23.真面目
文字数 2,855文字
千葉君の大好きな彼が逝ってしまってから、しばらくの時間が経った。
黄色の銀杏が舞う季節。その上を歩けば、みしみしと銀杏が何かを話す。その言葉に耳を傾けるように、日和は地面を見ながら歩いていた。
「ともちゃん」
「ん?」
「サニー、少しだけ元気が出てきたの」
「そっか」
ほんの少し口角を持ち上げて、日和が微笑む。
僕は、千葉君が元気になってきていることももちろん嬉しかったけれど、何より、日和が笑ってくれることが嬉しかった。
日和と大学近くで別れ、僕は仕事へ向った。今日は、朝から外回りだ。運が良くというか、紘も同じだから途中落ち合って昼飯でも一緒にしようかな。
「はよーございまーす」
出社すると同期の俊也が、朝食代わりの栄養補助食品バーを掲げて迎える。
「おっす、智哉」
俊也が笑いかけてきた。紘も片手だけ上げて、無言の挨拶をしてくる。
僕は荷物を机の上にドカリと置き、紘の隣の椅子に腰掛けて挨拶をした。
「はよ」
「日和ちゃん、元気?」
紘は、開口一番に日和の話をする。僕への挨拶には、片手を上げただけで何も言わなかったというのに現金なものだ。
でも、紘がそんな質問をするのも解るんだ。だって紘は、日和の元気がない理由も知っていたし。それに、しばらく残業や休日出勤で、僕の家に来る事もなかったから心配をしているのだろう。
多分、脳みそに暇が出来るたびに、紘は日和の事を気にしていたに違いない。
僕にまともな挨拶がなかった事は置いといて、日和が少し元気になってきている事を紘に話した。
「よかった」
日和が今日少しだけ笑ったと話すと、紘は心底ほっとしたような顔をする。そんな顔を見ていると、そろそろ僕の気持ちを紘に話しておいた方がいいような気がしてきた。
「あのさ、紘――――」
「西島ー。外回りに行くぞー」
僕が日和への気持ちを紘に話そうとしたとき、先輩が早々に紘を呼び連れ出そうとする。
「今行きまーす」
僕の言葉は、紘の返事にまんまと遮られてしまった。
紘は椅子から立ち上がり、さっさとフロアの外へ足を向ける。それからふと振り向いた。
「あれ? 今、なんか言ったよな?」
僕は手短に話せるようなことでもないし、話す内容でもないと思い、なんでもないと首を振った。
「そっ。んじゃ、あとでな」
紘は、ひらひらと手を振り先輩と出て行った。僕は、はぁ、と深く息をつき、結局話せないんだな、と諦める。
「どうした。景気の悪いため息ついて」
そんな僕の姿を見て、俊也が話しかけてきた。
「うん……。なんかさ、大切な事って、なかなか話し出せないもんだね」
「ううん。まぁ、大切だからこそ、こう、言葉がみつからないっていうのは、よくある事だよな」
「俊也も、そういうことよくある?」
「ん? まぁ、あるっちゃー、ある」
「なに、それ?」
曖昧な返事に、つい笑いが零れた。僕の笑いに釣られるようにして、俊也もクシャリと表情を崩した。
紘が社を出てから数十分後、僕も外回りに出かけた。お得意様回りだから新規ほど気を遣うこともないけれど、それでも少しばかりの緊張で顔が僅かに強張る。
先方ではなんだか話が弾み、滅多に笑うことのない僕も時々声を上げて笑った。
昔紘に、お前は真面目すぎる、なんて言われた事があったけれど、ふざけ方がどうしても分からなかった。亮介のように世渡り上手に可愛げある振る舞いができたら、と思うこともあるし、紘のように本能のままに行動できたら、とも思う。
だけど、うまく笑顔になれないのも、クソ真面目に考えてしまうのも、全部が僕で、それが総てなんだ。だから真面目だろうが不器用だろうが、そういう生き方しか僕にはできない。
そういえば前に、日和がこんな事を言っていた。
「ともちゃん、肩の力抜いて」
それは、入社してほんの一ヶ月経った頃。かたっ苦しいスーツを身に纏い、まだぴかぴかの革靴を玄関先で履いていた頃のことだ。
営業先の廊下で、すれ違いざまに言われた部長さんの一言に僕は酷く傷ついていた。
「ひよっこの癖に、いっぱしの口きいてんなよっ」
確かに、そう思われても仕方ない。
入社して間もない僕は、先輩の見よう見まねで必死になって営業して回っていた。どんな小さな仕事でもとってこないと社に戻って怒鳴られる。だからガツガツとしていたかもしれない。とにかく必死だったんだ。自分にやれる事を、精一杯やるしかないって思いながらも、とても焦っていた。
そんな必死すぎる僕の態度を、営業先の人が小ばかにしてきた。
