18話―2
文字数 3,507文字
ポーンに促され、ミルドは小さく息をつく。
『ミルド島では、大きな問題は今のところないかな。それより、私からも礼を言わせてほしい。カルク、クィン、フィロ。大切な[家族]を助けてくれて、本当にありがとう』
カルクは口元をふっと緩ませ、フィロは『どういたしまして!』と笑う。クィンは感情の読めない顔でにやけ、ミルドの頭をくしゃくしゃに撫で回した。
『こっちは『狼』を止めたかっただけだし、お礼はいらないって。でもミルド、やっぱり余計なことしすぎじゃない? そんなに『歴史』の手がかりをばら撒いたら、今度こそ消されるよ?』
終わりの日の光景が瞼の裏にちらつく。愛する人間達のためなら命を捨てても構わない。その想いは、当時も今も同じだ。ミルドはクィンの手を止め、きっぱりと断言した。
『覚悟は出来てる。それに、私が消えたとしても問題はないよ。代わりの[守護神]はすぐに補充されるだろうから』
『あの学び舎の子らはどうする? そなたが居らねば、誰が彼らを導くというのだ?』
カルクに鋭く言い返され、ミルドは苦笑する。
世界中の考古学資料は全て、ミルドが編纂したものだ。『歴史』が破壊されて以来、彼は長い時間をかけて『神話』の資料を作成しては各地へと運んだ。また自らも考古学者として、『神話』が正しいとは限らない、という『歴史』に繋がる解釈を伝え続けたのだ。
『多少の心残りはあるよ。それでも、私は『歴史』をなかったことにしたくはない。あの時代を生きた人々の想いは、現代で活きるべきなんだ』
ミルドは本棚に近寄り、無理やり押しこまれた一冊の本を抜き出す。これは当時の日記。図らずも『歴史書』となってしまったが、共に戦った人間達との思い出全てが、この一冊に詰めこまれている。
本を開き、自らの筆跡に視線を滑らせる。照明のない暗闇の中で、ミルドはかつての『歴史』に想いを馳せた。
――――
『神』が現れたのは、百億年近く前のことである。
何もないまっさらな空間に現れた『神』は、新しい世界を創造する前に、眩しい光を放つ太陽を空に掲げた。太陽が浮かんでから沈み、また浮かぶまでを『一日』とし、時間という概念が生まれた。創造の工程は全十二種類。それぞれに約三十日かかったため、『月』という単位で区切っている。
一月には地表を海で満たし、二月には荒れた空気を浄化し、三月には大陸の地盤を形成した。四月から八月にかけては、五つの地方が誕生している。九月には平地を隆起させ山を創り、十月には大雨を降らせ大地に川を流した。十一月には月と星を手中に集め、道標となるよう空に散らした。
十二月には生命の創造を行うため、全体の均衡を丁寧に整えた。最終調整が終わったのは二十四日であり、その日の夜から一日かけて、生命創造のための力を蓄えた。そして残りの六日で原始の生命を誕生させたのだ。
『神』が現れた一月一日から、世界創世が終了した十二月三十一日までを『一年』に区切り、定まった時間の流れの下で世界は動き出した。
「……なんて、こんなの読み返してる場合じゃなかった」
ミルドは分厚い本を閉じ、慌てて立ち上がる。だが仕舞う場所など、膨大な資料で溢れ返ったこの空間にあるはずがない。仕方なく、床上の本の山に重ね直した。
夜色の[白鳥]ミルドは、この地方の秩序を担う傍ら、人間達に世界の歴史を教えていた。彼ら[守護神]が生まれたのは世界創世よりも更に数十億年後であり、『神』の創造を実際に見ていない。ミルドは歴史に興味を持ち、『神』に聞き取りつつ歴史書の作成を趣味としていたのだ。
趣味はいつしか使命に変わり、人間に知識を授けることを生きがいとしていた。しかし、近年は世界中で戦が頻発し、悠長に講義する暇などない。戦の鎮圧に赴く時以外は、執筆に専念していた。
「確かこの辺りに……あった」
目当ての文献を掘り当て、「どのページだったっけ」と呟きつつ机に向かう。『神』に与えられた力が全て発動していれば迷う必要はないが、ミルドは有事の時以外、敢えてその多くを封印していた。
目次と記憶を照らし合わせ、『人間の世界進出』の項を開く。確認したかったのは、[贈与能力]についてだ。
ポーン地方で誕生した人間の一部は、新たな居住地を求めミルド地方に下った。しかし急激な環境の変化に耐えきれず、全滅の危機に見舞われる。ミルドも懸命に対処したが効果がなく、己がいかに無力か思い知らされた出来事だ。
