9. She is so cool.

文字数 1,814文字

 梅雨が始まった。天気予報は傘マークだらけで気分を滅入らせたけれど、玄関先の傘を手にするたびにその気持ちは少し回復した。
「その傘、なんなん?」
 大学時代の友達で同僚の亮介が、いびつな星と月を見て笑った。
「憂鬱避け」
 僕がそう応えると、なんやわからんけど、えぇかもなぁ。なんて大きな口をにっとした。
 亮介にも、この傘の良さがわかるのかもしれない。
 それから、何故だか僕の友達内で、ビニール傘に落書きをするのが流行って、みんな思い思いの絵を描いていた。動物の絵や水玉や、かっこ良くドクロなんて描いている奴も居たけれど、日和の描いた黄色の星と月に敵う絵はなかった。だから僕は、その傘を自慢げに差して歩くんだ。
 憂鬱な雨の日に、僕の頭の上にだけはいつだって月明かりがあって星が瞬いている。

 梅雨の晴れ間。休日の昼間にのんびりとしていた僕は、せっかく晴れてるんだし買い物にでも行こうかと考えていた。そんなところに、ひょっこりと日和が帰ってきた。
 帰ってきた、っていう表現が正しいのかどうか解らない。
 だって、ここは僕の家だから。
 だけど、やっぱり日和は、帰ってきたんだ。
 だって、ただいまっ、て言ってリビングへ入ってきたのだから。
 僕はそのままにしてあった、ソファの上のポスカに目をやった。黄色のポスカが、お帰り、って顔をしていた。
 大きくなった鶏は、一緒じゃなかった。どうやら、まだ縁日には行っていないみたいだ。
 日和は、カフェで見かけたときと全く同じロンTを着ていた。けれど、もう暑くなってきているせいか袖を少し捲り上げている。
 そのロンTは、襟のところが波を打ち始めていたから、そうだ、今から一緒に日和のTシャツを買いに行こうと思いついた。
 名案だろ?
 そんな風にポスカの奴をもう一度見たら、名案だね、って顔をしてこっちを見ていた。
 日和は躊躇うことなく、僕の提案に賛成して、ピョコピョコあとを付いてきた。
 梅雨の晴れ間は貼り付くような湿気を含んでいたけれど、それでも今の僕には清々しく感じた。きっと、日和が帰ってきたからだ。
 どこでTシャツを買うか考えていたら、大きな街まで出るのは面倒だから、近くのジーンズショップでいいという日和の言葉に従った。
 意外と栄えている商店街を歩いて店に入る。店内にはジーンズが所狭しと置かれていて、そして山のように積まれていた。これは大袈裟じゃなく、本当に山のようなんだ。
 だって、平台に置かれたジーンズは、今にも崩れ落ちそうなぐらい積み上げられているし、壁に備え付けられた棚は、ずっとずっと上の天井まであって、その中にもびっしりとジーンズが詰まっているんだから。
 あんなところのジーンズ、どうやって取るんだろう?
 疑問を感じながら店内を歩いていたら、二段になった踏み台があって、あぁ、これに乗って取るんだな、と試しにそれに乗ってみたけど、どう頑張っても一番上の棚まではまだまだ手が届かなかった。
 きっと店のどこかにビックリするくらい背の高い、世界ビックリ人間的な店員が潜んでいるに違いないと僕は推理した。キョロキョロと首を巡らせ、ビクリ人間の姿を拝みたいと探してみたけれど、残念ながら今日はシフトに入っていないのか、休憩中なのか見つからなかった。
 日和は、ずっとずっと奥のほうに並んでいる、レディースコーナーでTシャツを見ている。
 僕は、届かない天井近くのジーンズを、今日は見当たらないビックリ人間の店員に任せて日和の傍に行った。
 日和は、僕が傍に行った時には既に買うTシャツを決めていた。それは、ナイキなんて思いっきりが良すぎるくらいデカデカと青い字で書かれた物や。よく解らないへんちくりんな動物の影絵みたいなイラストのものや、缶詰の中からたくさんの金平糖が零れ出ているものや、背中にカタカナで“シー イズ ソー クール”なんて書かれているのだった。最後の一文と日和を見比べて、そうだねなんて思う。
「四枚だけでいいの?」
「うん。だって、家にまだ三枚ある」
 確かに、家には三枚あるだろう。でも、それも今、日和が着ているのと変わらないくらい、襟の辺りや袖口がヘロヘロに波を打っているはず。
「もっと買っとけば?」
 夏は、長いよ。
 そう思っていたら、夏は短いから。とそれだけ持ってレジへ行ってしまった。
 “シー イズ クール”
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