それでも、僕は真面目であるべきだって思う。ひよっこだからこそ、真面目であるべきだって。
新人だから、できないだとか。緩い世代に育ったから何も知らなくて甘いだとか。そんな風に思われたくないし、なりたくもない。
だから僕はクソ真面目だとか言われたとしても、自分が直面している事に真っ向から考えて立ち向いたい。
だけど、日和はそんな僕に肩の力を抜いた方がいいと言った。頑張るのも大事だけれど、その真面目さに雁字搦めになりすぎて、ともちゃんの本当にいい部分が見えなくなっていると。
そう言われて、僕は初めて気がついたんだ。
笑えないのは入社した頃からの事だったけれど、笑えないだけじゃなく、いつだってその目は攻撃的になっていたと。
日和に諭されてから、僕は自然と肩の力を抜くことができるようになっていた。いつの間にか笑顔はできないにしても、穏やかな表情をするようになっていた。
そんな風に仕事を続けていたあるとき、以前すれ違いざまに毒を吐いた営業先の部長さんと、また一緒に仕事をすることになった。
僕は、身構えたというか、心の準備をしたというか。とにかく、また何かキツイ事を言われるんじゃないかと平静を装った顔の裏っ側で、強張っていく自分を必死に宥めすかしていた。
けれど、久しぶりに会ったその部長さんは、僕の傍に来ると、さっきの説明、解りやすかったよ。と肩に手を置き言ってくれた。
僕は、心底嬉しくて涙が零れそうになった。
だからあの時のきつい言葉は、きっと本当にその通りで。ただ我武者羅に何も考えず突っ走っていた僕に、大切な事を気づかせようとした一言だったんだと思うようになった。
そうして僕は、日和が言ってくれたように、同じ真面目でも肩の力を抜く事を覚えた。
「真面目な、いい顔してるね」
社の連中との飲み会写真に映っている僕の顔を、指でツンツンとさした日和が笑った。僕は、日和のおかげだよ、と笑い返した。
それでも、紘にしてみれば、まだまだクソ真面目な男に映るみたいだけれど。
ん? ちょっと待てよ。
今気がついたけれど、日和ってば僕が働いていることをちゃんと理解していたんじゃん。
興味ないみたいなぼんやりしたことばっか言ってたのに、なんだ、そうか。知ってたんだ。
僕の頬は、知らず緩んでいった。
黄色の銀杏が舞う季節。その上を歩けば、みしみしと銀杏が何かを話す。その言葉に耳を傾けるように、日和は地面を見ながら歩いていた。
「ともちゃん」
「ん?」
「サニー、少しだけ元気が出てきたの」
「そっか」
ほんの少し口角を持ち上げて、日和が微笑む。
僕は、千葉君が元気になってきていることももちろん嬉しかったけれど、何より、日和が笑ってくれることが嬉しかった。
日和と大学近くで別れ、僕は仕事へ向った。今日は、朝から外回りだ。運が良くというか、紘も同じだから途中落ち合って昼飯でも一緒にしようかな。
「はよーございまーす」
出社すると同期の俊也が、朝食代わりの栄養補助食品バーを掲げて迎える。
「おっす、智哉」
俊也が笑いかけてきた。紘も片手だけ上げて、無言の挨拶をしてくる。
僕は荷物を机の上にドカリと置き、紘の隣の椅子に腰掛けて挨拶をした。
「はよ」
「日和ちゃん、元気?」
紘は、開口一番に日和の話をする。僕への挨拶には、片手を上げただけで何も言わなかったというのに現金なものだ。
でも、紘がそんな質問をするのも解るんだ。だって紘は、日和の元気がない理由も知っていたし。それに、しばらく残業や休日出勤で、僕の家に来る事もなかったから心配をしているのだろう。
多分、脳みそに暇が出来るたびに、紘は日和の事を気にしていたに違いない。
僕にまともな挨拶がなかった事は置いといて、日和が少し元気になってきている事を紘に話した。
「よかった」
日和が今日少しだけ笑ったと話すと、紘は心底ほっとしたような顔をする。そんな顔を見ていると、そろそろ僕の気持ちを紘に話しておいた方がいいような気がしてきた。
「あのさ、紘――――」
「西島ー。外回りに行くぞー」
僕が日和への気持ちを紘に話そうとしたとき、先輩が早々に紘を呼び連れ出そうとする。
「今行きまーす」
僕の言葉は、紘の返事にまんまと遮られてしまった。
紘は椅子から立ち上がり、さっさとフロアの外へ足を向ける。それからふと振り向いた。
「あれ? 今、なんか言ったよな?」
僕は手短に話せるようなことでもないし、話す内容でもないと思い、なんでもないと首を振った。
