13話
文字数 3,753文字
春の陽気で賑わう、ミルド島南部の港町。[家族]はキャンプ地としても使われる公園に滞在し、クィン島への出航日を待ちわびていた。
夫婦やラウロが仕事に明け暮れる中、ちょうど三人の予定が空く日があるという。このタイミングを狙い、約半年振りに[オリヂナル]の一般公演を行うことになった。
『家』にいる間練習をさぼっていたモレノは盛大に焦り、慌てて体を慣らし始めている。アースも練習用の水槽(ゼクスから新しく譲り受けた、大容量のビニールプール)に水を張り、毎日体を動かしていた。
「あれ、ミックも練習してる」
休憩のために水から上がると、アースは視線の先に白い弧を見た。銀色のキャンピングカーを背に、ミックがボウリングのピンでジャグリングしていたのだ。
人見知りな彼女は、普段野外練習はしない。この公園は道路に面しているが、それでも気にすることなく、一心不乱にピンを投げ続けている。
アースは梯子を伝って地面に降り、ミックに近寄る。彼女はこちらに気づき、宙に舞うピン達を器用にキャッチした。
「……練習お疲れさま。どうしたの?」
ミックは足元の道具箱からタオルを取り、差し出してくる。アースはそれを受け取ると、濡れた額を拭った。
「前から思ってたけど、ミックの演技、すごく上手だよね」
「ふふ、ありがとう」
彼女は花が咲くようにはにかむ。アースは思わず視線をそらし、照れ混じりに言葉を続けた。
「そ、そういえば、僕が来る前からやってたんだよね? いつから始めたの?」
しかしミックは口をつぐみ、黙りこんでしまう。「どうしよう」と悩んでいると、彼女は不意に微笑み、再びピンを手に取った。
「初めてジャグリングをしたのは、三年前。わたしのお家が火事になる前、パパとママから教わったのよ」
アースは言葉を失う。昨年の晩秋、寂しげな霊園を訪れた記憶が一気に蘇った。
三年前、ラガー家は火事で全焼し、逃げ遅れた全員が犠牲となった。しかし、兄妹は火事の直前に外出していたため、助かっている。二人は外出先でバックランド家と出会った、と聞いていたのだが、その時のことだったのか。
ミックは、複数のボウリングのピンを高々と投げ回す。淡々とジャグリングを続けながら、彼女は静かに語り始めた。
――――
「ミック、なんかおもしれーのが来てるぜ!」
ノックもせず、モレノが部屋に入りこんでくる。ミックは本に栞を挟んで閉じ、兄に冷たい視線を向けた。
「お兄ちゃん、かってに入らないでって言ったでしょ?」
「わりぃわりぃ。ほら、こっちに来て見てみろよ!」
モレノは話を聞かずに窓際まで駆け寄る。ミックは仕方なく彼の隣に移動した。窓の向こうには、両親が整備した公園がある。そこに大きな銀色の車が停まっており、自分達と同じ年頃の子供を連れた家族がいた。
それがどうしたの、と言いかけた瞬間、彼らの横で橙色の物体が立ち上がる。肥満気味の中年男性かと思ったが、よく見ると、立派なたてがみを持つライオンだった。何故か人間のように二本の足で立っており、二人の子供達にふくよかな腹を揉まれている。ミックは信じられない光景に、開いた口が塞がらなくなった。
「なぁミック、おれたちも見に行ってみよーぜ!」
興奮した兄に腕を取られ、廊下に飛び出す。今日は親族一同が集まっている。不在にすると怒られる心配があったが、あの奇妙なライオンを間近で見てみたい。ミックは根負けし、背後を気にしつつおとなしく引っ張られた。
父親の仕事は宝石商。親族全員が家業に関わっており、ラガー家は名の知れた一族だった。今日はこの屋敷で、年に一度の総会が行われる日だ。だが、総会はあくまでもついでであり、会議後のパーティーが本来の目的らしい。
親族には同年代の子供もいるが、ミックは極度の人見知りである。モレノは毎年この時期を楽しみにしていたが、ミックにとっては憂鬱以外の何ものでもなく、一日中部屋に閉じこもっているはずなのだった。
広い屋敷を駆け抜け、ようやく外に出る。豪華な生垣の道を進んだ先に公園があった。先程見かけた家族は兄妹の様子に気づき、視線をこちらに向ける。ミックは一気に緊張し、兄の服の裾を掴んだ。
「すげー! やっぱり本物のライオンだー!」
「あらあら、この子が気になった? 噛みつかないから、思う存分触っていいわよ!」
モレノが目を輝かせて叫ぶと、一家の母親らしき人物は豪快に笑い、二人の頭を優しく撫でた。双子だろうか、良く似た少年達に引っ張られ、兄妹は困惑顔のライオンと対面する。モレノは遠慮なくその腹にダイブし、ミックも恐る恐る手を伸ばす。腹の感触は、父の胴回りと同じ柔らかさだった。
