19.サニー
文字数 2,248文字
千葉君の家からの帰り道はしんみりとしてしまって、僕は言葉がなかった。日和は、行きにはあったグラスが今はなくなり、手持ち無沙汰のように両手をブラブラ揺らしている。そんな風に会話も弾まない空気の中、日和は無関係な話題をしだした。
「サニーの彼がね、ひよこみたいな雰囲気だったの」
謎の外国人、サニーの話だ。
「坊主の頭は、陽に透けるとほんのりピンク色に見えて。笑った顔は、ひよこみたいに可愛らしかった。着ていた服も桃色の物が多かったな」
そんな風にサニーの事を話す日和だけれど、今はどうでもいい事じゃないの? サニーの話なんて、後回しでいいんじゃないの? それよりも、今は千葉君のことじゃないの?
千葉君の悲しそうな顔の理由を僕は全く解らないけれど、サニーの話をするよりも彼の心配をしたほうがいいんじゃないの?
だって、彼。きっと今、泣いてるよ。
「サニーは、あんなだから。うまく甘える事が出来ないの」
あんなだからと言われても、僕はサニーに会った事がないのだから解らないよ。
未だサニーの話しに拘る日和にそういう顔を向けたら、少しだけ首をかしげてふっと小さく息をつくように頬を緩めた。その笑いが今のこの雰囲気にとっても不釣合いで、僕は少しだけ憮然とした顔をした。そんな僕に、日和から衝撃的な一言が告げられる。
「サニーは、さっきの千葉君のことだよ」
「えっ!」
僕は、しんみり空気に不釣合いなくらいの声を上げて驚いてしまった。
だってサニーなんていうから、てっきり外国の人だと思っていたわけだし。しかも、千葉君はどう見たってバリバリの日本人だった。物腰の柔らかさは少しだけ女性的だったけれど、とても綺麗な日本語を話す日本人だ。なのに、何でサニーなんだ?
その疑問は僕の頭の中でふわふわと浮いたまま、日和は話を続ける。
「サニーはね、彼のことが大好きなの。彼もサニーの事を大好きなはずだった。なのに……、あるとき、ふっといなくなっちゃったの……」
いなくなっちゃった……。
その言葉は本当に哀しげで、今にも涙が零れそうに揺れていた。
千葉君以外の人を愛してしまった、ひよこ似の恋人。どんなに好きでも、人の気持ちは簡単にどうにかできるものじゃない。頭ではわかっていても、心は大好きな相手のことを忘れられない。
居なくなってしまった恋心をどんなに悲しんだとしても、心が戻ってくるとは限らない。祈り、願い、孤独に打ちひしがれても、一度離れてしまった心が戻るのは、奇跡に近いだろう。恋愛ってやつは、いつだって頭と心が反比例して僕たちを悩ませる。
それにしても、僕はさっきから何か違和感を覚えていた。日和の話すことに対して、何かが引っかかる。けれど、その何かにまだ気付く事ができないでいた。
「私は、時々サニーのところへ行って慰めていたの。悲しそうな瞳に向かって、楽しい話をしたり。寂しそうな手を取り、温もりを伝えたり。頼りなげになっていく体を、抱きしめてあげたり」
日和は、丁寧に言葉を区切り話していく。
「私には、彼の替わりはできないとわかっていたけれど。でも、そうするより他なくて。だから私は、サニーが辛そうにしていれば、いつだって会いに行っていた」
日和が時々家を空けていたのは、千葉君のところへ行っていたのもあったんだ。
「でも、サニー。どんどん痩せちゃって。彼が戻ってこないから、どんどん儚くなっちゃって。もう、見ていられないくらい……」
日和は、自分ではもうどうしようもないのだと呟いた。ひよこの彼じゃなければ、千葉君の事は救えないのだと零した。
そこで、僕は違和感の理由にはたと気付く。
彼女じゃなくて、彼……?
「千葉君の彼って……男ってこと?」
「うん。サニーは、ゲイなの」
日和は、そんな事はなんでもないことだというようにサラリと僕に伝える。
千葉君が、ゲイ。
僕はそういったお方に一度も遭遇した事がなかったせいで、その手の事には免疫がない。だけど、あの物腰の柔らかさや日和を大切な妹のようにして見ていた眼差しを思えば、千葉君がゲイというのも頷けた。
あれ? じゃあ、あのビールを買いに出た日に目撃した二人の熱い抱擁は、僕の勘違い……。
あの時の千葉君は、ひよこの彼が居ない悲しみに押しつぶされそうになっていたのかもしれない。そして、日和に助けを求めたのだろう。日和に縋って泣き、ひよこの彼がいなくなった現実に心を痛めていたのだろう。
じゃあ、日和と千葉君は恋人同士じゃなかったということか。
今やっと知ることができた真実に安堵する反面、悲しみにくれた千葉君の表情に僕は複雑さを隠せない。
「私がサニーに言ってあげたい言葉は、口にしちゃいけないから。私が想う大切な人には、絶対に口にしちゃいけない言葉だから……」
日和の頬に涙が伝う。
僕は、そんな事ないっ。と声を大にして言いかった。そんなのは、日和の思い違いだって。それを日和が口にしたって、何も起こりはしないんだって。
なのに、僕はそれを言葉にできずにいた。
哀しみの表情を浮かべていた千葉君を、ただ見ていたように。すぐ傍で涙を流す日和のことも、ただ見ていることしかできなかった。
あの時のように。ただ、見ていることしか……。
涙を流す日和は、今歌っているのかもしれない。
心の中で、彼の歌を歌っているのかもしれない。
僕には、その歌が聴こえた気がした――――。
「サニーの彼がね、ひよこみたいな雰囲気だったの」
謎の外国人、サニーの話だ。
「坊主の頭は、陽に透けるとほんのりピンク色に見えて。笑った顔は、ひよこみたいに可愛らしかった。着ていた服も桃色の物が多かったな」
そんな風にサニーの事を話す日和だけれど、今はどうでもいい事じゃないの? サニーの話なんて、後回しでいいんじゃないの? それよりも、今は千葉君のことじゃないの?
