7話
文字数 3,669文字
シンプルな鉢植えの観葉植物に、色とりどりの季節の花、更には食用のハーブまで。部屋一面を覆う緑を前に、アンヌは真剣に悩んでいた。自室は今や、ユーリットの植物園で購入した植物で溢れ返っていたのだ。
ユーリットの虜となって数ヶ月、アンヌは知らず知らずのうちに植物を愛するようになった。彼に会うために通い詰め、しばしば商品を購入する。植物が部屋にあると、荒んだ心が癒される気がした。
植物園近所のアパートに引っ越してからは、衝動買いの頻度も増えた。だが、狭いワンルームの格安アパートでは、これ以上物を増やすと床が抜けてしまいそうだ。
「こうなったら、引っ越しね」
植物を減らす気はない。手放したことによる後悔は、嫌というほど味わっていた。『黒猫』だったら、手に入れた物は片っ端から換金していただろう。しかし、ユーリットと出会い、アンヌは変わったのだ。
今出来るのは、常連客となって応援することだけ。彼の大切な物を奪い、『女性恐怖症』という消えない傷をつけてしまった自分は、一生かけて罪を償わねばならないのだ。
アンヌは植物達の手入れを一通り終えた後、新居を求めて部屋を飛び出した。
しかし、現実は甘くなかった。この僻地にはアパート自体少なく、賃貸物件は家族向けの戸建て住宅がほとんどだった。
盗みを辞めた今、収入は日雇いの仕事で得た少ない報酬のみ。家賃を払うだけで、そのほとんどが消えてしまう。また盗みを働こうか、という考えが過るが、ユーリットを振り向かせるには、全うな人間のままでいなければならない。
「はぁー、このまま我慢するしかないわね」
アンヌは溜息をつきながら、アパートの階段を上る。時刻は夕方。一日中探し回ったが、目ぼしい結果は得られず。衝動買いを控えつつ、このまま暮らすのが正しいのだろう。
夕食は何にしよう、などと考えながら、自室のドアまで辿り着く。上着のポケットに入れた鍵を探っていると、隣から何やら物音が聞こえた。
「あれ? あんたは、確か……」
聞き覚えのある声に、アンヌは顔を上げる。赤みがかった黒髪に、茶色の瞳の女性。ユーリットの同級生であり、交番に勤務するウェルダだ。
以前植物園で出くわした時は、ユーリットから事件のことを聞いていたのか逮捕されかけたが、オズナーが慌てて引き止めてくれた。ユーリットも事情説明したことで難を逃れたが、ウェルダは案の定、アンヌの手元を見て眉間に皺を寄せた。
「まさか、この部屋に盗みに入る気じゃ……」
「違うわよ! ちゃんとここに住んでるんだから!」
アンヌはウェルダの眼前に、鍵を突きつける。証拠を見た彼女は「なぁんだ」と、あっさり引き下がった。
「それにしても、あんたが隣人だったとはね。全然気づかなかったよ」
「えっ、あなたもここに住んでるの? 『家』じゃなくて?」
「『実家』にいつまでも居座るなんてカッコ悪いじゃない」
ウェルダは困ったように笑い飛ばす。その時、アンヌは突然あることを閃いた。
「そうだわ! ねぇ。今の部屋、満足してる?」
「いや、狭いし冬は隙間風入って寒いし、引っ越したいとは思うけど他にないからねぇ。それがどうかした?」
アンヌはにんまりと笑みを浮かべた。近所には戸建て賃貸住宅ばかり。一人では手が出なかったら、二人で住めばいいのだ。
「だったら私と一緒に、一軒家をシェアしてみない?」
――
それから数ヶ月。ブロード湖周辺の町も、すっかり雪に埋もれる季節となった。ウェルダはアンヌの提案を快諾し、二人は共同生活を始めた。
一階部分を共用し、二階の二部屋はそれぞれの自室として使っている。料理、掃除、買い出しは当番制としているが、特に問題なく運用出来ていた。
家賃はもちろん割り勘である。引っ越し前よりは若干負担が増えたが、生活費や家事の労力が半減されたため、二人共満足していた。
第一印象は最悪だったが、話してみると意外と気が合うことが判明。二人はすっかり、仲が良い友人となった。
「あああぁぁー、終わったああぁー」
時刻は深夜。一階のリビングでくつろいでいたアンヌの耳に、気の抜けた叫びが届く。それから間もなく、ウェルダがのそのそと姿を現した。
「やっと脱稿したよ。今回はさすがにダメかと思ったー」
彼女は野生のクマと一戦交えたかのように椅子に崩れ落ち、テーブルにぐったりと突っ伏した。
「締め切りに間に合って良かったわね。何か食べる?」
「うん、お願い」