「なぁなぁ、それ何やってるんすか?」
兄は一家の父親らしき人物を指差す。彼はショッキングピンクのオウムを薄い頭に乗せたまま、白い瓶状の物体を数本、ぎこちなく投げ回している。彼はそれを掴み損ね、「ぬはは」と苦笑した。
「これはな、ジャグリングという大道芸だ。練習してるんだがどうにも難しくてな……」
「面白そうっすね! おれもやってみたい!」
「そうかそうか。体にぶつけないように気をつけるんだぞ!」
薄毛の父親から道具を受け取り、モレノは高々と投げた。しかし掴みきれず、自身の頭に直撃する。双子の少年が腹を抱えて笑い転げる横で、ミックは深々と溜息をついた。
「っはー、おれには無理だ。ミック、お前もやってみろよ」
「……えっ」
兄に道具を渡され、ミックは顔を赤らめながら動揺する。夫婦はにっこりと笑い、自分と同じ目線まで腰を下げた。
「あんまり高く上げなければ、やりやすいぞ!」
「ゆっくりやれば大丈夫よ。せっかくだからやってみない?」
双子の少年も、ライオンも笑顔で見守っている。ミックは覚悟を決めて頷き、道具を一本、宙に投げた。それはくるりと回転し、ミックの手のひらに先端が納まる。
「おお、上手じゃないかッ! これだともう一本いけそうだな!」
薄毛の父親に、白い道具をもう一本手渡される。ミックは両手にそれぞれ持ち、見様見真似で、次々と投げ回してみせた。一家も兄も興奮し、歓声を上げている。道具を落とすことなくキャッチすると、彼らは一斉に拍手した。
「すごいわ! あなた、ジャグリングの才能あるわよ!」
「こんなところで凄腕のパフォーマーと出会えるとは、今日はなんて素晴らしい日なんだッ!」
夫婦に褒めちぎられ、ミックは恥ずかしげに俯く。モレノはにやりと笑い、自分の肩を抱いた。
「さっすが、おれの妹だぜ! 天才にもほどがあるだろ!」
ミックは兄を睨むが、嬉しい気持ちでいっぱいだった。習い事でもあるピアノの演奏も褒められると嬉しいが、家族以外の前で披露したことはない。今日初めて出会った一家にこんなにも喜んでもらえたのは、難しい曲を弾き切るより達成感があり、どうしようもなく気分が高揚した。
オウムは何故か、大観衆が沸き立つ音でさえずっている。自然と笑顔が溢れ、ミックは観衆に向かって「ありがとう」と感謝を述べた。屋敷にいる皆にも見せたい。ミックは初めて、パーティーに出てみようかという気持ちになった。
――――
「……あの後に火事が起きて、わたしたちは[家族]になったの。お父さんやお母さん、親戚のみんながいなくなって、さみしかった。だからいっぱい練習して、つらい気持ちを忘れようとしたのよ」
ミックは五本のピンを流れるように投げ回しながら、哀しげに締めくくる。彼女がどれだけ苦しい思いをしたかは、昨年の『命日』で痛いほど分かっていたつもりだった。しかしミックが味わった絶望は、想像を超えるほど深い。アースはまた、その哀しみに気づかない自分自身に怒りを感じていた。
ミックはピンを回収し始める。振り向いた彼女の顔は、哀しみに打ちひしがれてはいない。その栗色の瞳は、希望に向かって輝いて見えた。
「でも今は違うわ。ジャグリングそのものが楽しいの。[家族]もお客さんも喜んでくれるし、家族のみんなもきっと、わたしのそばで見てるはずだもの」
たとえ死に別れたとしても、愛する人はずっと、自分の傍にいる。レントの教えは、彼女の中で生き続けていたのだ。
ミックはふんわりと微笑み、握り締めたままだったタオルをアースの手から取る。濡れた髪をわしゃわしゃと掻き乱され、アースはくすぐったいような、嬉しいような複雑な気分になった。
「おーい、二人とも何やってんだー?」
遠くからとぼけた声が聞こえ、ミックの手がピタッと止まる。公園の入口には、無邪気に手を振るモレノがいた。
「はぁ……お兄ちゃん、いちいち邪魔しないで」
「なっ、なんだよー! 俺、なんか悪いことしたか?」
ミックはげんなりと溜息をつき、兄に文句を言う。しかし、その言動は心なしか、いつもより温かく感じた。
アースはモレノに泣きつかれながら、しみじみ思う。この二人のことをもっと知りたい。[家族]として、より多くの喜びを分かち合いたい。この感情は、アースにとって『希望』への大きな第一歩になるのだった。
First performance by the little jaggler
(彼女の演技が上手い理由)
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