千葉君の悲しそうな顔の理由を僕は全く解らないけれど、サニーの話をするよりも彼の心配をしたほうがいいんじゃないの?
だって、彼。きっと今、泣いてるよ。
「サニーは、あんなだから。うまく甘える事が出来ないの」
あんなだからと言われても、僕はサニーに会った事がないのだから解らないよ。
未だサニーの話しに拘る日和にそういう顔を向けたら、少しだけ首をかしげてふっと小さく息をつくように頬を緩めた。その笑いが今のこの雰囲気にとっても不釣合いで、僕は少しだけ憮然とした顔をした。そんな僕に、日和から衝撃的な一言が告げられる。
「サニーは、さっきの千葉君のことだよ」
「えっ!」
僕は、しんみり空気に不釣合いなくらいの声を上げて驚いてしまった。
だってサニーなんていうから、てっきり外国の人だと思っていたわけだし。しかも、千葉君はどう見たってバリバリの日本人だった。物腰の柔らかさは少しだけ女性的だったけれど、とても綺麗な日本語を話す日本人だ。なのに、何でサニーなんだ?
その疑問は僕の頭の中でふわふわと浮いたまま、日和は話を続ける。
「サニーはね、彼のことが大好きなの。彼もサニーの事を大好きなはずだった。なのに……、あるとき、ふっといなくなっちゃったの……」
いなくなっちゃった……。
その言葉は本当に哀しげで、今にも涙が零れそうに揺れていた。
千葉君以外の人を愛してしまった、ひよこ似の恋人。どんなに好きでも、人の気持ちは簡単にどうにかできるものじゃない。頭ではわかっていても、心は大好きな相手のことを忘れられない。
居なくなってしまった恋心をどんなに悲しんだとしても、心が戻ってくるとは限らない。祈り、願い、孤独に打ちひしがれても、一度離れてしまった心が戻るのは、奇跡に近いだろう。恋愛ってやつは、いつだって頭と心が反比例して僕たちを悩ませる。
それにしても、僕はさっきから何か違和感を覚えていた。日和の話すことに対して、何かが引っかかる。けれど、その何かにまだ気付く事ができないでいた。
「私は、時々サニーのところへ行って慰めていたの。悲しそうな瞳に向かって、楽しい話をしたり。寂しそうな手を取り、温もりを伝えたり。頼りなげになっていく体を、抱きしめてあげたり」
日和は、丁寧に言葉を区切り話していく。
「私には、彼の替わりはできないとわかっていたけれど。でも、そうするより他なくて。だから私は、サニーが辛そうにしていれば、いつだって会いに行っていた」
日和が時々家を空けていたのは、千葉君のところへ行っていたのもあったんだ。
「でも、サニー。どんどん痩せちゃって。彼が戻ってこないから、どんどん儚くなっちゃって。もう、見ていられないくらい……」
日和は、自分ではもうどうしようもないのだと呟いた。ひよこの彼じゃなければ、千葉君の事は救えないのだと零した。
そこで、僕は違和感の理由にはたと気付く。
彼女じゃなくて、彼……?
「千葉君の彼って……男ってこと?」
「うん。サニーは、ゲイなの」
日和は、そんな事はなんでもないことだというようにサラリと僕に伝える。
千葉君が、ゲイ。
僕はそういったお方に一度も遭遇した事がなかったせいで、その手の事には免疫がない。だけど、あの物腰の柔らかさや日和を大切な妹のようにして見ていた眼差しを思えば、千葉君がゲイというのも頷けた。
あれ? じゃあ、あのビールを買いに出た日に目撃した二人の熱い抱擁は、僕の勘違い……。
あの時の千葉君は、ひよこの彼が居ない悲しみに押しつぶされそうになっていたのかもしれない。そして、日和に助けを求めたのだろう。日和に縋って泣き、ひよこの彼がいなくなった現実に心を痛めていたのだろう。
じゃあ、日和と千葉君は恋人同士じゃなかったということか。
今やっと知ることができた真実に安堵する反面、悲しみにくれた千葉君の表情に僕は複雑さを隠せない。
「私がサニーに言ってあげたい言葉は、口にしちゃいけないから。私が想う大切な人には、絶対に口にしちゃいけない言葉だから……」
日和の頬に涙が伝う。
僕は、そんな事ないっ。と声を大にして言いかった。そんなのは、日和の思い違いだって。それを日和が口にしたって、何も起こりはしないんだって。
なのに、僕はそれを言葉にできずにいた。
哀しみの表情を浮かべていた千葉君を、ただ見ていたように。すぐ傍で涙を流す日和のことも、ただ見ていることしかできなかった。
あの時のように。ただ、見ていることしか……。
涙を流す日和は、今歌っているのかもしれない。
心の中で、彼の歌を歌っているのかもしれない。
僕には、その歌が聴こえた気がした――――。