18話―1
文字数 4,289文字
一年の締めくくりとなる、十二月三十一日。新年まではあと一時間を切っており、レントは掃除を諦め椅子に深く埋まった。普段なら日付が変わっても作業を続けるところだが、来たる新年は特別な区切りとなる。久方振りに会う同胞に疲れ切った顔は見せられない。
レントは机上に積んだ本の山を寄せ、その奥にそびえ立つ書類の束に手を突っこむ。探り当てた鍵で引き出しを開錠し、現れたのは分厚い日記帳。何十年もの月日を共に過ごした相棒だ。
今日の記録を簡潔に記し、思い出を辿るようにぱらぱらと遡る。大切な『家族』の結婚式、新たな『家族』との出会い、数年振りに帰省した『家族』との楽しい日々。どの記録も『家族』のことばかりだ。
重大な事件に巻きこまれた[オリヂナル]の[家族]は、この『家』を出発した後も窮地を切り抜け、誰ひとり犠牲を出すことなく平穏な日常を取り戻した。
道を一歩でも踏み外したら、悲しい結果となっていただろう。しかし、[家族]を人知れず導いた者がいる。この事実を『聞いた』時は、正直耳を疑った。責任感の強い『兄』や世話焼きな『妹』だけでなく、他者に無関心な『弟』までもが彼らに手を貸したらしい。
天の導きを味方につけた[家族]は、事件解決の立役者となった。いや、彼らだけではない。同じ『家』で過ごした『家族』も皆最大の功労者だ。
大切に育てた教え子達は、関わった全ての者に想いを伝えてゆく。叶うことのなかった平和という『夢』が、ようやく、実現しようとしていた。
「やっと、皆が分かり合える世の中になったよ。セシル」
レントは声にならない声で呟く。すると、鐘の音が書斎中に響き渡った。時計は十二時ちょうどを示している。一月一日、新しい年が始まったのだ。
「そろそろ出発しよう。皆の話を聞くのは、実に楽しみだ」
椅子を回転させ、レントは机の後ろの簡易ベッドに横たわる。そして目を閉じると、体から紺色の煙が滲み出した。
それは空中で渦を描き、大きな水鳥の形となる。静かな夜空を連想させる濃紺。レント・ヴィンス、いや、夜色の[白鳥]ミルドは翼を広げ、ふわりと飛び立つ。その瞬間、煙は跡形もなく消え去った。
――
ポーン島、グレートサンズ山脈の麓。ミルドの分身は、寂しげな岩肌の前に降り立った。この岩の壁は巨大な扉であり、重々しい錠で封印されている。だが錠の穴は潰されており、開ける手段はない。
ここは、ポーン島の部族が代々守り継いできた場所である。[島]の[守護神]であるミルド達を生み出した『神』、バーナリアの宝の在処だ。しかし実際に保管されているのは、ミルドが記した膨大な書物。未来を生きる人間のために、と筆を執ったが、これらを読んだ者は誰もいなかった。
ミルドは分身を煙に戻し、扉の隙間に入りこむ。辿り着いた洞窟には先客がいた。ミルドの同胞である、各地の[守護神]だ。夕日色の[蝙蝠]カルク、砂漠色の[蜥蜴]クィン、雪原色の[栗鼠]フィロ。彼らもミルド同様分身体であり、本来の姿ではなく人型の状態だった。
『わぁっ、ミルドひさしぶりー!』
彼らに倣って
『皆久し振り、元気にしてたかい? ポーンの姿が見えないけど、まだ来てないのかな』
『雑用片づけてから行くって、さっき連絡があったよ』
『弟』のクィンは砂色の髪を掻き回す。前回までの会合では、彼は[蜥蜴]の姿で参加していたはずだ。しかし今はスーツを着た男性の姿であり、このような格好をしているのか、と、ミルドは感心した。
クィンはこちらを見て溜息を吐き、フィロをひょいと持ち上げ目の前に立ち塞がった。
『ていうかさ、最近人間に介入しすぎじゃない? [潜在能力]も[獣の記憶]も教えまくって、挙句の果てには[守護神]だってばれそうになったよね。もしそうなったらどう責任取るつもり?』
盗み聞きしてたのかい、と言いかけたがぐっと堪える。指摘された通り、ミルドは重大なミスを犯していた。セントブロード孤児院の第一期生が卒業する時期だったか。目を介する[潜在能力]を持つ『家族』が、ミルドに能力が通じないことに気づいたのだ。
[潜在能力]の元となる『神』の力を持つ[守護神]は、人間からの[潜在能力]に影響されない。その時は『他者からの[潜在能力]を無効化する』、『他者の[潜在能力]を複製する』という二種の[潜在能力]を持つ、と事実を伏せ難を逃れた。これ以上問い詰められはしなかったが、この失敗以降、発言には気を遣っていた。
『心配はいらないよ。私の能力は例外だ、ってしっかり説明したから、特に勘づかれていないと思うな』
『うむ。あの者達なら無暗に探ることもなかろう』
『はぁー……あのねぇカルク。君は『隕石を食い止めて滅びた』って設定なんだから、そもそも姿晒しちゃだめでしょ』
クィンに呆れられ、『兄』のカルクは不服そうに黙りこむ。クィン人よりも淡い褐色の肌、真っ黒な瞳という『古代のカルク人』の姿。[家族]が帰省する前から、カルクは[蝙蝠]や人間の姿で彼らの旅を手助けしたらしい。
『夕日色の[蝙蝠]を見た』と講義中に言われた時はひやりとしたが、敢えてその意見を否定しなかった。もしそうしていたら、[家族]は『道標』として再び現れたカルクを信じ、後を追うことはしなかっただろう。