彼らを憐れんだ『神』は、自らの力をひとつずつ分け与えた。怪我や病気が直ちに治る者、身体能力が向上した者、空気中から水を精製した者、など。人間達はこの力を駆使して互いに助け合い、危機を乗り越えた。
この特別な力が[贈与能力]である。一人の人間の命が消える時、[贈与能力]は新たに生まれる命へと受け継がれる。この能力が元でミルド人は繁栄し、世界中へと進出した。
[贈与能力]を持つ生物は、ポーン人を除く全ての人間達。世界中で人間が増え続けた結果、新たな土地を求めて戦争が勃発したのだ。
――コン、コン
突然、扉が叩かれた。ミルドは咄嗟に戦慄し、封印していた能力を解除する。ここは人里離れた森の奥であり、人間には居住地を明かしていない。襲撃か、と身構えたが、周囲から殺気は感じなかった。
ミルドは資料を掻き分け玄関まで移動し、警戒したまま扉を開ける。太陽の光と共に現れたのは、紫紺の髪の青年。幼さの残る顔つきは、ミルドが目に入った瞬間ぱっと華やいだ。
「貴方がミルド様ですね!」
青年は勢い良く跪き、腰に差した剣の鞘が地面にぶつかる。彼は希望に満ちた表情でミルドを見上げた。
「ミルド地方軍北部第三防衛隊所属、セシレール・ブレッズと申します。『神』の勅命に従い、今日から『犬』として、貴方に命を捧げます!」
ミルドは彼の瞳から過去を読み取り、心の中で嘆息する。どうやら『神』は[守護神]達に知らせもせず、難題を押しつけたようだ。
「おーい、セシル!」
森の奥から二人分の叫び声が響く。それから十秒も経たないうちに、声の主が現れた。セシレールと似たような軍服姿の男性と、艶やかな黒の長髪を振り乱す女性。二人は膝に両手をつき、息を切らしている。
「か、勝手に……走るんじゃねえよ……俺らが、追いつけねえって、知ってるだろ……」
銀髪の男性は途切れ途切れに言葉を吐き出し、茶色の瞳でセシレールを睨む。彼は我に返り、二人に謝罪した。
「す、すみません教官! ロミエルもごめん! ミルド様の気配が近くなったので、つい……」
「はぁ? このだらしない男が、[守護神]様だっていうのか?」
「たぶん、セシルの言う通りですよ。未来を見た時、このお方の姿がありましたから」
黒髪の女性は、鈴を揺らすような声で質問に答える。しかし驚いたことに、この人物は男性のようだ。力を封じていたら分からなかったな、とほっとしながら、ミルドは彼らに呼びかけた。
「事情は何となく分かったよ。二人もミルド地方軍北部第三防衛隊所属で、指導教官のグラビス・モリソン軍曹と、参謀兵のロミエル・パール隊員だね。『神』の指示を受けたセシレールについて来た、ってところかな」
息を整えていた彼らは、揃って青ざめる。グラビスは直ちに姿勢を正し、「失礼致しました!」と謝罪した。
「我らもこの戦を勝利に導くため、ミルド様のお役に……」
「あぁ、敬語も『様』呼びもいいから。私は一応[守護神]だけどそんなに偉くはないよ。普段は見ての通り、だらしない研究者だからね」
ミルドは開け放たれた入口を掌で示し、大量の本で埋め尽くされた書斎を見せる。三人はぽかんと口を開けたまま互いの顔を見合わせた。
「じゃ、じゃあお言葉に甘えて。えっと、その部屋、片づけさせてもらってもいいかな?」
少々照れ臭そうに、ロミエルは部屋の中を指差す。足の踏み場もないこの状態は、客人をもてなすどころではない。
「ありがとう、助かるよ。夜が来る前に終わらせちゃおうか」
「ぼっ、僕も手伝います! あと僕のことは遠慮なく、『セシル』って呼んでください!」
「仕方ねえ。他にやることもなさそうだしな」
セシレールとグラビスも賛同し、ミルドは喜んで彼らを迎え入れる。夜はぐっと冷えこみ、野宿するには危険だ。しかし、掃除を急ぐのはそれだけが理由ではない。能力を解放した際、この三人の他にも人間の気配を感じたのだ。
彼らは恐らく、『神』が用意した最終手段。もし使いどころを誤ると、世界はあっという間に破滅するだろう。久々の交流で気分を晴らしながらも、ミルドは来たる困難に備えて、策を巡らすのだった。
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