第28話 石がもたらす魔法
文字数 2,129文字
ある日の実験の後、試作品を横からにらんでいたヨハンが言い出した。
「……たぶん、土じゃねえ。石でやってみよう」
こちらは疲れ切っていて、何も言い返す気になれなかった。
無言のまま窯の火を落とし、前掛けを外すのみ。ヨハンは若いだけにまだものを考える余裕があるらしいが、私は違うのだ。
近くにあった椅子にどさりと腰を下ろし、盛大なため息とともに私は額に手を当てた。
「……また一からやり直す気か? 今度は何を使うんだ」
「ナクル石」
ヨハンは即答し、凝り固まった肩をほぐすようにぶんぶんと回している。
「ナクル石はまだ試してねえよな?」
言いながら、ヨハンは少しもじっとしていられないように実験室を飛び出して行った。まったく一日中働いて、よく疲れないものだ。
私の方はその場でぐったりとし、薄暗い天井を見上げていた。ナクル石は灰色をした粒子の荒い岩石で、あの美しいイマリとは似ても似つかない。どういうつもりなのかと言いたいぐらいだった。
ヨハンはこのところ毎日私の居室に勝手に出入りし、資料を漁っているが、今夜も同様。私が部屋に置いていた本の一冊を手にし、何の悪びれた様子もなく戻ってきた。
「これこれ! この本だよ」
ヨハンは机の上に本を置くと、激しく頁をめくり出した。
「確かこの辺りだったと思うんだけど……ああ、ちょっとここ、見てくれよ」
該当箇所を見つけると、彼は指差しながら読み上げる。
「……白亜の土を打ち砕いて水に浸すと、上にクリームまたは油が浮く。底の方には粒子の荒いものがたまる。そのクリームないし浮遊物から最高の磁器が作られる」
その本は、昔スペインで出版された中国の研究書『チナ大王国誌』のドイツ語版だった。著者はフアン・ゴンサーレス・デ・メンドーサといい、教皇グレゴリウス13世の下で活躍したアウグスチノ修道会の司教である。
そして白亜とは白色の石灰岩を指すが、これは太古の生物の化石が堆積したものである。
私は少々、ヨハンに失望した。結局はその程度しか思いつかないのか。
ぐるりと首を回し、私は答える。
「……石灰岩。つまり石灰だな? 何度も粘土に混ぜたじゃないか。実験済みだ」
まさか忘れてしまったとでもいうのか。
いや、このヨハンならそれもありうる。そう思ったら、短いため息しか出てこなかった。
「それにメンドーサは確か、自らチナにまで足を伸ばしてはいない。その記述は単なる伝聞であろう」
だがヨハンはいつも確たる証拠より、ひらめきや直感を重視するのである。私が落胆した顔を見せようが何だろうが、一顧だにしなかった。
「この本には、精製のやり方がちゃんと書いてある。そこが他と違うんだ。メンドーサはただ、白っぽい物質だと言いたかったんじゃないのかな。だったら石灰とは限らねえ。他の材料を試してみるべきだ」
翌朝早く、ヨハンは張り切って一つの麻袋を担いで現れた。
「よいしょっと。コルディッツの採石場で取れたやつだ」
どさりと床に落とされる。私も近づいて行って、袋の口を開けてみた。中身は確かに灰色と白の入り混じったナクル石だった。
ごく平凡な石だが、風化した長石を多く含んでいる。これを粉砕して粘土に混ぜると耐火性の優れた物ができるということは経験上分かっていて、だからこそ私たちも一定量を取り寄せていたのである。
だが、それは焼成の際の保護容器を焼こうとしたためだ。磁器本体ではない。
私はこぶし大ほどのナクル石を二つ取り上げた。
元々がもろく柔らかい石だが、取り上げたその石には亀裂も入っていた。試しに打ち付けてみると、案の定、手の中でぽろっと簡単に崩れてしまう。
やれやれと、私はため息を漏らした。手のひらに残った粉末ともども麻袋の中に戻し、パンパンと両手を払う。
「これだけでは成形もできない。粘土はどうする?」
「だから伯爵、土じゃねえ。石だけで焼いてみよう」
「何だって?」
私が反論しようと息を吸いかけたところで、ヨハンはさっと手で制してきた。
「まずは本の通りに精製してみる。おれがやるから、伯爵はそこで見ててくれ」
奇跡が起こったのは、三日後のことだった。
粉砕して水に浸したコルディッツ産ナクル石は、まだ粒子を残していたものの、ねっとりと可塑性のある粘土へと変わっていたのだ。
「これは驚いた」
私は独特の匂いを発する、なめらかな白いクリームに顔を近づけた。
「確かにこれなら、ろくろを使えるかもしれないぞ」
方向性は間違っていないような気がしたが、しかしこの石は熱で溶解しなかった。
試しに棒の形に引き伸ばし、単独で焼成してみた。すると素地 は固まって焼き上がりはしたが、もろい上に水を通してしまった。どうも人間の目には見えない無数の小さな気孔があるようだ。
やはり性質の違う、何らかの物質を加えるべきだった。
「ガラスを入れよう」
私はすぐに提案したが、今度もヨハンは確信に満ちたように動かない。
「……いいや」
ヨハンは顔を上げた。まるでこの平凡な石が、平凡な錬金術師に異国の魔法をかけたかのように、目の奥が怪しく光っている。