力尽きたまま、ウェルダは声を絞り出す。アンヌはテレビの音量を下げ、キッチンへ向かった。
ウェルダは、いわゆる『腐女子』である。周りには男性同士のカップルが多く、幼い頃から彼らを見てきたせいで、気がついたら自分も腐っていた。というのが彼女の言い分だ。
同居し始めて日が経たないうちにその事実を知り、アンヌは酷く驚いた。『家族』同然であるオズナーの件に関わっていなければ、到底受け入れられなかっただろう。
加えて、ウェルダは漫画やアニメ好きであり、グッズを買い漁るマニアでもあった。元怪盗と一軒家シェア、という危険な提案に即答したのは、彼女の部屋も物に溢れていたから。普段見かける時は気だるげな警官だが、この裏の顔を知る者は彼女の『家族』と、アンヌだけ。
アンヌは冷蔵庫から瓶ビールと余り物の蒸し鶏サラダを出し、テーブルに乗せる。ビールを注いでやると、ウェルダはよろよろと顔を上げた。
「ありがと。アンヌは飲まないの?」
「『猫』だから飲めないわよ」
「あぁ、そうだったね」
ウェルダはグラスを取り、ぐいっと飲む。見ている分には美味しそうだが、[獣]の性質のせいで一切飲酒出来ないのが腹立たしい。アンヌは冷蔵庫からアイスティーと炭酸水を出し、グラスに混ぜ入れた。戻るついでにミックスナッツの大袋を手に取り、自分の席に着く。
ウェルダは定期的に、同人誌の即売会に赴いている。締め切りが近づくと慌てて部屋に籠り始めるが、脱稿後はいつも、このように打ち上げを開いていた。
制作の苦労話や上司の愚痴、世間話で盛り上がり、気づいたら夜が明けていたこともある。それでも、二人はこの時間を楽しみにしていたのだ。
「そういえば、昔[地方政府]の刑事だったのよね? 何でまたこんな何もないところに戻って来たのよ?」
「異動前は会場から近かったのに」というぼやきに対し、アンヌは質問を投げる。[地方政府]の刑事は、[政府]所属の警官の中から優秀な業績を残した者が選ばれる。ウェルダはこう見えて、エリートだったのだ。
「上層部が隠蔽やら着服やらで腐りきっててね、我慢出来なくて告発したら飛ばされたんだよ。まぁ、あんな集団の中でやっていくよりは、こっちの方がよっぽどマシだけどね」
軽い調子で笑い飛ばされ、アンヌは言葉を失う。しかし彼女は気にする様子もなく、笑い話を語るように続けた。
「昔は正義感みたいなものは持ってたけど、今となってはどうでもいいんだ。自分の周りにいる人達さえ守れれば、別に下っ端でも構わないかな」
「それに、趣味に使える時間も多いからね」とつけ加えられる。二人は顔を見合わせ、同時に笑い出した。
「アンヌこそ、最近どうなの? 真剣に調べものしてるみたいだけど、何かやるつもり?」
ミックスナッツを摘まみながら、ウェルダはアンヌに訊ねる。アンヌは最近、時間の合間を見つけては携帯電話にかじりつき、ネットの情報を読み漁っていた。普段とは異なる姿を見て、彼女なりに心配しているらしい。
「えぇ。日雇いの仕事はやっぱり、安定しないもの。私ね、フラワーアレンジメントの資格を取ってみたいの。元孤児ってだけで仕事断られることが多かったから、資格さえ取れれば少しは有利じゃない?」
理由を述べると、ウェルダは「へぇ!」と目を丸くした。
「驚いた。そんなに真面目に考えてたとはね!」
「ちょっと、失礼ね!」
彼女の冷やかしに文句を言いつつ、アンヌは息をつく。
「それに、花に関わる仕事だったら……もしかしたら、ユーリの傍にいられるかな、って」
オズナーとユーリットの心の距離は、日を追うごとに縮まりつつある。加害者である自分は、ユーリットと結ばれる道などないに等しい。しかし、可能性はゼロではない。と思いたかった。
「今のあんたなら、きっと大丈夫だよ」
ウェルダはフッと微笑み、ビールを一気に飲み干す。
「……でも、私としてはオズユリを推したいんだけどね」
「もー! ちょっとは応援しなさいよー!」
不意打ちのエールに涙ぐむのも束の間、腐女子の本音に、アンヌはブーイングを飛ばした。一人で大笑いするウェルダをぽかぽかと殴りつけるが、それは照れ隠しに過ぎない。素直に肯定されたのは、生まれて初めてだった。
また盗みを繰り返すかもしれない、という漠然とした不安は、すっかり消えた。信頼出来る友人を得て、アンヌは『自分の居場所』を見つけたのだ。
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