17.彼の歌を歌うわけ
文字数 1,433文字
ある日の夕方。
「もう、ずっと眠れないの……」
話す言葉は充分眠そうだけれど、実際眠れていないのか、日和の目の下には隈ができていた。
そんな日和は、熱くて濃いコーヒーを淹れて飲んでいる。
「益々、眠れなくなるじゃん」
「そうだね……」
僕の言葉に、ぼんやりと返事をする。僕はそんな日和の淹れたコーヒーをカップに注ぎ、向かい側に腰を下ろした。
金魚は相変わらずグラスの中で優雅に泳ぎ続けていて、時々チャプンッと飛沫を上げ日和に見つめられながらグラスの中に住んでいた。
金魚が時々跳ね上がるのは、日和にじっと見つめられすぎて恥ずかしいからだろう、と僕は思っている。だって僕が金魚だったら、日和から日がな一日眺められていたら、ピンク色の尻尾まで全部が赤く染まってしまうだろうから。
金魚の住むグラスの横に置かれたマグカップからは、ゆらゆらと湯気が上がっている。
日和は時々カップに口をつけ熱いと小さく零すけれど、以前チャーハンを食べた時のようにチロリと可愛い舌を見せてはくれなかった。
猫舌の日和だったけれど、いつの間にか、僕の気付かないうちにそうじゃなくなったのかもしれない。そう考えると、少し寂しくなった。
そんな静かで寂しい夕方に、インターホンが鳴った。日和は、ピクリと一瞬肩を揺らした。その一瞬だけ、ぼんやりとした瞳は生気を取り戻したように見開かれた。けれど、その一瞬だけ。その瞬間を過ぎてしまえば、また瞳はぼんやりとグラスの金魚を見つめるだけになる。
インターホンを鳴らしたのは、絶妙なタイミングを掴めなくなった紘だった。いや、掴めないんじゃなくて、寧ろ紘にとっては絶妙のタイミングなのだろう。だって、紘は日和を好きなはずだから。
僕はといえば、未だに日和を想う自分の気持ちを紘へ話していない。
「じゃましまーす」
紘は、相変わらず日和の前だけはテンションが高く。やぁ、やぁ、やぁ、とでも言うように、ニッコニコで上がりこんできた。
テンション高めの紘が、その両手に抱えていたのは小さな金魚鉢だった。そして、その中には一匹の金魚が居た。
「そのグラスじゃ狭いし、一匹じゃ寂しいと思って」
日和の眺めるグラスの前に、ゴトンと紘が金魚鉢を置いた。カップの中のコーヒーとグラスの水が、少しだけ波を打つ。金魚鉢の底には、綺麗なブルーを基調にしたビー玉が敷き詰められていた。
「綺麗だね」
日和は相変わらずぼんやりとした瞳のまま、その金魚鉢のビー玉を眺める。
「だろー。日和ちゃんがそう言うんじゃないかと思ってさ」
紘は日和が喜んだと思って、ニコニコと傍に座り顔を覗き込む。
忙しいはずの紘が金魚鉢を探しにペットショップをウロウロしていたのかと思うと、やっぱり日和の事を好きなんだなって思うんだ。
僕は、毎日日和の近くに居て、何にもしてあげる事が出来ていない。ただ時々話しかけて、ご飯を一緒に食べて、熱くて濃いコーヒーに付き合うくらい。それだって仕事があるから、ずっと一緒にそうしてあげられもしない。
僕が仕事で居ない間、日和はどうしているのだろう。
やっぱりこうして、日がな一日金魚を眺め、時々ご飯を食べ、そして熱くて濃いコーヒーを飲んでいるのだろうか。
それでも何でも、彼の歌を歌っていなければいい。彼の歌を独りで歌う事だけは、して欲しくないって思うんだ。
だって僕は、日和が彼の歌を歌うわけを知っているのだから――――。
「もう、ずっと眠れないの……」
話す言葉は充分眠そうだけれど、実際眠れていないのか、日和の目の下には隈ができていた。
そんな日和は、熱くて濃いコーヒーを淹れて飲んでいる。
「益々、眠れなくなるじゃん」
「そうだね……」
僕の言葉に、ぼんやりと返事をする。僕はそんな日和の淹れたコーヒーをカップに注ぎ、向かい側に腰を下ろした。
金魚は相変わらずグラスの中で優雅に泳ぎ続けていて、時々チャプンッと飛沫を上げ日和に見つめられながらグラスの中に住んでいた。
金魚が時々跳ね上がるのは、日和にじっと見つめられすぎて恥ずかしいからだろう、と僕は思っている。だって僕が金魚だったら、日和から日がな一日眺められていたら、ピンク色の尻尾まで全部が赤く染まってしまうだろうから。
金魚の住むグラスの横に置かれたマグカップからは、ゆらゆらと湯気が上がっている。
日和は時々カップに口をつけ熱いと小さく零すけれど、以前チャーハンを食べた時のようにチロリと可愛い舌を見せてはくれなかった。
猫舌の日和だったけれど、いつの間にか、僕の気付かないうちにそうじゃなくなったのかもしれない。そう考えると、少し寂しくなった。
そんな静かで寂しい夕方に、インターホンが鳴った。日和は、ピクリと一瞬肩を揺らした。その一瞬だけ、ぼんやりとした瞳は生気を取り戻したように見開かれた。けれど、その一瞬だけ。その瞬間を過ぎてしまえば、また瞳はぼんやりとグラスの金魚を見つめるだけになる。
インターホンを鳴らしたのは、絶妙なタイミングを掴めなくなった紘だった。いや、掴めないんじゃなくて、寧ろ紘にとっては絶妙のタイミングなのだろう。だって、紘は日和を好きなはずだから。
僕はといえば、未だに日和を想う自分の気持ちを紘へ話していない。
「じゃましまーす」
紘は、相変わらず日和の前だけはテンションが高く。やぁ、やぁ、やぁ、とでも言うように、ニッコニコで上がりこんできた。
テンション高めの紘が、その両手に抱えていたのは小さな金魚鉢だった。そして、その中には一匹の金魚が居た。
「そのグラスじゃ狭いし、一匹じゃ寂しいと思って」
日和の眺めるグラスの前に、ゴトンと紘が金魚鉢を置いた。カップの中のコーヒーとグラスの水が、少しだけ波を打つ。金魚鉢の底には、綺麗なブルーを基調にしたビー玉が敷き詰められていた。
「綺麗だね」
日和は相変わらずぼんやりとした瞳のまま、その金魚鉢のビー玉を眺める。
「だろー。日和ちゃんがそう言うんじゃないかと思ってさ」
紘は日和が喜んだと思って、ニコニコと傍に座り顔を覗き込む。
忙しいはずの紘が金魚鉢を探しにペットショップをウロウロしていたのかと思うと、やっぱり日和の事を好きなんだなって思うんだ。
僕は、毎日日和の近くに居て、何にもしてあげる事が出来ていない。ただ時々話しかけて、ご飯を一緒に食べて、熱くて濃いコーヒーに付き合うくらい。それだって仕事があるから、ずっと一緒にそうしてあげられもしない。
僕が仕事で居ない間、日和はどうしているのだろう。
やっぱりこうして、日がな一日金魚を眺め、時々ご飯を食べ、そして熱くて濃いコーヒーを飲んでいるのだろうか。
それでも何でも、彼の歌を歌っていなければいい。彼の歌を独りで歌う事だけは、して欲しくないって思うんだ。
だって僕は、日和が彼の歌を歌うわけを知っているのだから――――。