16話―1
文字数 2,270文字
うっすらとした朝の気配に、スコードは目が覚めた。音を立てずに身支度を済ませ、愛用の剣を腰に下げる。隣室で眠る母親を起こさぬよう、ゆっくりと自宅を後にした。
辺りはまだ暗いが空の色は僅かに薄くなり、まもなく夜が明けようとしていた。村の入口付近では松明が赤々と燃えている。今、ニグル族の村で起きている者は門番と、自分ぐらいだろう。スコードは澄んだ空気を吸いこみ、階段を登り始めた。
トゥーイの『側近』になった翌日から、スコードは毎朝鍛錬に出かけている。初めのうちは次期長老ガウィが師匠となり、夜明け前から昼頃まで毎日指導を受けていた。
狩猟部隊の長であるガウィから直接学べるのは、若手剣士にとって誇らしいこと。指導はとても厳しいものだったが、スコードは必死に喰らいつき、着実に成長を遂げていた。
対面指導は数ヶ月で終了し、その後はガウィの帰還日に合わせて行われるくらい。だが、スコードは毎朝森で自主練を続けていた。もっと強くなるために。そして、大切な人をこの手で守るために。
「あれ。スコ、こんな時間にどうしたの?」
最上段に到達した瞬間、聞き慣れた声に呼び止められる。振り向くと、階段の下にトゥーイがいた。スコードは突然の遭遇に狼狽え、平静を装いながら階段を戻り始める。ちょうど彼女のことを考えていたからか、心臓は早鐘を打っていた。
「そ、それはこっちの台詞だ。何でこんな時間に起きてるんだよ」
「うーん、なんか早く目が覚めちゃって。眠気もどっかいっちゃったし、せっかくだから散歩に行こうと思ったのよ」
トゥーイは腰に下げた袋から雑穀の焼き菓子を取り出し、見せつけてくる。服装も外出用の格好であり、このまま放っておくと、彼女は間違いなく村を飛び出すだろう。スコードは諦めたように大きな溜息をついた。
「はぁ。仕方ない、俺も行くよ」
「大丈夫よ。まだみんな寝てるし、朝ご飯までに戻ってくるから」
「お前の『大丈夫』は大丈夫だった試しがないだろ。ほら、さっさと行くぞ」
トゥーイの腕を取り、階段を足早に駆け降りる。仕方ないとは言ったものの、スコードは満更でもなかった。朝の鍛錬が出来ないのは残念だが、トゥーイを守ることが自分の使命だ。それに、今は少しでも長く共に過ごしたい。
隣から聞こえる文句をあしらいつつ、スコードは彼女を連れて抜け道へと向かった。
ニグル族の村は、岩山を切り開いて作られた土地である。元々は岩の上にあったそうだが、『神』の宝を守るために部族総出で開拓し、今の形になったと言われている。
村の出入り口は門番が守る一ヶ所のみだが、岩の壁が村全体を取り囲んでおり、そこをよじ登れば脱出は可能だ。しかし壁は傾斜が大きく、岩場慣れしたニグル族でも踏破は難しい。この壁を登って外に出よう、などと考えるのはトゥーイぐらいであり、彼女はこの経路で何度も脱出している。
二人は壁を登り、北東の辺りで腰を下ろした。ここからだと村の様子がよく見える。暗かった景色もはっきりと色づき、いつ太陽が顔を出してもおかしくはない。
その時、トゥーイが「見て!」と声を上げた。彼女が指差すのは村の外よりも遥か遠く。連なる山々の間から、眩い光が差しこんだ。黄金色の光はじわじわと上昇し、山や森、ニグル族の村を照らし出す。スコードは神々しい景色に圧倒され、思わず口走る。
「
ポーン島の民と共にある、偉大なる山脈。朝日を受けて輝く山々はまさに、その名にふさわしい。
交わされる言葉はない。二人は特別な夜明けから、目をそらすことが出来なかった。
太陽はすっかり上がり、空は穏やかな色に戻る。トゥーイは思い出したように、持参した焼き菓子を慌てて口に放った。
「やっぱり外で食べるお菓子は最高ね。スコもひとつどう?」
「いや、俺はいい。っていうか、そろそろ朝飯の時間だぞ。食えなくなったらどうするんだ」
トゥーイは頬張ったまま「甘い物は別腹よ!」ともごもご答えた。雑穀の生地を焼いただけ、という素朴な郷土菓子だが、彼女の焼き菓子には甘い果実がふんだんに練りこまれている。スコードは甘味が苦手だったが、美味しそうに食べる様子を見ていると腹が鳴りそうだった。
「そうだ。甘い物といえば、リンは元気かしら。ねぇスコ、今度会いに行ってみない?」
「お前なぁ。あいつら以外にも[鍵]を狙う奴がいるかもしれないだろ」
「大丈夫よ。しまってるから、誰にもばれないわ!」
彼女は首にかけた紐を引っ張り、服の中から[鍵]を取り出す。スコードは呆れ返り、反論するのを諦めた。
宝の在処が襲撃されてから一ヶ月。犯人は捕まり、村は再び平穏を取り戻した。交易日は一昨日だったが、先月の騒動を受けて、村の門にて商人の荷物を確認することになった。
警備隊は門と森の入口に集約され、村の中で巡回する隊員は数名のみ。今まで接触を禁じられていたトゥーイも、スコードが傍につくことで参加を許されていた。
もし、今朝トゥーイと会わなかったら。スコードは最悪の結末を予想し、震え上がる。もし目覚める時間が早かったなら、あるいは遅かったなら。彼女は自分に会うことなくそのまま村を出て、あの日と同じように襲われたかもしれないのだ。
もう、トゥーイが傷つく姿を見たくない。その想いは、側近になる前からずっと抱き続けている。「お父さんにばれなきゃいいけど……」と悩むトゥーイを不安げに見つめつつ、スコードは改めて、彼女を守り抜くことを決意するのだった。
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