第20話 赤い磁器
文字数 2,455文字
「金属の変性を導くには、もっと温度を上げなくてはならないような気がするんだ」
ヨハンは、やはり錬金術こそが自分の専門分野だと思っているのだろう。実験の進め方に関して、彼の提案はなかなか具体的だった。
「なにせ、変性ってやつはそう簡単に起こらない。条件を変えてもう一度やってみるなら、まずは温度だな」
今、錬金術の手法から怪しげな物を一切排除して、科学的な方法に転換しようと二人で話し合っているところである。例の虚偽を隠蔽するためにも、私たちは何が何でも黄金を生み出さねばならなくなってしまったのだ。簡単にあきらめるわけにはいかなかった。
「ううむ」
私は腕組みをし、背もたれに寄り掛かって、頭上で交差する大きな梁を見上げた。
「素材より温度が問題であると?」
例のニセ「賢者の石」の一件がある。私はどうしても素材の方に懐疑的にならざるを得なかった。
「だってよお、伯爵。金属が溶けるまで温度を上げるのは、かなり難しいんだぜ」
ヨハンは前のめりになり、熱っぽく語っている。
「硫黄の融点は四百度以上だろ? だから完全には溶けていない状態で実験せざるを得ない。つまり、それで失敗するのかもしれない。水銀は常温でも凝固しないから、何とか混ぜているけどさ」
「四百度、か」
顎に手を当て視線を巡らせ、私はふと思いついた。
「だったらヨハン、磁器の焼成用の窯を利用したらいい。圧がかかるから、部屋の中で直火にかけるより高温になる」
「でもそれじゃ、るつぼが溶けちまうぜ。入れ物の方が耐えられねえよ」
ヨハンは乗り気でないような言い方をしたが、私はそこで息を呑んだ。
「それこそ土の出番じゃないのか? 耐熱容器を工夫してみよう」
何しろ窯そのものだって赤褐色のツィーゲル(レンガ)を積み上げて作っているのだ。ツィーゲルは鉄分の入った赤い粘土を焼き締めた物だから、それで錬金術の容器を作ればいい。
ちなみに、あれからドレスデンとマイセンを往復する中で、私はちょっぴりアウグスト王を動かすことに成功している。
ゲッツの助言を行動に移したのが良かったのかもしれない。
ヨーロッパ磁器が誕生すれば経済的にも有利になると主張の矛先を変えたところ、国王はただちにアルブレヒト城内に二十四基の窯を作ることを許可してくれ、さらにザクセン国内のすべての採石場から土や鉱物を取り寄せてくれた。
まったくゲッツには感謝するより他ない。
築窯に当たっては、オランダのデルフトのものを参考にした。私はこれまでヨーロッパ中の焼物産地を見てきたが、窯積みの手法も、作品を炎から守る匣鉢 の形状も、デルフトの技術が際立って優れていると思うのだ。
だが作品見本については、やはり東洋磁器に勝るものはなかった。
城内の自室へヨハンを招き入れると、私は赤褐色をした、素焼きの急須 を取り出した。
「見てくれ、ヨハン」
私は赤い土の作品を目の前に掲げた。
「これはチナのギコーという所で焼かれた物だが、我が国の建築用ツィーゲルよりも、はるかに肌理 が細かいだろう? 水は一滴も通さない。熱湯に耐えるどころか、直接火にかけても割れないよ」
宜興窯 作品には白磁のようなガラス質の光沢はない。しかしこれはこれで美しく堅牢な焼物だった。
ヨハンは初めて見たのか、びっくりしたようにその赤い磁器を受け取り、やがて側面に規則的に並んだ彫刻に指先で触れた。
角ばった、神秘的な東洋の文字である。
「これ、文字だよな? 何て書いてあるんだろう」
指の関節でコンコンと軽く叩き、ヨハンはその硬さにも驚愕の声を上げた。
「確かにこれなら、硫黄を溶かすのに使えるかもしれない」
私は大きくうなずいた。
「その通りだ。私はヨーロッパでもこの赤い磁器の方なら何とかなると考えている」
「わかったよ、伯爵。まずはこれを作ろうぜ!」
