6話―1
文字数 2,553文字
整然と並んだデスクでパソコンと向き合う、眉間に皺を寄せた人々。本日は月末で、全員が殺伐としている。時折電話がかかり、応対の声が聞こえる以外はタイピングの音しかしない。
離れたデスクでノートパソコンの画面を睨むフィードもまた、その中の一人である。本社の各部署から大量に送られてきた電子メールに目を通し、添付ファイルの内容確認に明け暮れていた。
フィードがミルド島に上陸してから一週間。出張という名目で、現在も中央部の営業所に出勤している。一ヶ月前に脱走した『路地裏の蝶』ラウロと、彼を救出した社長令嬢ナターシャを連れ戻すため。フィードの真の目的を知る者は、ここにはいない。
標的の二人は[オリヂナル]というサーカス団と共に行動している。彼らの移動手段は大型キャンピングカーであることは確認済みだ。カルク島のあらゆる拠点の監視カメラを駆使した結果、港で発見した。
彼らはミルド島行きの船に乗船しており、上陸したタイミングで接触を計った。しかし捕らえることはせず、『いつでもチャンスはある』と不安を煽るだけにとどめた。
その後、隙を狙って車体に設置した発信器の反応は途絶えた。きっと彼らは、これで現在地を誤魔化せたと思いこんでいるだろう。だが、フィードには目的地の検討はついている。今はただ、蛇のように襲いかかるタイミングを計っているだけのこと。
「社長代理、お客様がいらっしゃいました」
事務員に呼びかけられ、思考が途切れる。フィードは顔を上げ、怪訝そうに眉根を寄せた。
「私にか? 今日は人に会う予定はないはずだが」
事務員は困ったように表情を曇らせる。そしてすぐ側に寄り、耳打ちした。
「[世界政府]の方らしいのですが……」
「ふん」
フィードは不機嫌そうに鼻を鳴らす。思い当たる人物は一人。数ヶ月前から度々本社に現れては、神経を逆撫でするような態度で聞きこみを繰り返す、長身の男。「分かった、ご苦労」と事務員に返し、フィードは事務室を後にした。
エントランスに向かうと、その男が待っていた。黄色のボアつきジャケットを纏い、黄緑色のワイシャツに真っ赤なネクタイという目に痛い服装に、緩くセットされた赤茶色の髪。国際犯罪捜査員のヒビロ・ファインディだ。
「何週間ぶりですかねぇ、社長代理様?」
整った顔には柔らかい笑顔が張りついているが、その両目は全く笑っていない。フィードは再度鼻を鳴らし、ファインディを睨んだ。
「今度は何の用だ」
「どーしても確認したいことがありましてねぇ。出来れば場所を変えて二人っきりで、愛の語り合いでもしたいもんですねぇ?」
「今日は月末で忙しい。大した用でなければ早急に、この場で済ませてくれ」
彼は「つれねーなぁ」と爽やかに笑いながらフィードの肩に手を置き、顔を寄せる。そして、ぞっとするような凄みのある声で囁いた。
「あんたが人を襲ったこと、ここで堂々とばらしてもいいのか?」
フィードの細い目が、怒りで見開かれる。ここはエントランスホール。受付の女性が二人、顔を真っ赤にさせて自分達の様子を伺っている。無理もない。端正な顔立ちの男がまるで誘惑するように、同性に顔を寄せているのだから。
彼女らの視線に気づいたのか、ファインディは爽やかな笑みで手を振る。フィードは苛立ちを抑え、肩をすくめた。
「仕方がない、要求に従おう。ただし十分以内だ」
「話が早くて助かりますねぇ。さぁ、どーぞこちらへ」
ファインディは、手をひらりと外へ向ける。「ふん」と鼻を鳴らし、フィードは彼の後に続いて外に出た。
案内されたのは、駐車場の端。フィードは乗用車の後部席に乗るよう促された。ファインディは運転席に乗り、ふぅ、と息をつく。
「こないだ会った時から、カルク島の本社には帰ってねぇみたいだな。あのかわいこちゃんをまた襲うつもりか?」
バックミラー越しに厳しく睨まれる。その言動にも、先程のようなのらりくらりとした態度はない。
ミルド島で[オリヂナル]を追跡していた最中、フィードは単独行動中のラウロを追った。だが偶然通りかかったファインディに邪魔され、捕らえ損ねたのだ。この男はきっと、ラウロから何らかの情報を聞き出したのだろう。
「ふん、お前には関係ない。そのようなことを確認するために呼び出したのか?」
「いやいや、まさか。ちゃーんと本題はあるのさ」
乾いた笑いの後、ファインディは声を尖らせた。
「御社の関係者が行方不明だ、って噂を以前から聞いていてな。確認したところ、どうやら社長夫人とご令嬢が行方不明らしいな?」
フィードは一層険しく、眉間に皺を寄せる。親子が行方不明となったのは十数年前とされているが、実際は本社で軟禁されていた。二人が失踪したのは数ヶ月前だが、社内ではどちらの情報も、一部の者しか知らないはずだ。
情報が漏れたとすると原因は、捜索に携わる社員がうっかり口を滑らせたか。あるいは、当事者から直接聞いたか。
社長の妻シーラは依然行方不明だが、娘であるナターシャは[オリヂナル]にいる。ファインディがこのタイミングで聞いてきた、ということは、彼はラウロだけでなく[オリヂナル]とも接触した可能性が高い。
黙ったまま睨んでいると、ファインディはバックミラーの奥でにんまりと目を細めた。
「その反応は図星ってとこか? まぁいいさ。社長の右腕のあんたなら、二人の捜索を主導していてもおかしくはない。そーなるとやっぱり、社長代理様みたいなお方が、本社から離れたミルド島に居座ってるのは気になるんだよなー」
「ファインディ、何が言いたい」
彼はへらへらと笑いながら、舐めるような目で全身を眺めてくる。苛ついたように鋭く睨むと、その赤茶色の瞳は一気に冷たくなった。
「行方不明の二人がミルド島にいて、それを追っかけてるってのが妥当なところだろう。でもな。俺は、二人共既に亡くなってるんじゃないかって思うんだよ」
ファインディは振り返る。その顔は、『犯人』を問いつめるような恐ろしい表情だった。
「十六年前、社長と社長夫人の間にトラブルがあったらしいな。夫人と令嬢の消息が途絶えたのはその後だ。行方不明と見せかけて、二人を処分したんじゃねーのか?」
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