2話
文字数 2,684文字
眩しい日差しが降り注ぐ昼下がり。ラウロは、銀色のキャンピングカー男子部屋の窓際に腰かけていた。
窓を少し開けているせいか、ビル街の喧騒が僅かに聞こえてくる。しかし、彼は全く気にする様子もなく、右手で何かを弄びながらぼんやりとしていた。
「何やってるの?」
思い悩む彼の姿がふと目に入り、ナタルは声をかける。今この部屋には誰もいない。ラウロは黙って手招きした。
「まさか、あいつのこと、まだ気にしてるの?」
小声で問いただすと、ラウロは頷く。その体は小刻みに震えており、ナタルは唇を噛み締めた。
数日前に[オリヂナル]の公演を行った時のこと。ラウロは公演後急に倒れ、一日中寝こんだ。[家族]には『ただの風邪だ』と言ったようだが、ナタルだけには真実を打ち明けた。自身を探し回る『蛇』と視線がばっちり合い、鋭く睨まれた、と。
彼は正体を隠すために道化師となったが、恐らく、見破られてしまった。そうなると、『蛇』はいつ目の前に現れるか分からない。
ナタルも、その『蛇』に追われる身だ。ラウロから聞いた時は思わず震え上がったが、怖がっている場合ではなかった。ラウロが苦しむ姿は見たくない。ナタルは、命懸けで彼を守ると決意したのだった。
「大丈夫、私が絶対に守ってみせるから」
「……ありがとう」
すると、ナタルは彼の右手に目を留める。視線に気づいたラウロは、手を開いて中の物を見せた。白い石で作られたペンダントのようだ。
「あぁ、これ? 客からもらった『お守り』だよ」
石は滑らかに削られており、縦に長い楕円形をしている。中央には穴が開けられ、その穴に紐を通していた。
ナタルは困惑しながらも首元に手をかけ、服の中から何かを取り出す。現れた物を見て、ラウロは仰天した。
「えっ、ナタル、これって……」
「武術の師匠からいただいた『お守り』なの」
ラウロの『お守り』と全く同じ形状の、黒い石のペンダント。二人は揃って首を傾げた。
「もしかして、あんたの客って……」
「武術の師匠って……」
二人は同時に「レイ?」と訊ね、その人物の名にハッと息を飲む。
「あんたが言うレイって、赤紫色の長い髪で、瞳が真っ黒で、ぱっと見不審者のような?」
「お前の言うレイって、日焼けしてて、何かよく分かんねぇ言い回しを使ってて、はっきり言って変人か?」
沈黙が流れる。その人物の特徴を聞き、二人は同時に溜息をついた。
「どうやら、俺の客とお前の師匠は、同じ奴みたいだな」
「そうね。信じられないけど」
ナタルはラウロの向かいに腰かけ、テーブルに頬杖をつく。レイの『お守り』を眺め、当時を思い出すかのようにフッと微笑んだ。
「ねぇラウロ。もしよければ師匠……じゃなくて、そのお客さんのこと、話してくれない?」
ラウロもまた、『お守り』を弄りながら顔を緩めた。
「俺がレイに出会ったのは、カルク島に来てすぐだったな。そういや、何度も客として現れたのは、こいつだけだったような……やたらと俺の体調を気にかけていて、変な奴だなって思ったもんだ」
彼は思い出し笑いをしながら穏やかに語る。きっと辛い生活の中で、数少ない良い思い出なのだろう。
「お前に助けられて逃げた後、再会したんだ。腹が減って倒れたところを助けてくれたらしい。しばらく、世話になっちまった。今思えば……あの時会わなかったら、ここまで来れなかったかもしれない」
「じゃあそれは、その時にもらったの?」
「あぁ」
ラウロは紐に右手を絡め、『お守り』をぶら下げる。窓から差しこむ光に照らされ、白く輝いていた。
「この護石は災厄を祓い、幸運を招き入れるだろう、ってな。だから肌身離さず身に着けていたんだ。[家族]に出会えたのは、それから数日後くらいか……?」
彼は『お守り』をテーブルの上に下ろし、静かに腕を組む。ナタルは眉間に皺を寄せ、何やら考えこんでいた。
「あんた目当てじゃなかったのかもね」
「え?」
「だって動けないところをただ助けてくれたんでしょ? そんな親切な人、なかなかいないわよ」
ラウロは頭をぽりぽりと掻き、しみじみと頷いた。
「うーん、確かに……」
「私もね、あんたと同じように助けられたの」
ナタルは『お守り』をじっと見つめながら、語り出した。
「あのビルを逃げ出してすぐ、不良に絡まれたことがあったの。あの時は『お嬢様』の格好のままだったから、思うように動けなかったわ」
ラウロは無言のまま口を結ぶ。ナタルは悔しげに拳を握りしめた。
「その時助けてくれたのが、師匠だった。圧倒的な技で不良を懲らしめて、私はこの人に弟子入りしようって決めたの。しばらく修業して、事情を話したら変装も勧められて。この『お守り』は、お別れの時にいただいたのよ」
拳を緩め、『お守り』を覗かせる。窓から差しこむ光に照らされ、黒く反射した。
「師匠と別れた後、私はシャープとフラットに出会った。自分に自信を持てるようになったのも、ひとりじゃなくなったのも、もしかしたらこれのおかげなのかな?」
ナタルは『お守り』を再び首にかけ、懐に滑りこませる。黙って話を聞いていたラウロは、呆れたように笑った。
「俺達がまた会えたのも、『お守り』のせいかもな」
別々の道を歩き出した二人が、居場所を失った人々が寄り集まる[オリヂナル]に辿り着いた。偶然とは思えなかった再会は、もしかすると本当に、偶然ではなかったのかもしれない。
「私はきっと、あんたを守るために導かれたんだと思う。だから絶対に、諦めちゃだめ」
「あぁ」
ラウロは力強く頷いた。ナタルの声援とレイの『お守り』が、彼を勇気づけたのだ。
「ラウロ、そろそろ買い物に行ってくれないかしら?」
その時、部屋の外からメイラの声が飛んできた。ラウロは慌てて立ち上がる。彼はこの後、アースと共に近くの市場まで買い物に行く予定だった。
資金調達のため、[家族]はカルク島沿岸部に向かおうとしていた。ここを離れるのは明日。出発さえしてしまえば、『蛇』に気づかれることはないだろう。
「待って、私も行く!」
ナタルも彼に続き、急いで席を立つ。その反動でテーブルにぶつかり、白い『お守り』が床に落ちた。二人はそれに気づくことなく廊下に飛び出す。誰もいなくなったこの部屋には、重苦しい空気が残った。
そして数時間後、ラウロは『蛇』に捕らわれることになる。彼が『お守り』を持っていないことに気づくのは、残念ながら、全てが終わった後だった。
Before they meet again at home
(皆の知らない空白の時間)
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