ヨハンの表情が晴れ晴れとしていた。黄金作りへの一歩となる可能性を感じたのだろう。
しかしその後も、ヨハンは錬金術のためにしか動こうとしなかった。私が少しでも磁器の方へ話をこじつけようとすると、たちまち不機嫌になってしまうのだから困ったものである。
待ってはいられなかった。私は私で、磁器の研究を進めたくてうずうずしているのだ。
幸い、王命によりこの城からの外出が許されないヨハンと違って、私はドレスデンと行き来できる身である。
だから白磁に関しては帰宅時に一人で研究を続けた。
「何だよ、伯爵の嘘つき。錬金術を先にやるって言ったじゃん」
ヨハンは口を尖らせて頻繁に外出する私への不信を口にするが、私はまだ淡い期待を抱いている。磁器の方で少しでも成果を出せば、ヨハンもきっと協力的になってくれると思うのだ。
自宅の窯からようやくそれらしき物が出てきた時、私は一人狂喜した。
これを見ればヨハンも磁器に興味を持ち、その頑なな心も動くに違いない。私ははやる気持ちを抑え、さっそく出来上がった「白磁」の玉をアルブレヒト城へと持ってきたのだが、
「これは、磁器じゃねえよ。伯爵」
苦心の末の成果を、ヨハンはあっさり突き返してきた。
「不透明のガラスじゃねえか。確かに白っぽくて硬いけど、やっぱり磁器とは違うぜ」
これには私もむっとした。苦労の末にようやく出した成果を、少しも認めてくれないとはひどいではないか。
要するに、ヨハンは金より白磁の誕生が先になるのが嫌なのだ。そんなつまらぬ男を命がけで救い出してしまったのかと、自分が情けなくなってくる。
私の苛立ちを感じ取ったのか、珍しくヨハンの方が慰めてきた。
「まあまあ、伯爵ってば、そんなにがっかりするなよ」
ヨハンは自分が優位に立てて、うれしくて仕方がないようだった。
「でもさ、ここで嘘を言ったってしょうがないじゃん。比べてみようか?」
そう言ってヨハンはつかつかと壁の方へ歩み寄ると、玉をすっとイマリの前に差し出した。
「ほ〜ら、ぜんぜん違う。あっちは正真正銘、本物の磁器だ」
「……」
私に反論の余地はなかった。その通り、本物との差は歴然としている。
ヨハンは、やはり錬金術こそが自分の専門分野だと思っているのだろう。実験の進め方に関して、彼の提案はなかなか具体的だった。
「なにせ、変性ってやつはそう簡単に起こらない。条件を変えてもう一度やってみるなら、まずは温度だな」
今、錬金術の手法から怪しげな物を一切排除して、科学的な方法に転換しようと二人で話し合っているところである。例の虚偽を隠蔽するためにも、私たちは何が何でも黄金を生み出さねばならなくなってしまったのだ。簡単にあきらめるわけにはいかなかった。
「ううむ」
私は腕組みをし、背もたれに寄り掛かって、頭上で交差する大きな梁を見上げた。
「素材より温度が問題であると?」
例のニセ「賢者の石」の一件がある。私はどうしても素材の方に懐疑的にならざるを得なかった。
「だってよお、伯爵。金属が溶けるまで温度を上げるのは、かなり難しいんだぜ」
ヨハンは前のめりになり、熱っぽく語っている。
「硫黄の融点は四百度以上だろ? だから完全には溶けていない状態で実験せざるを得ない。つまり、それで失敗するのかもしれない。水銀は常温でも凝固しないから、何とか混ぜているけどさ」
「四百度、か」
顎に手を当て視線を巡らせ、私はふと思いついた。
「だったらヨハン、磁器の焼成用の窯を利用したらいい。圧がかかるから、部屋の中で直火にかけるより高温になる」
「でもそれじゃ、るつぼが溶けちまうぜ。入れ物の方が耐えられねえよ」
ヨハンは乗り気でないような言い方をしたが、私はそこで息を呑んだ。
「それこそ土の出番じゃないのか? 耐熱容器を工夫してみよう」