「そっ。んじゃ、あとでな」
紘は、ひらひらと手を振り先輩と出て行った。僕は、はぁ、と深く息をつき、結局話せないんだな、と諦める。
「どうした。景気の悪いため息ついて」
そんな僕の姿を見て、俊也が話しかけてきた。
「うん……。なんかさ、大切な事って、なかなか話し出せないもんだね」
「ううん。まぁ、大切だからこそ、こう、言葉がみつからないっていうのは、よくある事だよな」
「俊也も、そういうことよくある?」
「ん? まぁ、あるっちゃー、ある」
「なに、それ?」
曖昧な返事に、つい笑いが零れた。僕の笑いに釣られるようにして、俊也もクシャリと表情を崩した。
紘が社を出てから数十分後、僕も外回りに出かけた。お得意様回りだから新規ほど気を遣うこともないけれど、それでも少しばかりの緊張で顔が僅かに強張る。
先方ではなんだか話が弾み、滅多に笑うことのない僕も時々声を上げて笑った。
昔紘に、お前は真面目すぎる、なんて言われた事があったけれど、ふざけ方がどうしても分からなかった。亮介のように世渡り上手に可愛げある振る舞いができたら、と思うこともあるし、紘のように本能のままに行動できたら、とも思う。
だけど、うまく笑顔になれないのも、クソ真面目に考えてしまうのも、全部が僕で、それが総てなんだ。だから真面目だろうが不器用だろうが、そういう生き方しか僕にはできない。
そういえば前に、日和がこんな事を言っていた。
「ともちゃん、肩の力抜いて」
それは、入社してほんの一ヶ月経った頃。かたっ苦しいスーツを身に纏い、まだぴかぴかの革靴を玄関先で履いていた頃のことだ。
営業先の廊下で、すれ違いざまに言われた部長さんの一言に僕は酷く傷ついていた。
「ひよっこの癖に、いっぱしの口きいてんなよっ」
確かに、そう思われても仕方ない。
入社して間もない僕は、先輩の見よう見まねで必死になって営業して回っていた。どんな小さな仕事でもとってこないと社に戻って怒鳴られる。だからガツガツとしていたかもしれない。とにかく必死だったんだ。自分にやれる事を、精一杯やるしかないって思いながらも、とても焦っていた。
そんな必死すぎる僕の態度を、営業先の人が小ばかにしてきた。
それでも、僕は真面目であるべきだって思う。ひよっこだからこそ、真面目であるべきだって。
新人だから、できないだとか。緩い世代に育ったから何も知らなくて甘いだとか。そんな風に思われたくないし、なりたくもない。
だから僕はクソ真面目だとか言われたとしても、自分が直面している事に真っ向から考えて立ち向いたい。
だけど、日和はそんな僕に肩の力を抜いた方がいいと言った。頑張るのも大事だけれど、その真面目さに雁字搦めになりすぎて、ともちゃんの本当にいい部分が見えなくなっていると。
そう言われて、僕は初めて気がついたんだ。
笑えないのは入社した頃からの事だったけれど、笑えないだけじゃなく、いつだってその目は攻撃的になっていたと。
日和に諭されてから、僕は自然と肩の力を抜くことができるようになっていた。いつの間にか笑顔はできないにしても、穏やかな表情をするようになっていた。
そんな風に仕事を続けていたあるとき、以前すれ違いざまに毒を吐いた営業先の部長さんと、また一緒に仕事をすることになった。
僕は、身構えたというか、心の準備をしたというか。とにかく、また何かキツイ事を言われるんじゃないかと平静を装った顔の裏っ側で、強張っていく自分を必死に宥めすかしていた。
けれど、久しぶりに会ったその部長さんは、僕の傍に来ると、さっきの説明、解りやすかったよ。と肩に手を置き言ってくれた。
僕は、心底嬉しくて涙が零れそうになった。
だからあの時のきつい言葉は、きっと本当にその通りで。ただ我武者羅に何も考えず突っ走っていた僕に、大切な事を気づかせようとした一言だったんだと思うようになった。
そうして僕は、日和が言ってくれたように、同じ真面目でも肩の力を抜く事を覚えた。
「真面目な、いい顔してるね」
社の連中との飲み会写真に映っている僕の顔を、指でツンツンとさした日和が笑った。僕は、日和のおかげだよ、と笑い返した。
それでも、紘にしてみれば、まだまだクソ真面目な男に映るみたいだけれど。
ん? ちょっと待てよ。
今気がついたけれど、日和ってば僕が働いていることをちゃんと理解していたんじゃん。
興味ないみたいなぼんやりしたことばっか言ってたのに、なんだ、そうか。知ってたんだ。
僕の頬は、知らず緩んでいった。