18話―4
文字数 4,220文字
ムーゼとロミエルを指示役に置き、セシレールとグラビス、ビリーと彼の率いる防衛軍が反乱の鎮圧を担当した。サーシャ、レナ、カントは負傷兵や一般市民の救護に回り、ミルドもまた、戦地を奔走する。息の合った連携が功を奏したのか、ミルド地方内の反乱は数ヶ月で収まった。
他の地方でも[守護神]と[獣]達の活躍により、戦禍は徐々に鎮まってゆく。だが[獣]の集結から一年が過ぎた頃、状況は一変した。カルク地方の[獣]、『烏』が反旗を翻したのだ。
『烏』はカルク地方軍の中将であり、軍全体の指揮とカルクの参謀を両方こなしていた。しかし停戦に向かう状況を良く思わなかったのか、反乱軍を率いて、隣接するミルド、ポーン、フィロ地方へと同時侵攻した。
ミルドは直ちに、セシレールとビリーを北東の戦線に派遣した。そしてムーゼをカルクの補佐役として現地に送り届け、残りの人員で再度勃発した内乱に立ち向かった。
全員生きて帰ってきてほしい。ミルドは強く願ったが、『烏』と対峙したビリーは討ち取られ、更に、カントは救護先で戦闘に遭い命を落としてしまった。
「ミルド、僕はこの任務を降ります」
『烏』の謀反からもうすぐ三ヶ月。戦地のミルド達を訪れたセシレールは、固い声でそう告げた。激昂するサーシャとレナを制止し、ミルドは彼の前に立つ。その紫紺の瞳は出会った頃と変わらず、一片の曇りもなかった。
「もう覚悟は決まってるんだね、セシル」
「はい。こうなってしまった以上……世界中の皆が分かり合えるなんて、絶対に出来ない。軍に戻って、最期まで、故郷のために戦います」
セシレールは何か言いかけたロミエルに首を振り、今にも泣きそうな顔で笑った。
「言いたいことは分かってるよ。僕はたぶん、戻ってもすぐ死ぬ。でも教官や少佐、それにカントとムーゼさんのことを想うと、黙っていられないんだ」
カルクによって『烏』が粛清された数日後、フィロ地方の『狼』がカルク地方を襲撃した。その結果首都は壊滅し、現地で指揮を執るムーゼは未だ消息不明である。また同時期にクィン地方の[獣]達も押し寄せたことで、対応に当たっていたグラビスも犠牲となったのだ。
セシレールは真剣な表情に戻り、サーシャとレナに懇願した。
「ミルドとロミエルのこと、どうかよろしくお願いします。……じゃあ、僕はこれで。今までお世話になりました」
彼は踵を返し、名残惜しそうに、ミルドを振り返る。言葉はなかったが『貴方と共に戦えて、幸せでした』と、想いが伝わってきた。
セシレールは一歩駆け出し、風のように掻き消える。レナは泣き崩れ、サーシャとロミエルは口を結んだまま悲しみに耐えていた。
未来はもう変わらない。先程届いた『神』の宣告を皆に伝えられないまま、ミルドは己の無力さを痛感するのだった。
――――
セシレールとの別れから三日後、『神』は予告通り世界を滅ぼした。
人間達だけでなく周囲の木々や虫、全ての生命が目の前で粒子と化し、宙に消える。残されたのは五体の[守護神]のみ。ミルドは慟哭し、世界を無に返した『神』を、そして戦を止められなかった自身を激しく恨んだ。
生命の再創造を始めた『神』に、ミルドは人間の復活を強く訴えた。しかし聞き入れてはもらえず、『私の命と引き換えにしてでも』と更に食い下がった。
その甲斐があり『神』は人間の復活を許した。だが『二度と戦を起こさせないこと』を条件にされ、もし再び戦乱が起きた場合は相応の処置を取る、と宣言されたのだ。
『神』は[
ひとつは言語。もし再び交流が始まっても争いの種を増やさぬように、ミルド人から派生した人間の言語を『公語(旧
もうひとつは[贈与能力]。初期のように全滅の恐れもあるため、有事にのみ発動するよう封印した。更に[贈与能力]を持たないポーン人や動植物、昆虫にも力を分け与え、『ほぼ全ての生物が保有する特別な力』として[潜在能力]と名を改めた。
[守護神]は生物でもなければ『神』でもない。土地を守るためだけの『生きた機械』だ、とミルドは思っている。
生物のように死ぬことも、『神』のように新たな命を生み出すことも出来ない。破壊された『歴史』を知ってもらおうと散々努力しても、結局、誰にも伝わらないままだった。
最後に日記をつけたのは、セシレールが去った日の夜。最後の一文まで目を通すと、用紙が不自然に縮んでいることに気づいた。それは水滴が乾いた跡に似ている。そしてその端には、慌てて捲ったような皺が寄っていた。
ミルドは気になり、ページを捲る。ここには日記ではなく、この『歴史書』を読むであろう他者に向けたメッセージを残していた。水滴の跡は文章に沿ってあちらこちらに落ちており、まるで、読みながら涙を零したように見えて。
「気づいてしまったか。実は、[鍵]の守護者がこの洞窟を訪れている」
ポーンの一言に、クィンとフィロは同時に『えぇっ⁉』と叫ぶ。彼らが問い詰めようとする前に、ポーンは言葉を続けた。
