けた。相違ないか?」
それが私の母アンネローゼにかけられた嫌疑だった。母は身動きできないほど狭く細長い檻に閉じ込められ、激しい投石により額から血を流している。
「母さん、母さん。違うって言ってよ!」
私は群衆の中で、泣きながら絶叫していた。母は聞こえていないのか無反応で、何も答えてくれない。すでに私の手の届かない、遠い所に行ってしまったかのようだった。
病と飢餓に苦しむ村は、集団で狂気の波に呑まれていた。大人に手を引かれた子供たちも、親にならって悪魔除けの呪文をつぶやき、この裁判を見守っている。
牧師の顔もまた、猛火であぶられたように真っ赤になっていた。あの男が母に関係を迫ったことがあるのを、当時の私は知っていた。有罪は最初から決まっていたのだ。
なすすべもなく、母は檻から出されて粗末な木の十字架にくくりつけられていく。
私はそれでも、すぐにあきらめはしなかった。
必死に周囲を見回した時、私は気づいた。自宅に閉じこもり、息をひそめてこちらを窺っている村人がいる。私はすぐさまその家に駆け寄り、力の限り扉を叩いた。
「助けて! おじさん、助けて!」
村の人間なら、みんな顔を知っている。誰もが善良で敬虔なキリスト教徒のはずだった。きっと一人ぐらいは誰か冷静な人がいて、私たち親子を救い出してくれるだろうと、私ははかない望みを抱いていたのだ。
「おじさん、おばさん、出て来てよ!」
声が枯れるまで叫んだ。手に血がにじんでもやめなかった。
だが応答は一切なかった。
それが現実。それが世の中というものだった。
彼らは一つの決意をもって私たちを見捨てたのだろう。出ていけば自分が次の標的になると知っていたからだ。魔女が火あぶりになるその時まで、彼らは動いてはならなかった。
子供の声が聞こえたはずだ。誰かが立ち上がるような場面もあったかもしれない。
だがきっと別の家族がそれを引き留め、黙って首を振って見せたのだろう。
沈黙を守り、知らぬふりをする。自分の身を守るためならば、他の誰かが犠牲になっても仕方がない。
そういうものの考え方を、私は身をもって教えられたのだった。
今、実験室に立ち尽くす私の脳裏に、次々と古い光景が像を結んでいく。
崩れた家。積み上げられた干し草。家に一頭しかいない、やせた雌牛。少ない材料でチーズを作る母の後ろ姿。
そのチーズの売り上げが、私たち親子の生活を支える唯一の収入だった。
ああそうだった。私と母はいつも空腹で、薄汚れて、惨めだった。常に黙ってうつむいて、目立たぬように、誤解を招かぬように振舞わねばならなかった。私たちは何かあればたちまち見捨てられる側にいる。それを忘れてはならぬと何度も母から言い聞かされたものだ。
そこまで慎重に生きていたのに、なぜだろう。狂気の濁流は、私たちがあれほど努力して築いた堤を軽々と乗り越えてやってきたのだ。
あの頃、身の毛もよだつ迫害は、神聖ローマ帝国全土で猖獗を極めていた。男や老人、子供でさえも標的になっていた。差別とは常に弱者に向かうものだった。死や汚いものを想起させるという、そんな小さな理由で、つぶされる人々がいる。
今なら、私は母が殺された理由を想像できる。
要するに自分を正当化したいという衝動だ。
貧しい者への喜捨はキリスト教徒の務めだが、しかしその喜捨を拒否するとき、人々は少なからず良心のとがめを感じる。やがてそれは最後の審判の際に自分が断罪されるのではという恐怖にすり替わっていく。
ついには、貧しい隣人が復讐のために魔術を使っているという妄想に囚われてしまうのだ。
たぶん、私を飢えさせてはならないと思った母は、施しに頼ろうとしたのだと思う。村人たちはそんな母を重荷に感じ、あの女は魔女だと糾弾した。それが事の次第だ。
あのとき、私は身も世もなく泣いていた。
亡骸が下ろされたとき、私は母に取りすがって声を上げた。
なぜ私も一緒に焼き殺してくれないんだと言いたかった。一人残されたところで、この先を生きていく術はないのに。
当時、家族から一人でも魔女の被疑者が出ると、その同居人も魔術に手を染めているだろうと言われることは珍しくなかった。私もそれを知っていて、だったら自分も早く殺して欲しいと思っていたのだ。派手に泣きわめいていれば、誰かがうるさがって決着をつけてくれるだろうとも思っていた。
にも関わらず、なぜ村人は私をチルンハウス伯爵の元へ連れて行ったのだろう?
狂気の嵐がひとたび過ぎ去ってしまえば、もうどうでも良くなったのだろうか。あるいは子供にまで危害を加える必要はないと思ったのだろうか。
いずれにしろ、人々は私を視界から消し去りたいと思ったのではないだろうか。あるいは自分たちが重ねるように犯した迫害を認識していて、だからこそ早く、その過ちをなかったことにしてしまいたかったのかもしれない。