3話―2
文字数 3,786文字
「また倒れられたら困るから、さっさと食べてよ」
アビニアは傍らのテーブルに、インスタントのコーンスープを置く。ユノーは上体を起こすと礼を言い、温かいスープを一口啜った。
ここはアパートの一階、占いの館の向かいにある第二の物置だ。この部屋には元の家主が置いて行った家具が放置されており、その中のソファーに彼を寝かせていた。さすがに自室に連れて行く勇気はない。
「で? カルク人の君が何でここにいる訳?」
アビニアは古い事務椅子にどっかり座り、ユノーを睨む。彼はスープを飲み終えると、恥ずかしげに呟いた。
「あの時の答えを、聞かせてほしい」
思わず「は?」と聞き返してしまった。最悪の『未来』を変えるために突き放したが、逆効果だったのか。ユノーはこちらの様子を気にすることなく、話を続ける。
「未来がどうしても気になって、いてもたってもいられなくて。サーカスで見た時お前さんがミルド島出身だって聞いたから、貯金を切り崩してこっちに来たんだ。未来を見通せるなら、きっと占い師のはずだと思って探し回った。それでようやく、ここに辿り着いたんだ……!」
ユノーは感極まり、腕で顔を覆った。さめざめと泣く彼を前に、冷や汗が止まらない。
「(こ、こんなにしつこい人、初めて見た……!)」
突然勢い良く立ち上がり、ユノーはアビニアの両手を取る。アビニアは心臓が止まりそうになった。
「あの時言ってた臙脂色の壁の家は、恐らくここだ。そして部屋の中にいたのは、お前さんなんだろう? 頼む、俺をここに置いてくれ!」
『未来』を言い当てられ、頭の中が真っ白になる。その弾みで、ユノーの明るい灰色の瞳を直に見てしまった。
すぐにあの時見た『未来』がそっくりそのまま再生される。嬉しそうに彼と抱き合う自分、綺麗な黒真珠の指輪、重なる二人の唇。
断ろうとした瞬間、映像が切り替わった。繁華街の路地裏。酷く痩せ細ったユノーは、建物の壁を背に力なく座っている。やがて力尽き、彼は眠るように……
「……分かったよ」
アビニアは苦しげに呟いた。どんなに嫌な未来が見えたとしても、人を見殺しには出来ない。
「ほ、本当か? ありがとう!」
涙を流して喜ぶユノーを横目に、アビニアは手を乱暴に振りほどいた。
「ただし、今後は一切口出ししないからね」
「あぁ。住む場所さえあればそれでいい! ……えっと」
ユノーは頬を赤く染め、目を泳がせた。[島]を越えてまで会いたかったというのに、名前を忘れてしまったようだ。アビニアはあからさまに呆れ、大きく溜息をつく。
「アビニア・パール。言っとくけど」
「アビニア、これからよろしく!」
『言っとくけど、男だからね!』という決まり文句は、虚しくも遮られる。アビニアは差し出された片手を仕方なく握り返した。
「(さて、どうやって『未来』を変えていこうか?)」
ユノーは複雑そうにはにかんでいる。見知らぬ女性と共同生活をする、という状況に照れているのだろうか。
「(その前に、どうやって僕が男だって分からせようか?)」
アビニアは、人目を憚らず泣きたくなった。
――
数日後。アビニアはいつもの時間に目覚め、朝食の準備をしようと階段を下る。しかし、キッチンには既に先客が。
「おはよう。朝飯だったら出来てるぞ」
ユノーは手を動かしつつ器用に振り返る。ダイニングテーブルの上には、出来立ての朝食が既に用意されていた。
「(僕が作るのより美味しそうなんだけど)」
アビニアは食事を一瞥し、ユノーの背中を睨む。彼は独り暮らしが長いからか、家事全般に慣れていた。食事の準備はもちろん、掃除も進んでやっている(洗濯だけは止めてくれと懇願したが)。生き生きと動き回る彼は、出会った時とはまるで別人のように見えた。
「さぁ、食べるとするか」
ユノーは追加の品をテーブルに置き、自分の向かいに座った。アビニアはポテトサラダを口に入れる。その美味しさに思わず頷くと、ユノーはにっこりと笑った。アビニアは慌てて顔を背け、心の中で恨み言を呟く。
「(うむむ……悔しいけど、すごく美味しい)」
ふと、目線の先に物置の様子が映った。いや、今は『元』物置と言うべきか。大量の物資は綺麗さっぱりと片づけられ、窓の向こうの景色まで見通すことが出来た。
窓の前には小さな作業台が置かれ、壁にはユノーの仕事道具が整然とぶら下がっている。それは、『未来』と全く同じ光景だった。
食卓に視線を戻すが、朝食を前にごくり、と唾を飲みこむ。どんなに不機嫌になっても、朝の食欲には勝てない。アビニアは脇目も振らず食べ始めた。