「彼女はその書物を読み、大変心を痛めていた。そしてこの地を封じ、他者と手を取り合うことで平和を築くと誓ってくれた。『歴史』に関する記憶は消したが、そうしなくとも、彼女は元々ここを封じるつもりだったらしい」
『敢えて見過ごすなど、そなたらしくもない。どういう風の吹き回しだ?』
「ふっ。彼女が『歴史』をどう思うか、知りたくてな」
カルクの質問を受け流し、ポーンは僅かに微笑んだ。
「ミルド。お前の意志は間違いなく、人間に伝わっている。地道な活動があったからこそ、平和を掴み取ったのだ」
ミルドの脳裏に、セントブロード孤児院を設立するきっかけの出来事が浮かび上がる。
作成した資料を埋めに海岸を訪れた際、意識のない二人の人間が打ち上げられていた。その片方は『狐』であり、思わず『歴史』を思い返してしまった。
これまでは資料の編纂や考古学の普及に必死だったが、一方で居場所を失い絶望に暮れる者が後を絶たない。平和を願いながらも、人間達のことは全く見えていなかったのだ。
ミルドは二人を助け、彼らの協力を得て『家』を作り、孤児達の里親となった。そして過去の罪滅ぼしをするように、彼らの教育に命をかけた。
たった百年にも満たない短い期間にも関わらず、教え子達は立派に育ち、世界を揺るがす大事件を食い止めてみせた。ミルドの想いが、『この世界』を変えたのだ。
『ポーン、やっぱり何か変わったよね?』
クィンはにやにやと指摘する。ポーンは言葉を返すことなく表情を崩し、洞窟の入口に歩み寄った。
「さぁ、そろそろ新しき夜が明ける。今後百年の予定を聞かせてもらおう」
扉の隙間からは、僅かに光が差しこんでいる。会合は夜明けまで。新年の太陽が上がると共に、次の百年が始まる。
『予定も何も。自分はまだ『狼』の子守の最中だから、とりあえずはそっちに専念するよ』
『わたしも、やることは変わらないかな。みんなが幸せに暮らせるようにがんばるの!』
『ていうか、いい加減体替えたら? いつか化け物認定されて『狩人』さんに狩られちゃうかもよ?』
フィロはいきり立ち、クィンにぽかぽかと殴りかかる。カルクは深く溜息をつき、彼らを止めることなく発言した。
『新たな体制となったリバースカンパニーを注視しつつ、私の方でも、民を救う手立てを模索するつもりだ。無論仮の姿を使って、な』
「ポーン島も[世界政府]も、しばらく安泰だろう。この姿も長く使い過ぎた。数年のうちに別の姿を用意し、文字通り『代替わり』するつもりだ。……ミルドはどうする?」
ミルドは日記を閉じ、本棚にそっと押しこめる。命を捨てる覚悟はあるようだが、彼にはまだ考古学者として、すべきことがあった。
『ミルド島における[潜在能力]の自然顕在化、それと[獣の記憶]の再発の理由は、まだ判明していない。生徒達の教育を続けながら、もう少し探ってみるよ』
現代の人間には[獣の記憶]はないはずだが、どうやら、[潜在能力]と同様に次々と受け継がれている。生まれながらにして[潜在能力]が発現する理由も不明であり、それらを解明することが、彼の当面の目標になりそうだ。
「では、これにて会合を終了する。皆抜かりなく行動するように」
ポーンの姿は黄金色の粒子となり、洞窟を抜けてゆく。カルク、クィン、フィロの分身も別れの挨拶と共に気体化し、この場から消えた。
ミルドは大量の蔵書を見やり、満足げに微笑む。この文章を読む者が私の他にいたとしたら、これ以上嬉しいことはない。『歴史書』に刻んだこの呼びかけが現実のものとなり、心が救われる思いだった。ここに『歴史』を残し続けたのは彼の我儘だったが、一人でも目を通した者がいたのなら、意味はあったのだろう。
分身を煙に変え、ミルドは洞窟の外に出る。金色の光に包まれた荘厳な夜明け。それは前回訪れた時よりも、眩しく思えた。
余韻をしばし堪能した後、ミルドは再び[白鳥]の姿に戻り、この地を飛び立った。
人間は実に脆く、愚かだ。しかし、彼らは互いを思いやり助け合い、温かな心を持つ愛すべき存在でもある。
世界の再構築から幾千年。私は新しき『この世界』に生きる全ての者の目を通して、『人間』の本質を探ろうとした。中には理解し難い者もいたが、基本的には皆、他者を愛する心を持ち合わせていた。
[守護神]は決して、『生きた機械』ではない。彼らもまた私にとっての『家族』であり、かけがえのない存在だ。彼らの意志が揺るがない限り、『この世界』は間違った方向には進まないだろう。
人間と[守護神]、そして全ての生命が共存する理想郷。かつて思い描いた『夢』は、多くの者の願いを受け、現実のものとなったのだ。
Original dawn prelude
(新たな世界への前奏曲)
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