21.一緒に逝きたかった

文字数 2,929文字

 夏の暑い太陽が、僕たちを否応なく照らしつける。柔らかな陽射しを懐かしく思い出しながら僕は汗を拭った。
「千葉君、どうしてる……?」
 まともに話をした事がない千葉君だけれど、僕はあの日以来、千葉君の様子を度々日和へと訊ねていた。
「うん。……相変わらずだよ。元気になろうとしてる」
 日和はまるで自分のことのように心を痛め、そして自分のことのように千葉君の話をする。
「ピンクのひよこ、探しに行こうか?」
 僕は、あの時断ってしまったひよこの事を後悔していた。もし、ピンクのひよこを見つけて買っていたなら、千葉君はもしかしたら今より少し元気になっていたかもしれない。
 もしあの時なんて、考えても仕方のないことだと解ってはいる。それでも、考えてしまう僕は女々しいのかな。
 だから、今更かもしれないけれど、僕はピンクのひよこを探し出して千葉君に渡してあげたいと思った。
 けれど、日和は僕の提案に首を振る。もう、遅いのだ、というように。
 僕は、その仕草にまた後悔の色を濃くしていった。
 いつだって僕は、後悔してばかりなんだ。
 あの時、ああしていれば、とか。あの時、こう言っていれば、とか。そんなことばかりを考えてしまうんだ。
 そうして、後悔してばかりのクセに学習できていない脳みそは、また同じ事を繰り返す。
 いつの間にか山積みになってしまった後悔の数々は、僕の心の中に沈殿し重苦しさばかりを与えてくれる。
 そうやって僕が後悔の山の中に埋もれていた頃、千葉君と日和は真っ黒な服に身を包み、涙に暮れていた――――。

 その日は、前日の夜から降っていた雨が、疲れもしらずにまだ降り続けていた。時々雷なんかも鳴っていて、僕ははっと驚いた事もあった。
 夕方前、号泣するように降る雨の音を聞きながらぼんやりしているところへ日和の声がした。
「ともちゃん……」
 ここのところ、千葉君のところへ行きっぱなしだった日和がふらりと現れた。日和は、以前に一度着たことのある、上から下まで真っ黒の衣装に身を包んでいた。その滅多に見ることのない衣装を身につけた日和を凝視し、いつかの記憶が脳裏を掠める。あの時流れたたくさんの涙や、白黒の世界を思い出し、胸が苦しくなっていく。
 日和の姿に僕の息は止まり、心臓も動きを止めてしまうんじゃないかと思った。感情をグラグラと激しく揺さぶられ。何をしているんだっ! とばかりに怒りと悲しみの洪水が、僕を激しく責め立てる。
「ひよ……り?」
 思いもよらないこの瞬間に、声が掠れてまともに日和の名前を呼ぶことができなかった。まさか、……また。そう思うだけで、胃の辺りが煮え立つような、攪拌されて酔っていくような、どうにも説明のできない苦しさに表情が歪んでいった。
「サニーが、悲しんでるの。一人じゃ、行かせられないの……」
 日和は、それだけを言いに僕のところへと来た。どうしてわざわざ僕のところへやってきたのか。そんなのは、考えなくても解った。日和は、僕を頼ってくれている。こんな情けなくて、学習能力の一つもない僕のことを、日和は頼ってくれる。
 僕は、ゆっくりと静かに息を吸い吐き出した。あの日の記憶を覆すことなんてできやしないけれど、それでも今この瞬間の日和に言葉をかけてあげられるのは、僕しかいない。
「大丈夫」
「うん」
 日和は、僕のこの言葉を聞きにきた。それは、僕が唯一日和へと言ってあげられる言葉だった。何の根拠も保証もない言葉だけれど、日和にはこの言葉が必要なんだ。
 僕の“大丈夫”を聞き、日和がフラフラと出て行く。僕はただここで、日和の帰りを待っていた。
 雨のおかげか、都会のうだるような暑さは洗い流され、どちらかといえば少し涼しい気温になっていた。クーラーの風も微風にし、僕は只管に日和の帰りを待ちわびる。
 あれからどれくらい経っただろう。テレビが置かれた、ラックの下にあるレコーダーのデジタル時計が正確な時を刻んでいる。時刻は、二十二時を回ったところだ。
 ガチャリと、ドアの開く音がした。
 僕は、胡坐をかいて座っていた床から体を持ち上げる。リビングのドアを抜け玄関へ行けば、日和が肩を落し立っていた。
「お帰り」
「うん……」
「千葉君は……?」
「……うん」
 日和は言葉を失くしたように黙ってしまい、塩の入った小袋を僕に差し出した。僕はその封を切り、ぱらぱらと日和に振りかける。肩に少し残る白い粒が、まるでひよこの彼の未練のようだった。
 僕は、日和の手を引きリビングへと連れて行く。
 雨はまだ降り続けていて、静かな室内にその音を届け続けている。
 ソファに日和を座らせ、僕の部屋着を渡し着替えさせた。
 その間に僕は牛乳を温め、ホットミルクを作る。電子レンジでチンするんじゃなく、鍋でゆっくりと温めた。その方が、優しい味になる気がしたから。
「サニー……、笑うんだよね……」
 僕が温めたホットミルクの入ったマグカップを手渡すと、日和はポツリポツリと話し出す。僕は、同じように温められたミルクの入ったマグカップを持ち、日和の言葉に耳を傾けた。
「気付いてたんだって……。彼の気持ちが離れていっていたの、気付いてたんだって。それでも、恐くて 黙ってたんだって。口にしたら本当になりそうで、黙ってたんだって……」
「そっか……」
 僕はなんて応えたらいいのか判らず、そんな返事しかできない。だって、口に出したら本当になるって言うのは、きっと日和が抱えているのと同じものだろうから。
 温かなホットミルクが、自分の手のひらの中で緩く波うつのを見る。カップの中で揺れる白い液体は、蛍光灯の光を受け時々眩しく光る。その光がこの状況と少しもマッチングしてないことが、なんだか胸の中を窮屈にさせていった。
「きっと、ひよこの彼も言えなかったんだと思う……。自分だけを一番に見てくれるサニーに、言えなかったんだと思うの……」
「うん」
「ひよこの彼ね、好きな人と一緒に、逝っちゃったんだって。サニーや私たちが居るのとは別の世界へ、二人だけで逝っちゃったんだって……。サニー、その話をしながら一生懸命に笑うの。どうせなら、私も連れて逝って欲しかったって。一番じゃなくてもいいから、一緒に連れて逝って欲しかったって。だから私、そんなのダメだよ、って言ったの。だって、私が居るでしょ、って。だって私は、ママと同じくらいにサニーのことも――――」
 日和は、そこまで言って言葉を止める。その先は、言っちゃけない言葉だからというように口をつぐむ。そうして、ひたひたと涙を流した。彼の歌を心の中で歌いながら、ひたひたと。
 そんな日和を、僕は胸に引き寄せた。心の中で彼の歌を歌い続ける日和をきつく抱きしめ、歌って欲しくないよ、と心の中で呟いた。
 けれど、言葉にしない心の想いは、少しも伝わるはずなどない。 悲しげに見上げるうるんだ瞳を見返しながら、僕は言葉を失っていた。
「ねぇ、ともちゃん……」
 いつものように日和が何か言い掛けてやめてしまった言葉の続きも、僕にはどうやっても訊ける筈がなかった――――。
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