3話―1
文字数 4,033文字
すっきりとした青空が広がる、爽やかな朝。早朝ということもあり、ビル街はまだ静まっていた。
アビニアとソラは銀色のキャンピングカーから降り、うんと体を伸ばす。二人は今日、ミルド島に帰る予定なのだ。
「朝ご飯くらい、食べていったらどうなのよ?」
車内では[家族]が朝食の準備をしている。玄関先でメイラが呆れ返っているが、二人は同時に口を開いた。
「お構いなく。飛行機の時間もあるし」
言葉が重なり、互いに睨み合う。メイラはぷっと吹き出し、豪快に笑った。
「仕方ないわね。でも何も食べないと倒れるわよ?」
「一口だけでもどうだ?」
エプロン姿のノレインが横から顔を出し、ミートボールが刺さったフォークをこちらに手渡した。いがみ合う二人は我に返る。恥ずかしげに口に運び、同時に「美味しい!」と目を輝かせた。
「あらあら、いい食べっぷりね。気をつけて帰るのよ!」
「風邪引くんじゃないぞ!」
二人はフォークを返し、荷物を手に歩き出した。
「君達も元気でね!」
「じゃあね! またゆっくりお話ししましょ♪」
準備を中断したのか、車内から全員が出てこちらに手を振る。[家族]総出で見送りを受けたアビニアとソラは、広場を後にした。
しばらくすると、アースとラウロに出会った公園に差しかかる。アビニアが市場の方角に向かおうとすると、腕を引き止められた。
「アビ、空港はそっちじゃないよ?」
「せっかくだから市場でお土産を買おうと思って。朝だったら選び放題な気がするんだよね」
ソラは「ふーん」と聞き流し、変装用のサングラスを少しだけずらした。
「じゃあここでお別れね。次会うまでには、ちゃーんと彼氏作っておきなさいよぉ♪」
「余計なお世話だ!」
アビニアを軽くあしらい、ソラは手を振りながら遠ざかってゆく。
「まったく、いっつも一言多いんだから……」
アビニアは呆れたように睨み、苦笑する。喧嘩ばかりしている二人だが、仲は良いのだ。彼女の姿が見えなくなるまで見届けた後、市場へと歩き出した。
「すまない、少々時間をもらえないか?」
その時、背後から誰かに呼び止められた。アビニアは振り返る。灰色の髪の男性が、虚ろな目でこちらを見ていた。
「何? 急いでるんだけど」
「お前さん、『未来を見通す巫女』だよな?」
聞き慣れた言葉に、思わず眉をひそめる。自分は確かに占い師だが、ここはカルク島だ。ミルド島ではそこそこ有名だという自覚はあったが、カルク島では全く活動していない。
何故だろう、とひたすら悩んでいると、ふとある言葉を思い出した。
――今回はなんと、ミルド島からスペシャルゲストが来てくれました! 未来を見通す巫女、アビニアです!
顔から血の気が引いた。通り名を聞くとしたらあの時しかない。この人は[オリヂナル]の公演を見ていたのだ。
「その目で、俺の未来を見てほしいんだ」
彼は切羽詰まった様子で、アビニアの両手を取った。体が強張る。きっと、いや絶対、この人は自分を女性と勘違いしている。
アビニアはその手を振りほどこうとしたが、憔悴しきった灰色の瞳に見つめられ、肩をすくめた。彼の肩越しに時計を見やる。始発便の時間が刻一刻と迫っていた。
「(仕方ないか。困ってるようだし)」
溜息を長々とつき、アビニアは男性を睨んだ。
「分かった。特別に未来を見てあげるよ」
ベンチに腰かけ、商売道具の水晶玉を取り出す。テーブルはなく、膝の上に乗せたが特に問題はない。
「名前は?」
男性はアビニアの目の高さまで腰を下ろした。
「ユノー・ミストリス」
「ユノー、ね。年齢は?」
「四十八」
アビニアは思わず「えっ」と声を漏らす。疲れ切った様子だが、彼はアビニアと同じ二十代後半に見えたのだ。驚かれることに慣れているのか、ユノーは淡々と説明する。
「うん十年前、大きな事故で死にかけたことがあってな。運良く生き返ったがそれ以来、どうも老けたように感じないんだ。……まぁ、それは今関係ないか」
アビニアは右手を顎に添え、考えこむ。命の危機に曝されると[潜在能力]が目覚める場合がある、という話を思い出したのだ。
もし『老化しない』という[潜在能力]が存在するなら、この気味の悪い現象を説明出来る。ミックがこの人を見たなら分かるのにな、とアビニアはぼんやり思った。
「それで? 何に困っているの?」
「仕事を失った」
ユノーは一層暗い面持ちで俯いた。
「宝飾品の加工をする会社に長年勤めていたんだが、つい先日解雇された。俺は独身だ。頼れる親族もいない。新しい仕事も見つからない。頼む。俺が未来で生きているか、仕事が見つかったか、見通してくれ!」
再び両手を取られそうになり、アビニアは退け反った。
「わ、分かったから。この水晶玉をよーく見て」
ユノーはアビニアの膝の上の水晶玉を見つめた。気を取り直し、アビニアは水晶玉に映るユノーの両目を捉える。