何しろ窯そのものだって赤褐色のツィーゲル(レンガ)を積み上げて作っているのだ。ツィーゲルは鉄分の入った赤い粘土を焼き締めた物だから、それで錬金術の容器を作ればいい。
ちなみに、あれからドレスデンとマイセンを往復する中で、私はちょっぴりアウグスト王を動かすことに成功している。
ゲッツの助言を行動に移したのが良かったのかもしれない。
ヨーロッパ磁器が誕生すれば経済的にも有利になると主張の矛先を変えたところ、国王はただちにアルブレヒト城内に二十四基の窯を作ることを許可してくれ、さらにザクセン国内のすべての採石場から土や鉱物を取り寄せてくれた。
まったくゲッツには感謝するより他ない。
築窯に当たっては、オランダのデルフトのものを参考にした。私はこれまでヨーロッパ中の焼物産地を見てきたが、窯積みの手法も、作品を炎から守る
だが作品見本については、やはり東洋磁器に勝るものはなかった。
城内の自室へヨハンを招き入れると、私は赤褐色をした、素焼きの
「見てくれ、ヨハン」
私は赤い土の作品を目の前に掲げた。
「これはチナのギコーという所で焼かれた物だが、我が国の建築用ツィーゲルよりも、はるかに
ヨハンは初めて見たのか、びっくりしたようにその赤い磁器を受け取り、やがて側面に規則的に並んだ彫刻に指先で触れた。
角ばった、神秘的な東洋の文字である。
「これ、文字だよな? 何て書いてあるんだろう」
指の関節でコンコンと軽く叩き、ヨハンはその硬さにも驚愕の声を上げた。
「確かにこれなら、硫黄を溶かすのに使えるかもしれない」
私は大きくうなずいた。
「その通りだ。私はヨーロッパでもこの赤い磁器の方なら何とかなると考えている」
「わかったよ、伯爵。まずはこれを作ろうぜ!」
ヨハンの表情が晴れ晴れとしていた。黄金作りへの一歩となる可能性を感じたのだろう。
しかしその後も、ヨハンは錬金術のためにしか動こうとしなかった。私が少しでも磁器の方へ話をこじつけようとすると、たちまち不機嫌になってしまうのだから困ったものである。
待ってはいられなかった。私は私で、磁器の研究を進めたくてうずうずしているのだ。
幸い、王命によりこの城からの外出が許されないヨハンと違って、私はドレスデンと行き来できる身である。
だから白磁に関しては帰宅時に一人で研究を続けた。
「何だよ、伯爵の嘘つき。錬金術を先にやるって言ったじゃん」
ヨハンは口を尖らせて頻繁に外出する私への不信を口にするが、私はまだ淡い期待を抱いている。磁器の方で少しでも成果を出せば、ヨハンもきっと協力的になってくれると思うのだ。
自宅の窯からようやくそれらしき物が出てきた時、私は一人狂喜した。
これを見ればヨハンも磁器に興味を持ち、その頑なな心も動くに違いない。私ははやる気持ちを抑え、さっそく出来上がった「白磁」の玉をアルブレヒト城へと持ってきたのだが、
「これは、磁器じゃねえよ。伯爵」
苦心の末の成果を、ヨハンはあっさり突き返してきた。
「不透明のガラスじゃねえか。確かに白っぽくて硬いけど、やっぱり磁器とは違うぜ」
これには私もむっとした。苦労の末にようやく出した成果を、少しも認めてくれないとはひどいではないか。
要するに、ヨハンは金より白磁の誕生が先になるのが嫌なのだ。そんなつまらぬ男を命がけで救い出してしまったのかと、自分が情けなくなってくる。
私の苛立ちを感じ取ったのか、珍しくヨハンの方が慰めてきた。
「まあまあ、伯爵ってば、そんなにがっかりするなよ」
ヨハンは自分が優位に立てて、うれしくて仕方がないようだった。
「でもさ、ここで嘘を言ったってしょうがないじゃん。比べてみようか?」
そう言ってヨハンはつかつかと壁の方へ歩み寄ると、玉をすっとイマリの前に差し出した。
「ほ〜ら、ぜんぜん違う。あっちは正真正銘、本物の磁器だ」
「……」
私に反論の余地はなかった。その通り、本物との差は歴然としている。