12話―2
文字数 2,027文字
数日後の早朝。ラッシュは事務室のデスクに突っ伏し、呻いていた。始業時刻より二時間も早く、出社している社員は(自分を除き)一人もいない。
「おはよう。また帰れなかったのかい?」
事務室のドアが開き、砂色の髪の男性が入室する。副社長のセドック・ティールは慰めるように、ラッシュの肩を軽く叩いた。
「そうなんだよ。もう限界だって言ってんのに社長の野郎、俺のケツぶっ壊す気かよ……」
「あらー」
セドックは何とも言えない表情で苦笑する。ラッシュは痛む尻を片手で押さえながら、つらつらと愚痴をこぼし始めた。
ギールに初めて襲われた後、結局、昼休憩を過ぎるまで行為は続いた。セドックとサリディナが止めに来たおかげで死なずに済んだが、サリディナからは何故か『社長が感染症にかかったらどうするんだ!』と、激しく叱責された。朦朧とした意識のまま謝ったが、今考えると、あまりにも理不尽な叱られ方である。
しかし、『狼』の欲が治まることはなかった。その日の終業後、ギールは再びラッシュを獣舎に連れこみ、夜が明けるまで放さなかったのだ。ラッシュは自宅に帰ることも出来ず、そのまま出社する。彼を雑に扱う社員達も、この様子には何も言えず、哀れみの目を向けるのだった。
それ以来、ギールは毎晩のように自分を誘う。何らかのハラスメントに当たるのでは、と思うが、ラッシュは断ることなく要求に応じている。一度味わってしまった悦び。病みつきになってしまったのは、相手だけではなかったのだ。
「ていうか、何で俺なんだよ。こんなチビでブサイクな男のどこがいいんだ? 副社長みたいに顔のいい奴じゃだめなのかよ?」
ギールとの身長差は約四十センチ。体格が違いすぎて、悪態をつかれるほどだ。セドックはラッシュのつんつんに立てた髪を弄りつつ、ぼんやりと答える。
「君って社長の好みにばっちり合ってると思うけどな? あの人、媚びてくる人間は昔から嫌いだし」
彼はギールの古い知人であり、グリーンウルフ社設立前からのつき合いらしい。『好み』と聞いて怪訝な顔をすると、セドックは昔を懐かしむように笑った。
「腕っぷしひとつで成り上がったからね。家族もいないみたいだし、注意出来る人は誰もいなくて。でも自分が見た限り、あの人に文句を言ってるのは専務と君ぐらいなんだよね」
ラッシュは目を丸くする。サリディナは自分と同じ二十代後半だが、他のベテラン社員を差し置いて専務に抜擢された人物である。言われてみると確かに、怒りやすいギールをたしなめているのはサリディナだ。だが自分は彼女とは違い、ただ口が悪いだけの男だ。ギールに同行しても喧嘩することが多く、よく殴られる。
これのどこが『好み』なんだよ。質問を返そうとした瞬間、セドックは言葉を被せた。
「それに、あの人はよく遊ぶ方だけど、『毎晩』『同じ人と』過ごしてるなんて初めてじゃないかな。たぶん、ものすごく君に夢中なんだと思うよ?」
思わず口をつぐむ。あの悪夢の昼休憩では抱き潰されただけだったが、夜を重ねる度に、ギールは身体に触れるようになった。セドックには黙っていたが、昨晩は濃厚なキスまでされている。今の自分はどこからどう見ても、『社長の愛人』ではないか。
すると事務室の扉が勢い良く開き、ラッシュは垂直に跳ね上がった。
「おい雑魚! 今朝の給餌当番はお前だろう? 伸びてないでさっさと動け!」
「いっけね、忘れてたぜ……」
サリディナに怒鳴られ、よろよろと立ち上がる。「無理しないでね」と笑うセドックに見送られ、相変わらず尻を押さえたまま、ラッシュは獣舎へと向かった。
――
ギールと関係を持ってから、数週間が過ぎた。ラッシュの身体はさすがに悲鳴を上げ、毎晩行われていた逢瀬は、きっかり一日置きになった(本当は三日くらい置いてほしかったが、聞き入れてもらえなかった)。
だがギールは出張も多く、数日間戻らないこともある。最近はミルド島での大きな取引があり、一週間不在だった。ラッシュは思いがけない休暇に喜んだが、日を追うごとにもやもやとした感情を燻ぶらせてゆく。ギールは今日ようやく帰社し、「呼ばれるだろうな」と思っていたのだが。
「おいラッシュ、今日は無しだ。絶対来るんじゃねえぞ」
廊下ですれ違いざま、業務連絡のように告げられる。ラッシュは「えっ」とその場で固まり、すぐに彼の背に突っかかった。
「おいおいおい、こっちは一週間も待たされたんだぜ? 来るなってどういうことだよ!」
「ごちゃごちゃうるせえな、明日ちゃんと相手してやるから我慢しろ。セド、サリー、今から会議だ!」
ギールはラッシュを振り払い、会議室に入ってしまう。騒ぎを聞きつけ顔を出した管理職二名は、困ったようにこちらを一瞥し、社長の後に続いた。
怒りがこみ上げ、その場で壁を殴りつける。理由もろくに知らされず『来るな』と言われても、納得出来る訳がない。ラッシュはもう、我慢の限界だったのだ。
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