「君の未来が見える……」
水晶玉を通して映像が流れ出す。アビニアは[未来透視]による診断結果を、ぽつりぽつりと語り始めた。
「君は狭い部屋に一人でいる。臙脂色の壁に、工具がぶら下がってるようだね。おや、何かを持って立ち上がった。宝飾品のようだけど、何だろう? 階段を上って扉を叩いた。その部屋には、……えっ?」
アビニアは声を詰まらせた。部屋の中には、自分自身がいたのだ。診断中だというのに、あまりの衝撃で言葉が出ない。見えた未来は止まることなく先に進む。
ユノーはアビニアに近寄り、黒真珠の指輪を左手の薬指にはめた。アビニアは困惑しながらも、何故か嬉しそうだ。ユノーはアビニアを抱きしめると、口元に顔を寄せ……
アビニアは未来から目を逸らした。映像は途切れ、穏やかな公園に戻る。心臓の鼓動がうるさい。その未来が何を意味するかは分からず、分かりたくもなかった。
「おいどうしたんだ? 部屋の中には何が」
「きっ、君には教えられない!」
アビニアはユノーの言葉を遮る。水晶玉を慌ててリュックにしまい、逃げるようにこの場を後にした。
「(あれは僕のアパートだ! 何であの人が……?)」
冷や汗が止まらない。アビニアは市場に寄ることも忘れ、空港に向かった。今なら始発便に間に合う。一刻も早くユノーから離れなければ、という考えしか頭になかった。
アビニアが見た未来は、当事者が行動を見直さない限り必ずやって来る。だが、今見えた光景が自分の『未来』だと信じたくなかった。
「(落ち着け。未来は、変えられるんだ……!)」
彼を突き放すことで、『未来』を回避出来る。そう信じたかった。
――
季節は過ぎ、ミルド島に厳しい冬が訪れようとしていた。
アビニアは目を覚まし、カーテンを開ける。窓の向こうの道路にはうっすらと雪が積もっていた。凍えた両手で、薪ストーブに火を灯した。枕の横に置いた眼鏡をかけ、部屋が暖まるのを待つ。
ここは、アビニアが住むアパート兼仕事場だ。元々は路上の占い師だったが、未来を変えられた客がお礼として、この建物をまるごと譲ってくれたのだ。
幅は狭く、両隣は他のビルが建っていたが、住みやすく治安も良い。故郷である
暖房が効いてきたようだ。アビニアはフリース製のガウンを肩にかけ、階段を下りた。
このアパートは三階建てで六戸入っていたが、SBの技師に改築してもらった。自室は三階、広々としたワンルームである。二階にはダイニングキッチンと水回り、そして物置。
一階は外へ通じる玄関が直線上に二箇所あったことから、二部屋になるよう壁で仕切っている。アビニアは公道に面した方の部屋を、占いの館として使っていた。
キッチンに立ち、朝食を作る。背後から何やら音が響いたが、物置代わりの一角から物が崩れ落ちたようだ。アビニアは舌打ちすると、片づける訳でもなく調理に戻った。
「(そういえば……あの時見た『未来』だと、綺麗に片づいてたな)」
淡々と卵を割りながら思い返す。ユノーの未来に映っていた『臙脂色の壁の部屋』は確かにここであり、しかも現在散らかり放題の物置だった。
あの日以来、ユノーは姿を見せていない。彼は生きているのだろうか、と一瞬心配になったが『未来』を思い出し、無理やり思考を追い出した。
「(考えるのはよそう。寒気がする)」
完成したスクランブルエッグとトースト、淹れたてのインスタントコーヒーを手に三階へ戻る。寝室はすっかり暖まっていた。
アビニアが『未来』をどうしても回避したかったのは、理由がある。同級生には『変態』と呼ばれる、男好きの男子が複数いたのだ。
初めて『家』に来た時には既に、同級生男子は全員陥落していた。自分もそうなるのが嫌で、アビニアは[
軽い朝食を済ませ、身支度を始める。占い師『ミルドの巫女』の衣装に着替え、眼鏡を外してコンタクトレンズを装着した。一見寒そうな格好だが、暖房が効いていれば問題はない。
一階が暖まるのを待っていると、玄関からノックの音が聞こえた。そういえば、まだ鍵は開けていない。アビニアはドアに近寄り開錠する。その瞬間、ドアが勢い良く開いた。
「ようやく、見つけた……!」
アビニアは凍りついた。現れた訪問者は随分と痩せこけているが、間違いなくユノーだった。
「な、何で君が⁉ 帰って! 今すぐ帰って‼」
「俺はお前さんを訪ねて来たんだ! 頼む、助けてくれ!」
咄嗟にドアを閉めようとすると、強い力で止められる。次第にみしみしと軋み出したが、ユノーは急に力尽きた。
「え、ちょっと! 大丈夫⁉」
倒れた彼を激しく揺さぶるが、反応はない。もしこのまま放ってしまったら。アビニアは仕方なく、ユノーをアパートに運びこんだ。
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