「伯爵、そこが間違ってるんじゃないのか? ガラスのような質感を得ようとして、ガラスそのものを入れるっていうのがさ」
「……たぶん、土じゃねえ。石でやってみよう」
こちらは疲れ切っていて、何も言い返す気になれなかった。
無言のまま窯の火を落とし、前掛けを外すのみ。ヨハンは若いだけにまだものを考える余裕があるらしいが、私は違うのだ。
近くにあった椅子にどさりと腰を下ろし、盛大なため息とともに私は額に手を当てた。
「……また一からやり直す気か? 今度は何を使うんだ」
「ナクル石」
ヨハンは即答し、凝り固まった肩をほぐすようにぶんぶんと回している。
「ナクル石はまだ試してねえよな?」
言いながら、ヨハンは少しもじっとしていられないように実験室を飛び出して行った。まったく一日中働いて、よく疲れないものだ。
私の方はその場でぐったりとし、薄暗い天井を見上げていた。ナクル石は灰色をした粒子の荒い岩石で、あの美しいイマリとは似ても似つかない。どういうつもりなのかと言いたいぐらいだった。
ヨハンはこのところ毎日私の居室に勝手に出入りし、資料を漁っているが、今夜も同様。私が部屋に置いていた本の一冊を手にし、何の悪びれた様子もなく戻ってきた。
「これこれ! この本だよ」
ヨハンは机の上に本を置くと、激しく頁をめくり出した。
「確かこの辺りだったと思うんだけど……ああ、ちょっとここ、見てくれよ」
該当箇所を見つけると、彼は指差しながら読み上げる。
「……白亜の土を打ち砕いて水に浸すと、上にクリームまたは油が浮く。底の方には粒子の荒いものがたまる。そのクリームないし浮遊物から最高の磁器が作られる」
その本は、昔スペインで出版された中国の研究書『チナ大王国誌』のドイツ語版だった。著者はフアン・ゴンサーレス・デ・メンドーサといい、教皇グレゴリウス13世の下で活躍したアウグスチノ修道会の司教である。
そして白亜とは白色の石灰岩を指すが、これは太古の生物の化石が堆積したものである。
私は少々、ヨハンに失望した。結局はその程度しか思いつかないのか。
ぐるりと首を回し、私は答える。
「……石灰岩。つまり石灰だな? 何度も粘土に混ぜたじゃないか。実験済みだ」
まさか忘れてしまったとでもいうのか。
いや、このヨハンならそれもありうる。そう思ったら、短いため息しか出てこなかった。
「それにメンドーサは確か、自らチナにまで足を伸ばしてはいない。その記述は単なる伝聞であろう」
だがヨハンはいつも確たる証拠より、ひらめきや直感を重視するのである。私が落胆した顔を見せようが何だろうが、一顧だにしなかった。
「この本には、精製のやり方がちゃんと書いてある。そこが他と違うんだ。メンドーサはただ、白っぽい物質だと言いたかったんじゃないのかな。だったら石灰とは限らねえ。他の材料を試してみるべきだ」
翌朝早く、ヨハンは張り切って一つの麻袋を担いで現れた。
「よいしょっと。コルディッツの採石場で取れたやつだ」
どさりと床に落とされる。私も近づいて行って、袋の口を開けてみた。中身は確かに灰色と白の入り混じったナクル石だった。
ごく平凡な石だが、風化した長石を多く含んでいる。これを粉砕して粘土に混ぜると耐火性の優れた物ができるということは経験上分かっていて、だからこそ私たちも一定量を取り寄せていたのである。
だが、それは焼成の際の保護容器を焼こうとしたためだ。磁器本体ではない。
私はこぶし大ほどのナクル石を二つ取り上げた。
元々がもろく柔らかい石だが、取り上げたその石には亀裂も入っていた。試しに打ち付けてみると、案の定、手の中でぽろっと簡単に崩れてしまう。
やれやれと、私はため息を漏らした。手のひらに残った粉末ともども麻袋の中に戻し、パンパンと両手を払う。
「これだけでは成形もできない。粘土はどうする?」
「だから伯爵、土じゃねえ。石だけで焼いてみよう」
「何だって?」
私が反論しようと息を吸いかけたところで、ヨハンはさっと手で制してきた。
「まずは本の通りに精製してみる。おれがやるから、伯爵はそこで見ててくれ」
奇跡が起こったのは、三日後のことだった。
粉砕して水に浸したコルディッツ産ナクル石は、まだ粒子を残していたものの、ねっとりと可塑性のある粘土へと変わっていたのだ。
「これは驚いた」
私は独特の匂いを発する、なめらかな白いクリームに顔を近づけた。
「確かにこれなら、ろくろを使えるかもしれないぞ」
方向性は間違っていないような気がしたが、しかしこの石は熱で溶解しなかった。
試しに棒の形に引き伸ばし、単独で焼成してみた。すると
やはり性質の違う、何らかの物質を加えるべきだった。
「ガラスを入れよう」
私はすぐに提案したが、今度もヨハンは確信に満ちたように動かない。
「……いいや」
ヨハンは顔を上げた。まるでこの平凡な石が、平凡な錬金術師に異国の魔法をかけたかのように、目の奥が怪しく光っている。
「伯爵、そこが間違ってるんじゃないのか? ガラスのような質感を得ようとして、ガラスそのものを入れるっていうのがさ」