一方ユノーは朝食を済ませ、食器をキッチンに下げていた。
「俺はもう行くけど、食器はそのままでいいからな。後で片づけに来る」
ユノーはそう言い残し、意気揚々と階段を駆け下りた。
彼は、一階の物置に宝石店を開こうとしていた。アビニアは『一切口出しはしない』とは言ったが、そこは元々使っておらず、貸してくれと頼まれても断る理由はなかった。
この町は山沿いにあり、鉱石の産地として知られている。ユノーは同居を始めた翌日、鉱山に出向き仕入れの交渉をしたらしい。更に宝飾品の販売だけでなく、修理やリメイクもするつもりだ、と楽しげに語っていた。自身の未来を案じていた割には、仕事の計画は頭の中にあったようだ。
「まぁ、そんなに上手くいくとは限らないけどね」
アビニアはひとり、嘲笑した。
空になった食器をテーブルに残し、浴室の洗面台に向かう。無心で歯磨きする中、自分以外の歯ブラシが目に入り顔をしかめた。
無理やり目を逸らして顔を洗う。苛ついたまま顔を上げると、鏡の中の自分とばっちり目が合った。気づいた時にはもう遅い。何度も見た『未来』の映像が、再び流れ出す。
「(やっぱり、変わってない!)」
アビニアは鏡から目を背ける。体が小刻みに震え、歯を食いしばった。
普段は人の目を見ても、[潜在能力]は発動しない。長年の訓練により制御出来るようになったのだが、ここ数日何故か暴走している。鏡に映る自分の瞳にまで反応するのは、今まではなかったことだ。それもこれも原因は。
「……あいつのせい、だよね」
アビニアはがっくりとうなだれ、頭を抱えた。
――
数ヶ月後。冬は更に厳しさを増し、吹雪く日が増えた。
時刻は夜遅く。アビニアは占いの館のドアを開け、看板の表示を『Closed』にひっくり返した。目の前の道路は吹雪で先が見えず、道行く車のライトすら見えない。寒さで震え上がり、急いでドアを閉め鍵をかける。
かじかんだ両手を摩りながら階段を上る。キッチンでは、ユノーが夜食を作っていた。
「お疲れ様。そろそろかと思って、風呂入れといたぞ。今日はじっくり温まった方がいい」
「ありがと」
アビニアは礼を言いつつ、三階に直行した。寝室から寝間着を引っ掴み、二階の浴室に駆けこむ。今日の冷えこみは一段と強く、一秒でも早く湯船に浸かりたかった。
ローブを脱ぎ、ユニットバスのカーテンを開ける。バスタブに足を入れると、熱がじんわりと広がった。アビニアは肩まで湯に浸かり、深々と息を吐く。水面に映った自分の顔を捉えかけ、慌てて天井を見上げた。
アビニアの予想に反し、ユノーの仕事は順調に進んでいた。規格外の鉱石を使った安価な宝飾品が、若い世代に好評らしい。彼の職人としての腕は確かであり、口コミで依頼も増えたようだ。
彼は以前、ミルド島の大手宝石店からスカウトされたが、きっぱりと断った、と笑っていた。何故断ったか、という質問には答えてくれず、ただ真剣な眼差しを向けられたことは、今でも忘れられない。
「(『未来』が、すぐそこまで来てるような気がする……)」
アビニアは下腹部に視線を移す。自分は男である、と伝えるタイミングはなく、日を追うごとに伝える勇気もなくなった。恐らくもう、時間はない。
入浴を済ませ、浴室を出る。キッチンに立つユノーはこちらを見た瞬間、ぱっと目を逸らした。自分は今、乾かした髪を巻き上げ、後頭部の辺りで一纏めにしている。傍から見ると『無防備な湯上り姿の女性』ではないか。
「最近、仕事どうなの?」
アビニアはしかめっ面のまま席に着く。ユノーはシチューを差し出し、落ち着かない様子で向かいに座った。
「以前の俺とは思えないくらい、順調だよ」
「以前?」
シチューの具を掬いながら聞き返す。ユノーは視線を宙に移し、椅子にもたれかかった。
「向こうにいた頃はそりゃあ散々だった。仕事もプライベートも上手くいかないし、外を歩けば事故に遭う。お前は『疫病神』だ、ってよく馬鹿にされたよ。……まぁ、だからクビになったのかもな」
アビニアはシチューを口に運ぶのも忘れ、唖然としていた。今の彼と昔の彼は、どう見ても正反対だ。
「でも、今は違う」
ユノーは自信たっぷりに断言する。そして、アビニアを真っ直ぐ見つめた。
「お前さんと出会ってから、俺は生まれ変わった。いや、未来を変えられたんだ」
違う。『未来』は何ひとつ変わっていない。
アビニアはスプーンを下ろす。事実を伝えるなら今しかない。だが、言葉は出てこない。たった一言伝えるだけなのに、どうしようもなく緊張していた。
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