15話―2
文字数 4,113文字
港町には、旅行客向けの店が一ヶ所のエリアにまとまっている。地図片手に迷っていると幸いなことに、親切な通行人に案内され、そのエリアに難なく辿り着いた。
ナトは道路端に寄り、ズボンのポケットから写真を取り出す。防犯カメラから抽出した、暗がりでも眩しく見える金髪。十代後半の少年にも見えるが、その正体は行方不明とされていた社長の娘であり、標的の一人だ。以前書斎で見たアルバムには彼女の写真が残されていたが、可愛らしい『女の子』の姿だった。
彼女が何故本社を去ったのか、何故『男の子』のふりをしているのか、そして何故[オリヂナル]に身を寄せているのか。その理由はチェスカにも分からず、自分がいくら考えても答えなど見つかるはずがなかった。
写真をしまい、地図を手に辺りを見回す。その時、視界の隅に明るい金色が映った。ナトは一気に緊張する。写真で見た社長令嬢本人が、自分に向かって駆け寄って来たのだ。
「どうしたの? 困っているようだけど……」
彼女は自分と同じ目線まで腰を落とし、顔を覗いてくる。綺麗な緑色の瞳に心を奪われかけたが、ナトは気を引き締め、『接触された場合の対処法』を実行した。
「叔父様の家に用があるのですが、迷ってしまいました」
事前準備のおかげで怪しまれることなく、社長令嬢達はこの場を後にした。ナトは物陰に隠れながら尾行し、港の駐車場に辿り着く。彼女らが銀色の大型バスに乗る様子を見届け、発信器を車体底面に貼りつけた。
チェスカの車に戻り、報告する。彼は『よく頑張りましたね』と嬉しそうに褒めてくれたが、やはり昨日のような憂鬱な表情のままだった。
その後、二人は社長代理フィードと合流し、発信器を頼りに追跡した。ナトは車に揺られながら、物思いに耽る。社長令嬢の傍にはブルドッグと黄色の猿、そしてナトより少し年上らしき三人の子供達がいた。
チェスカの話では、[オリヂナル]は居場所を失った人々を[家族]として迎え入れ、全世界を旅する団体らしい。社長令嬢がいる理由は謎だが、子供達は自分と同じ孤児だと思われる。
港で尾行した時も、彼女らは終始楽しげに会話していた。[家族]はこれまでに、どのような景色を見てきたのだろう。直接質問したい気持ちでいっぱいだったが、ナトは思考を振り払い、目の前に集中するのだった。
――
出張が終わり、ナトは再びRC本社に戻った。チェスカは別件での出張も多く、その度にナトも同行したのだが、ミルド島の子会社、ライズ研究所にて[家族]の子供達と偶然出くわした。
彼らは誘拐された[家族]を助けに来たという。所長ローレンは、研究のためなら罪を犯しかねない危険人物。ナトは彼らに手を貸し、[家族]を無事に逃がしたのだった。
事件後、ナトは気乗りがしないまま、チェスカに騒動の理由を伝える。彼もまた、憂鬱な様子でフィードに報告した。[オリヂナル]の所在は特定済みだ。フィードは『すぐに場所を移すことはないだろう』と判断し、大きな取引が片づく二月下旬に作戦を実行することになった。
ミルド島北部の山間。[オリヂナル]はセントブロード孤児院という施設に滞在していた。[家族]の保護者である夫婦は、この施設の卒業生だ。
調査によると、数ヶ月前からRCを捜査している[世界政府]の男も卒業生であり、夫婦と面識があるらしい。捜査員が周辺に潜伏している可能性があるため、現地に向かったのはフィードとチェスカ、そしてナトの三人のみだった。
施設近辺のキャンプ場に車を停め、ナトとチェスカは買い出しを兼ねた偵察に向かった。その途中、チェスカは不良少年の集団にぶつかってしまう。その弾みで変装目的の帽子が落ち、不良達は彼の長い髪を見て女性と思いこんだのか、チェスカに襲いかかった。
ナトは通りかかった女性警官に助けを求め、間一髪被害を免れた。しかし、その女性も施設の卒業生だった。二日遅れで現地入りしたフィードは、[家族]に勘づかれる前に、とそのまま行動に移してしまう。
後から知ったのだが、フィードは『もう一人の標的』と接触した際トラブルに巻きこまれ、体調を崩したらしい。直ちに彼を連れてカルク島に戻ったが、チェスカは施設の関係者に伝言を残し、[家族]の逃走を手助けしたという。こっそりと語る『父』は、どこか安堵したような、晴れやかな表情だった。
『当船は、あと十分ほどでフィロ島に到着致します。今しばらくお待ちください』
船内放送が流れ、チェスカは「忘れ物がないか、もう一度確認しましょうか」と客室のクローゼットを開ける。ナトも彼に倣い、浴室へ向かった。
窓の外では雪がちらついているが、今は六月下旬。一年中冬の気候であるフィロ島に向かうため、二人は連絡船で移動していた。
旅の目的は出張ではなく、現地で重傷を負ったフィードを見舞うため。彼は[オリヂナル]追跡中に事件に巻きこまれ、他でもない[家族]に助けられたらしい。
