12話―1
文字数 2,528文字
その男との出会いは実に突然で、強烈なものだった。
見知らぬ土地への出張にも関わらず、観光する暇などない。車や飛行機での移動時間が主であり、目的地に到着しても、従業員の人種以外は、どの職場も本社と似通った風景だった。ラッシュは適当に書類を捌き、退屈な時間を耐え続けた。
しかし、最後に訪れた会社はそれらとは全く異なり、混沌とした魔境だった。
「おう、今日もビシバシ働けよ!」
事務室中に響き渡る乱暴な声。ラッシュは驚き、書類を床に落としてしまう。声の主はこちらに全く目もくれず、隣の部屋、すなわち社長室へ消えた。
ここはグリーンウルフ社。クィン島の猛獣を[島]内外へ流通する企業だ。子会社の中では従業員数は少ないが、利益はトップクラス。この企業を取り仕切るのが先程の男、ギール・グリーだ。四十代に入ったばかりという若き社長だが、カリスマ性のある実業家である。
自分より何倍も大きな図体に、肉食獣のような鋭い目つき。その威圧的な姿をちらりと見ただけで、ラッシュは「苦手なタイプだな」と確信するのだった。
「説明は以上です。何かご不明な点はございますか?」
「あぁ、そういえば、獣舎のドアが気になったのですが」
書類の確認が終了し、専務のサリディナ・ミラードは意見を問う。同僚の一人が質問する間、ラッシュは事務室をぐるりと見渡した。
皆忙しなく動き回り、窓からは時折、廊下を早足で通り過ぎる社員も見える。仕事に対してやる気も熱意もないラッシュにとって、彼らの行動は異常に見えたのだ。
「あのー、俺からもひとついいっすか?」
砕けすぎた口調に、サリディナと同僚は鋭い目線を向ける。しかしその意味に気づく様子もなく、ラッシュは雑談するかのように言葉を続けた。
「ここの人達、なんか皆焦りすぎだと思うんすよ。そんなに急いだって、すぐ疲れるだけじゃないっすか?」
「おいシーウェイ、失礼なことを言うな!」
「それにあの社長、ちょっと怖すぎっすよ。もしかして誰も逆らえない感じ? そんなんじゃあブラック企業だって思われても仕方ねー……」
止めようとする同僚を無視し、思ったことをぺらぺらと口にする。その時、突然肩を掴まれた。振り返ると巨大な男が自分を見下ろしており、ラッシュは一気に青ざめる。その深緑色の瞳は、獲物を見る『狼』のようだった。
「けっ、生意気な口聞きやがって」
社長ギールは自分を睨み、舌なめずりする。「殺される」と思った瞬間、彼は予想もしない一言を放った。
「気に入ったぜ。貴様、今日からここで働け!」
同僚も、事務室の社員達も、皆唖然としている。ラッシュもまた言葉を失い、開いた口が塞がらなかった。
代わり映えしない日常に現れた、野蛮な男。グリーンウルフ社に初めて訪れたその日から、退屈な人生は終わりを告げたのだった。
――
ラッシュがグリーンウルフ社に出向扱いとなってから、半年が過ぎた。
基本的には他の社員と変わらず、事務作業や猛獣の管理、更には掃除のような雑用まで命じられる毎日。仕事への態度が悪いせいか自身への扱いは酷く、専務サリディナからはしばしば叱責される。だが、ギールからは度々同行を求められた。どうやら、身の程をわきまえない失礼な発言が、案外評価されているらしい。
「社長、今日も荒れてんなー」
社長室の窓に目を向けつつ、ラッシュはホットドッグを頬張る。時刻は正午。数名の社員が自席で食事中であり、事務室は閑散としている。しかしギールは席を立つことなく、普段よりも凶悪な顔でパソコンの画面を睨んでいた。
彼が不機嫌なのは訳がある。数日前、この社内で一騒動起きたのだ。ギールと共に取引先に出かけた帰り道、『路地裏の蝶』ラウロと偶然出くわした。彼は社長代理フィードに捕らわれ、RC本社に監禁された『娼夫』だが、謎の失踪を遂げたはずだ。ラッシュから経緯を聞いたギールは彼を気に入り、勝手に社内に連れ帰ってしまった。
帰社した後、ラウロは獣舎内にあるギールの自室に閉じこめられた。しかし翌日、その姿はなかったという。詳しい事情は知らないが、彼を連れこんだ数時間後、フィード本人がラウロを探しに訪れていた。ギールは親会社のトップに近いフィードのことを昔から嫌っている。きっと、自分の知らない間に修羅場が起こったのだろう。
「そんなにガンつけてると、またぶん殴られるぞ」
「へへっ、気づかねーって。それにしてもあの『蝶』、しばらく見ねー間にめちゃくちゃエロくなってたなー」
「ていうかこないだのあいつ、本当に男なのか?」
向かいの席の事務員は、興味深々な様子で身を乗り出す。ラッシュは下品に笑い、上機嫌で語り出した。
「あぁ。見た目は女だがよ、ちゃんとついてんだぜ。しかも信じられねーくらい上手いんだ。そいつとやったら最後、女なんかじゃ満足できなくなるくらい、な」
「まじかよ、化け物じゃん」
興奮する事務員を尻目に、ラッシュは椅子の背もたれに身を投げる。後頭部に腕を回し、大声でぼやいた。
「あーあ、社長ばっかりずるいぜ。俺もやりたかったなー!」
くるくると椅子を回転させていたが、何故か急に動きが止まる。事務室の空気はいつの間にか張りつめていた。
「けっ。貴様みてえな雑魚でも、欲はあるんだな?」
怒りと焦りを含んだ唸り声。ラッシュは自分に向けられる殺気に凍りつく。恐る恐る背後に目を向けると、巨大な獣が、余裕のない瞳でこちらを見下ろしていた。
「そんなにやりてえなら相手してやるよ。ちょうど俺様も、女なんかじゃ満足出来なくなっちまったからな」
掴まれた椅子の背もたれが、ぎしぎしと呻り出す。話は全て聞かれていたのだ。
ラッシュはギールに担がれ、事務室から連れ去られてゆく。今度こそ殺される。そう悟ったラッシュは抵抗も虚しく、獣舎の奥に連れこまれてしまった。
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