1話
文字数 2,433文字
息を飲むほどに赤く鮮やかな並木道。どこまでも続くこの美しい道を、一組の夫婦が腕を組み歩いてゆく。
「二人っきりで散歩するの、何年振りかしら?」
「そうだな、かれこれうん十年振りか?」
メイラの眩しい笑顔に、ノレインは照れて顔を背けた。柔らかな光が、色づいた紅葉を照らす。辺りはほんのり肌寒く、軽やかに澄んでいる。
「懐かしいわね、この景色」
「あぁ。まるで昔に戻ったようだ」
ふと思い出したように、メイラは悪戯っぽく提案する。
「ねぇルイン、『あの向こうには何があるのかしら?』」
「『確かめてみないと分からないな』。今日はまだまだ時間がある。行ってみようか」
夫婦は目を合わせて微笑み、ゆっくりと歩き始めた。
普段の彼らは家事や[オリヂナル]の雑務で忙しく、二人きりになれる時間などないに等しい。しかし身を案じた[家族]が、自分達で家事をやるからゆっくりしてこいと二人を送り出した。
とは言っても行くあてなどない。それに、[家族]だけだと(モレノや双子が何かやらかさないか)心配である。戻ろうかと考えていた矢先、この並木道を発見したのだった。
「もしかして皆は、ここに行かせたかったんだろうか?」
「まさかぁ。この辺りにはおととい着いたばかりじゃない」
ノレインは訝しげに唸り、薄い頭を掻いた。
「あぁ、……そうだよな」
上空を見上げる。二人の目には、あの頃の光景が映っていた。
――――
ある晴れた昼下がり。ミルド島、セントブロード孤児院周辺にも秋が訪れていた。空気は少し肌寒く、午後の眠気を吹き飛ばすほど新鮮である。
ノレインとメイラはブロード湖の畔に腰かけ、景色を眺めていた。赤、黄色、橙、茶色。遥か向こうに見えるのは、見事な紅葉で染まった山々。
メイラは、その景色をぼんやりと見ながら問いかけた。
「あの向こうには何があるのかしら?」
「さぁ、確かめてみないと分からないな」
ふと、とある言葉がノレインの薄い頭を過ぎる。彼らの育ての親、レントの言葉である。
「そういえば……あの山は紅葉の名所だ、ってレント先生が言ってたな?」
「本当? ルイン、行きましょうよ!」
「ぅわッ! メイラ、待ってくれ!」
メイラは勢い良く立ち上がり、ノレインの腕を取って走り出す。二人は笑い合いながら、湖の対岸に見える山を目指して駆け出した。
規則正しく整列する針葉樹林は、いつしか色づいた広葉樹林へと変わった。この林道は、『家』から街へ抜ける唯一の道。綺麗に舗装されていない、緩やかで優しい土の道だ。
「ここを通るのは、何年ぶりかしら」
メイラは感慨深く呟く。この並木道は、レントに連れられ、初めて『家』に向かう時に通る特別な場所でもあるのだ。
「私が初めて来た時は、梅雨の真っ只中だったな」
「あたしは夏だったわ。秋になると、こんなに綺麗になるのね!」
二人は空を見上げる。一面の紅葉の間から、淡い青空と流れゆく雲が見えた。
「ねぇルイン」
背後から呼びかけられる。少し先を行くノレインは、足を止めて振り返った。
「手、繋いでもいいかしら?」
「ぁ……、あぁ、いいぞ」
少し照れながら右手を差し出す。メイラは笑顔でその手を取り、ノレインの横に並んだ。ノレインは彼女の顔を直視出来ず、目を背けながら恥ずかしげに呟いた。
「じゃあ、行こうか」
しっかりと互いの手を握りしめ、二人は再び歩き出す。目の前に広がる真っ赤な道は、まだまだ終わりそうにない。
――――
「えーと、あの後は……」
当時を思い返していた二人。メイラは眉間に皺を寄せ、その後の展開を思い出そうと必死な様子だ。
「確か、結局山まで着かなくて、夕暮れも近かったから引き返したんだったな」
ノレインは苦笑しながら答え、腕時計をちらりと見た。
「昔は時間がなかったが、今日はたぶん大丈夫だろう」
「そうね。まぁどんなに遅くなっても何とかなるでしょ!」
顔を合わせて笑い、あの日と同じように手を繋ぐ。再び歩き出したが、一分も経たないうちに二人の足は止まった。
「あれ?」
目の前に現れたのは大通り。美しく静かな並木道は、少し手前で途切れていた。
「もしかして、ここで終わり?」
「その、ようだな……」
あまりの呆気なさに言葉を失う。互いのとぼけた顔が目に入り、同時に笑い出した。
「ぬはははは、まさかこんな短い道だったとは!」
「何かあたし達、馬鹿みたい! あっはははは!」
メイラは涙を拭いつつ視線を逸らしたが、急に息を飲んだ。そしてノレインを強く揺さぶり、ある一点を指差した。
「ねぇルイン、見て!」
ノレインは驚愕する。並木道の名前が記された看板があり、そこには『St, Browd avenue』と書かれていた。
「セント……ブロード、通り……」
「綴りは違うけど、やっぱりそうよね?」
そう。この場所は二人の故郷、セントブロード孤児院と同じ名前だったのだ。二人は看板に近寄る。説明文が小さな文字で書かれていた。
――昔、この通りの木は疫病でほとんど枯れてしまいました。その光景を見たブロード牧師が木に祈りを捧げると、たちまち綺麗な紅葉に変化しました。人々は彼の功績を讃え、後にこの通りを『聖ブロード通り』と名づけました。
「もしかしたら、この奇跡は牧師の[潜在能力]かもしれないなッ!」
「ふふ、なんだか素敵ね!」
二人は歩いてきた道を眺める。笑顔で送り出した[家族]の姿が、自然と目に浮かんだ。
「あの子達、やっぱりここに行かせたかったのかもね」
「あぁ、多分な」
空を見上げる。紅葉の間から差しこむ光は、いつの間にか夕刻の色を帯びていた。
「もう夕方か。そろそろ帰ろうか」
「そうね。行きましょ!」
二人は再度手を繋ぎ、並木道を引き返す。あの頃見た景色と『思い出』が一気に蘇り、昔話に花を咲かせながら。
彼らの背後で肌を刺すような風が吹き、数枚の紅葉が宙に舞った。冬は、すぐそこまで来ている。
In the maple avenue
(紅葉の並木道で)
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