現在フィードは退院し、[家族]のキャンピングカーで療養中だ。そう提案したのはチェスカであり、彼曰く、フィードは[家族]と和解したという。正直信じられなかったが、チェスカはこうなることが分かっていたかのように『良かったですね』と微笑んでいた。
「チェスカさん、浴室に忘れ物はありませんでした」
「ありがとうございます。到着するまで、もう少しゆっくりしましょう」
チェスカは窓際のソファーに腰を下ろし、窓の外を眺めている。ナトも彼の向かいに座り、はぁ、と溜息をついた。
「ナト、元気がないようですね。具合でも悪いのでしょうか」
『父』はこちらの様子に気づき、心配そうな顔で見つめてくる。ナトはソファーに埋まるように俯いた。
「[家族]の皆さんに会うことを考えたら、怖くなってきました」
フィードの命令とはいえ、自分達は[家族]を追いつめるために行動したのだ。彼らに事実を打ち明けたら、孤児時代のように酷い言葉を投げられるかもしれない。
しかし、チェスカは温かく微笑み、「心配ありませんよ」と宥めた。
「あの方々は、必要以上に他人を罵倒することはありません。それに、貴方は私の指示に従ったまでのこと。厳しいお言葉を受けるべきは私の方です」
「そ、そんな……」
チェスカは席を立ち、ナトを軽々と抱き上げた。
「[家族]の皆さんは、きっと、貴方を喜んでお迎えしますよ。あの方々の優しさは、直接会った貴方が一番、分かっているはずですからね」
研究所で会った子供達と、港で会った社長令嬢の温かな眼差しを思い出す。不安は拭えなかったが『父』の胸の中は温かく、初めて会った日のように、理由のない安心感に包まれるのだった。
――
フィロ島の港に到着し、二人は森近くのキャンプ場にて[家族]と対面した。開口一番謝罪したが、ナトの心配をよそに、[家族]は熱烈に歓迎してくれた。
ゆっくりする間もなく子供達に連れ出され、雪遊びに誘われる。まっさらな銀世界を見るのも、同世代の子供と遊ぶのも初めてだった。ナトは子供達から教わりながら雪だるまをたくさん作り、夢中になって遊んだ。
フィードの怪我が完治するまで、ナト達もフィロ島に留まる。港町のホテルに滞在する予定だったが、兄貴分の少年モレノに、男子部屋に泊まるよう懇願された。[家族]には自分の正体を明かしておらず、ナトは口ごもってしまう。しかし、チェスカは隠し通すことなく秘密を明かした。
案の定[家族]全員が驚愕したが、社長令嬢のナターシャ(愛称の『ナタル』と呼ぶように、とチェスカに言われていた)は飛び上がって喜び、チェスカ共々女子部屋に招待した。断るつもりだった『父』は自分の顔色を見て、車内に泊まることを決めたのだった。
その日から、ナトは無数の『初めて』を経験した。食事の度に小規模のパーティー並みになり、[家族]と会話しながら料理を堪能したこと。毎日のように外に連れられ、子供達と共にキャンプ場を駆け回ったこと。寝る前の女子部屋にて、ファッションに関する話で盛り上がったこと。
ナトは隙あらば彼らを質問攻めにし、知りたかったことを全て聞き出した。彼女は[家族]と仲良くなるにつれて『女の子』に、いや、『幼い子供』に戻ることが出来たのだ。
「ラウロさん、そろそろ休憩を取ってはいかがですか?」
「おっ、もうこんな時間か。あんがとな」
チェスカはマグカップに淹れたてのコーヒーを注ぎ、テーブルに置く。席に着く人物はスケッチブックから目を離し、彼に笑いかけた。
休憩のために車内に戻ったナトは、リビングにてその光景を目撃した。この人物ラウロは、薄茶色の長髪を緩く纏めた、女性のような見た目の男性である。彼と会話を交わすチェスカは、終始嬉しそうだった。
子供達も次々と帰宅し、チェスカはこちらに気づく。そして人数分のマグカップを戸棚から出し、ぽこぽこと音を立てる鍋に向かった。
「少々お待ちください。もうすぐホットココアが出来上がりますからね」
子供達は歓声を上げ、彼の周りに群がった。帽子に積もった雪を払っていると、遅れてやってきたフィードが「ふん」と鼻を鳴らし、自分を抱き上げてラウロの隣に座った。
間もなく全員にマグカップが行き渡る。「ナトを下ろしてやれよ、可哀そうだろ」とフィードに絡むラウロを見て、チェスカは笑いを堪えていた。
ラウロは『もう一人の標的』である。ナタルの追跡は社長命令だが、彼に関してはフィード個人の問題らしい。ラウロはRC本社に監禁されていたが[オリヂナル]の手助けで逃走し、フィードは諦めることなく、[島]を越えてまで追跡を続けたのだ。
ミルド島の港町で詳細を聞いた時、チェスカはラウロについて『監禁時に少しの間お世話しただけ』としか語らなかった。しかし、彼を見つめるその眼差しは温かく、『ただの知り合い』とはとても思えなかった。
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