『大丈夫よ。もしばれちゃったとしたら、その人の記憶をいじればいいだけなんだから』
『フィロはその辺が適当すぎるんだよ。何十年も女の子の格好続けちゃって、実は化け物じゃないかって言われてるの知ってるんだからね?』
『化け物じゃないもーん!』
フィロはクィンに取り押さえられ、じたばたと抵抗した。カルクはやれやれと額に手を当てている。その様子はまるで本当の『家族』のようで、ミルドは思わず吹き出した。
すると背後から微かな風を感じ、皆一斉に静まった。
真っ暗闇でも眩しい黄金色の粒子が、さらさらと目の前を横切る。書物がぎっしり詰まった本棚の前で粒子が吹き溜まり、背の高い老人の姿になった。もうひとりの『兄』、朝日色の[蜘蛛]ポーンだ。
「皆集まっているな? では、これより会合を始める」
再会の喜びなど微塵もない口調で、ポーンは号令をかける。久し振りとは言っても、たった百年だからね。と、ミルドは困ったように息を吐いた。
[守護神]は百年に一度、この地に集まり会合を行っている。『神話』上の彼らは祈祷のために実体を封印したことになっているが(カルクは飛来した隕石の犠牲になった、とされている)、実際は社会に紛れこみ、人間が暴動を起こさないよう見張っていた。
その原因は、『この世界』が五つの[島]に分断される前まで遡る。人間達が戦に明け暮れた結果『神』の怒りを買い、全ての生命が破壊された。新しく世界を構築した『神』は、現在広く知られている『神話』を取り決めた。そして[守護神]は戦乱を止められなかった罰として、人間達の監視を命じられたのだ。
二度と同じ過ちを繰り返さないよう、[守護神]は意見交換の機会を百年という短い期間内に設定した。連絡自体は離れていても可能だが(クィンが『盗み聞き』したのもこの方法による)、少々時差があるため、やはり直接顔を合わせた方が良い。
前回の会合は、人間達が船で他の[島]に繰り出した頃だった。各地で再び交流が始まると、以前のような『戦』が起こるとも限らない。相談の結果、ポーンは自らが[世界政府]の代表となり、混乱が生まれる前に秩序を形成した。
「報告の前にひとつ。この百年間、実に様々な出来事が発生した。中でもリバースカンパニーの事件については、この場の全員が関わっている。事件が無事解決したのは皆が尽力したおかげだ、本当にご苦労だった」
突然の感謝の言葉に、皆唖然とする。普段のポーンは良い意味でも悪い意味でも情がなく、他者を労うことなど一度もなかったはずだ。
数十秒間の沈黙の後、クィンは恐る恐る口を開いた。
『えーっと……ねぇポーン、前からそんなキャラだったっけ?』
「特に変わった覚えはないが」
『うそー! そんな優しいこと言っちゃって、すっごく変わったわよぉー! カルクとミルドもそう思うでしょ?』
フィロに同意を求められ、ミルド達は大きく頷く。しかしポーンは特に気にすることもなく、「報告を始める」と話を戻してしまった。
「ポーン島では大きな動きがあった。他の[島]の人間が訪れるようになり、全ての部族にて交易が始まった。また、[鍵]の守護者の意志により、錠及び[鍵]の破壊が行われた。私からは以上だ」
ポーンは淡々と報告を済ませる。『[鍵]の破壊』と聞き、ミルドは心が痛んだ。彼がこの地に書物を残したのは、破壊された『歴史』が存在したことを人間に知ってほしかったからだ。
当時の記憶に沈みかけたが、フィロが『はいはーい!』と手を上げたことで、思考は途切れた。
『次はわたしの番ね! フィロ島では特にひどいことは起きてないけど、ダルちゃんとクレちゃ……あっ、若い『狩人』の子たちが、『しきたり』の更新を始めたの。契り方も簡単なのが増えちゃってつまんないけど、『狩人』になる子が増えたからよかったの!』
『契りって確か、[栗鼠]の加護がつくとかでっち上げて、男同士をいちゃいちゃさせるやつでしょ? 『狩人』さん達、ようやくおかしいって気づいたんだね』
『もー、まだやってる子もいるんだから文句言わないで!』
クィンに冷やかされ、フィロは頬を膨らませる。カルクが不機嫌そうに咳払いしたタイミングに乗り、クィンは『次は自分が』と報告を始めた。
『こっちでは[政府]が出来た頃だったかな? 偉い立場を利用して[島]全体を乗っ取りそうな人がいたけど、記憶を弄って止めさせたよ。その後はちょっと危ない『狼』を見つけちゃって、この姿で監視中って訳。カルクはどう?』
『開拓以降、カルク島は様変わりしてしまった。以前とは異なる趣きもあるが、貧富の差は大きく、治安の悪さは否めない。此度のような事件を起こさぬためにも、より一層、民の動向を注視するつもりだ』
鮮やかな赤紫色の長髪を震わせ、カルクは自身を責めるように声を滲ませる。彼がここまで人間を気にかけるのは、やはり『歴史』のせいだろう。リバースカンパニーの事件の首謀者も、『
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