9話―1
文字数 2,916文字
心地良い風が吹き、新緑が涼しげに騒めく。商店街に立ち並ぶ街路樹を見上げ、朱色の髪の少年は額の汗を拭った。
彼は昨日、近所の町に引っ越したばかりだ。母親に頼まれ買い出しに来たのだが、十一歳の小柄な体には、両手に塞がる荷物は重すぎる。近くのベンチに腰かけ、しばし休憩していたのだ。
「ふぅ。なんにもないけど、空気はおいしいな」
少年は都市で生まれ育ったが、両親の意向で、自然溢れるこの地で暮らすことになった。ゲームセンターのような、遊べる場所などない山奥。昨日到着した時はショックを受けたが、都会では味わえない新鮮な空気に触れ、少しだけ気分が晴れた。
その時、視界の隅に人影が映った。商店街の入口から、幼い子供達を連れた親子らしき集団が現れた。
少年より幼い三人の子供とその母親、そして、耳より低い位置で二つ結びにした黒髪の少女。淡い色のワンピースを着たその少女は、少年と同年代だろうか。
「ミンちゃんがいてくれて本当に助かったわ。今日も頼んじゃって、ごめんなさいね」
「いえいえ。好きでやってることですから」
彼女らは笑顔で会話しながら、少年の前を通り過ぎる。そのまま店の前で立ち止まり、母親は一人で店内に入った。
「じゃあ、行きましょ!」
「うん!」
少女は子供達と手を繋ぎ、商店街の奥に消えた。この先には確か、小さい公園があったはずだ。きっと母親の買い物が終わるまで、そこで待つのだろう。
「あの子は、なんでこんなことを?」
少年は彼女らの背を目で追いながら、疑問を口にする。三人の子供と母親は親子だろうが、少女とは全く似ていない。他人である彼女は何故、子供達の面倒を見ているのだろうか。
しばらく思いつめていたが、傍らの荷物の存在を思い出し、少年は慌てて立ち上がった。さすがにそろそろ戻らないと、両親に叱られてしまう。
少年は黒髪の少女のことを気にしつつ、商店街を後にした。
――――
午前中の授業が終わり、昼食も済ませた。ミンは自室で持ち物を確認する。ハンカチ、ポケットティッシュ、水筒、そしてソルーノから貰った山盛りのクッキー。それらをリュックに詰めて背負い、鏡で身だしなみを確認する。
「うん。今日も大丈夫!」
鏡の中の自分に笑みを返し、ミンは部屋を飛び出した。
「先生、行ってきます!」
「行ってらっしゃい。気をつけてね」
廊下でレントとすれ違い、挨拶を交わす。親代わりの彼はいつも通り、優しい笑顔で見送ってくれた。
ミンは『家』の外に出ると、建物横に立てかけたライムグリーン色の自転車に跨る。そのまま立ち漕ぎで、町へと続く並木道を走り出した。
彼女は、セントブロード孤児院出身の孤児である。十二年前、生まれて間もない状態で『家』の玄関に放置されているところを、レントに拾われたのだ。
レント達スタッフと生徒、更に『家』を巣立った卒業生は皆、ミンにとって本当の家族だった。しかし、成長するにつれて真実に辿り着く。彼らとは血の繋がりのない、全くの他人であることに気づいたのは、四歳の時だった。
それ以来、ミンは捨てられた自分が生きる意味について悩み続けている。兄のように慕っていたコンバーは、幼い頃から『将来は教師になる』と宣言し、勉学に励んでいた。彼の背中を見続けるうちに、ミンは焦りを感じていたのだ。
自分がやりたいことは何か。考え抜いた末、『困っている人々を助けたい』と思い至ったのである。
「ミンおねーちゃぁーん!」
並木道を通り抜け、住宅街が見えてくる。道路の先で四、五人ほどの幼い子供達が、こちらに向かって手を振っていた。ミンも片手で振り返し、自転車を加速させる。彼らは駆け寄ろうとしたが、二人の母親に止められていた。
「みんな、こんにちは!」
「こんにちはー! ねぇねぇ、はやくあそびにいこーよぉ!」
自転車を降りた途端に囲まれる。母親達は彼らに引っ張られるミンに向かって、慌てて声をかけた。
「ミンちゃん、今日もよろしくね!」
「疲れたら無理しないで、帰ってくるのよ!」
ミンは振り向きながら、精一杯の笑顔で声を張り上げた。
「大丈夫です、ありがとうございますっ!」
この町には移住した家族が多い。就学前の幼い子供を持つ家庭も多く、保育所のないこの地域の商店街では、子連れの母親の姿が目立っていた。ミンは忙しい母親達を手伝うべく、平日の午後、子供達の面倒を見る活動を続けている。
「(今日は五人か。ちょっぴり、不安かも)」
日によって人数は変わるが、今日は普段より多い。幸い車とはすれ違っていないが、歩道は狭く心配である。母親には『大丈夫』と返答したが、やんちゃ盛りの子供達を抑えきれるか、自信がなくなってきた。
「あ、あの……」
突然声をかけられ、ミン達は立ち止まる。すぐ近くの民家の前で、朱色の髪の少年がこちらを見ていた。
「ひとりじゃ大変でしょ? 僕も手伝うよ」
「えっと……その前に、あなたは?」
町の人とはよく交流しているが、この少年に見覚えはない。彼は顔を真っ赤にしながら、慌ててつけ加えた。
「あっ、ぼ、僕はミディ・ホート。最近、この町に引っ越してきたんだ」
ミンは挙動不審な様子に思わず吹き出し、少年ミディに片手を差し出した。
「私はミン・カルトスよ。お手伝い助かるわ、お願いしてもいい?」
ミディは一瞬驚いたものの、大きく頷いてミンと握手する。ミンの周りに群がっていた子供達は、奇声を上げながらミディに抱きついた。
「わーい! ミディおにーちゃん、よろしくー!」
「はやくいこー!」
彼らは二人の腕を引っ張り、急かそうとする。ミンは困ったように笑うミディを見て、何故だかとても嬉しい気持ちになった。
――
今日は週末。子供達の世話は休みの日だが、ミンはいつも通り支度をしていた。お気に入りのワンピースをクローゼットから出そうとするが、今日は森の中を歩くのだと気づきそっと戻す。代わりに色褪せたデニムパンツを出し、溜息をついた。
「せっかくのお出かけだもの。せめて上だけでも、かわいい服にしよう」
ミンはこの後、ミディと会う約束をしている。来週子供達と枝や葉を使った工作をするため、素材を集めに行くのだ。
ミディと子供達の仲は良く、初めて会った日以降も毎日のように、彼はミンを手伝ってくれた。体力の有り余る幼児相手に一人では苦戦しても、二人ならより楽しめる。ミンは日を追うごとに、彼に会うのを楽しみにしていた。
「これで、よしっ」
よそ行きのブラウスを着て鏡の前で一周する。ようやく納得したミンはリュックを背負い、部屋を出た。
「おーい!」
自転車を走らせること十分。診療所から湖に続く遊歩道の手前で、ミディが手を振っていた。
「遅れてごめんね。だいぶ待ったでしょ?」
「うぅん、僕も今来たところだから」
ミンは自転車から降りる。普段ワンピースを着回しているため、デニムパンツはやはり動きやすい。見慣れない姿に、ミディはどこか照れているようだった。
「じゃあ早速、探しに行きましょうか」
リュックを背負い直し、ミンは彼に笑いかける。ミディも笑顔で頷き、二人は森へと歩き出した。
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