17話―2
文字数 2,943文字
「ハビータさんに会いたいという方が来てまして……」
「おや、この時間に予定はなかったけど。まぁいいか、お通しして」
事務員は振り返り、来客に呼びかける。パーティションに仕切られた向こう側で、男性らしき人影がむくりと立ち上がった。黒いコートを纏った逞しい背中。撫でつけられた髪は透き通った氷色であり、彼はフィロ人のようだ。
その男性は振り返り、こちらを見る。彼と目が合った瞬間、ダルクは心臓が止まりそうになった。自分の中の『鷹』は、『こいつは『熊』だ!』としきりに叫んでいるのだ。
『虎』であるクレイも黙って震えている。『熊』もまた一瞬顔を強張らせたが、すぐに悲しげな表情に戻り、微笑んだ。
「ハビータなら分かると思って来てみたが、まさかここにいたとは……会えて良かった」
ヨザの仇である『熊』を前にしても、ダルクとクレイは動揺するばかりで、殺意を感じる暇がなかった。彼の顔面には、獣に引き裂かれたような一筋の傷が走っている。その面影も、傷の位置も、昨日見た写真の少年とそっくりだった。
ハビータは一歩前に出る。そして、震える手で『熊』の両腕を掴んだ。
「ベイツじゃないか! あんた、どうしてここに?」
「彼らに会うためだ。今日はヨザの命日だろう?」
「えっ……ヨザのこと、知ってたのかい⁉」
『熊』は悲痛な表情で、重々しく頷く。別人だと思いたかったが、もう認めざるを得ない。『熊』の正体はヨザの相棒、ベイツ・ブラインだったのだ。
ベイツはほんの僅かに表情を和らげ、優しげな声で、自分達に呼びかけた。
「ダルク、クレイ。私を家まで案内してほしい」
クレイは「なんで俺の名前を知ってるんだ?」と言いたげに口を歪ませた。ダルクは黙って頷き、クレイの手を引いて事務室を出る。謎は深まるばかりだが、今の『熊』は自分達を襲う素振りは見せていない。何があったのか、洗いざらい聞き出さなければ。
ベイツは短いながらも昔馴染みと会話を交わしていたが、最後の言葉は何故か、『再会を喜ぶ』ようには聞こえなかった。
「じゃあな、ハビータ。お前と出会えて、本当に良かった」
ダルクの運転で、小屋まで到着する。ベイツは車から降りるなり小屋を見上げ、感慨深く溜息をついた。
「家に入る前に、ヨザに会わせてくれ。あいつには、言いたいことがたくさんある」
クレイは困ったようにこちらを見上げてくる。ダルクは彼に頷いてみせ、「こっちだ」とベイツを呼んだ。小屋の裏手にある、雪に埋もれた塊。それを手で払うと、灰色の石が顔を出した。
ベイツは茶色の瞳を震わせ、墓標の前に跪く。大きな体は小さく縮こまり、静かに震えていた。ダルクとクレイは黙って彼の背を見つめた。ヨザを殺した張本人だというのに、どうしても、その姿は『憎き仇』には見えなかった。
どのくらい時間が経ったのだろうか。三人はようやく、小屋の中に入る。一階は狩猟道具が散乱しており、ダルクは二階に案内しようとしたがベイツに「ここでいい」と言われ、薪ストーブに火を灯した。
彼は想い出をなぞるように部屋を見回す。そしておもむろにこちらに目を向け、口を開いた。
「今日会いに来たのは他でもない。……君達の手で、私を殺してほしい」
ダルクとクレイは同時に息を飲む。以前の自分達なら、頼まれる前に遂行したはずだ。だが彼の過去を知ってしまった今、体は一歩も動かなかった。
ベイツは悲しげに息をつき、自身の両手に視線を落とす。
「知っての通り、ヨザを殺したのは私だ。大切な相棒を手にかけたことも、この七年間、罪を隠し逃げ続けたことも決して許されない。私は死刑よりも無惨な方法で、罰を受けるべきなんだ」
「ちょっ、ちょっと待てよ!」
クレイは今にも泣きそうな声で、割って入る。
「俺達、あんたとヨザが相棒だったことも、あんたがダルクの親父代わりってことも知らなかったんだ! なぁベイツさん、なんでダルクの傍にいてやれなかったんだよ? なんで、ヨザを殺しちまったんだよ⁉」
茶色の瞳が揺れる。ベイツは視線を床に落とし、掠れた声で呟く。
「長い話になる。それでも構わないか?」
「もちろんだ。ヨザのことも……あなたのことも、もっと知りたい」
ダルクは間髪入れずに返答し、クレイも鼻を啜りながら力一杯頷いてみせる。ベイツは観念したかのように溜息をつき、語り始めた。
話の大筋はハビータから聞いた通りだったが、ヨザのことを語る彼は顔がほころび、二人は本当に『相棒』だったのだ、と実感する。
「『狩人』となってからは毎日が充実していたが、同時に恐ろしくもあった。私の中の『熊』は……狩猟を重ねる度に、獲物の血を求めるんだ。止めようと思っても、自分では止められない。時にはヨザを襲いかけたこともあった」
ダルクとクレイは同時に顔を見合わせる。その現象には心当たりがあった。獲物と向き合う最中は気分が高揚し、意識を[獣]に乗っ取られそうになる。『鷹』が暴走したのは数えるくらいしかないが、『虎』は暴れ出すことが多く、ダルクは毎度傷だらけになってクレイを宥めるのだ。
『虎』も『熊』も、元は凶暴な獣。しかし[獣]としての『熊』は、『虎』よりも遥かに危険な存在かもしれない。
「『狩人』になる前、ヨザには私の正体を伝えていた。あいつは『それでもいい』と言ってくれたが、いつ手をかけてしまうかも分からない。だが『狩人』を辞めようと思った矢先、師匠が事故に巻きこまれた」
ベイツが何故若くして『狩人』を引退したのか疑問だったが、彼は元から辞めるつもりだったのだ。師匠だったヨザの父は亡くなり、ベイツの義父は引退した。この状況でヨザを放っておくなど出来なかったのだろう。
「私達はベテランの『狩人』に話を聞いて回った。だが、相棒を狩りの最中に亡くした方や、引退によって独りになってしまった方が多く……何とかしなければ、と思った」
彼はヨザと話し合い、『狩人』を存続させる方法を考えた。その結果、今まで口伝されていた『しきたり』や狩猟の技術を文字として残すことを決め、ベイツは指南書作りに奔走した。そして著書を三冊完成させた後、彼はようやく引退したという。
ベイツはダルクに目を向け、泣きそうな顔で微笑んだ。
「君と初めて会ったのは、[政府]に入り立ての頃だったな。ヨザに強引に呼び出されたあの日は、昨日のように思える。日中は仕事、夜は赤子の世話。実に忙しかったが、三人で暮らしていた時が一番、幸せだった」
クレイは目元を拭い、「へへっ」とにやける。ベイツの眼差しは、間違いなく『父』のものだった。しかし、ベイツは不意に表情を曇らせる。
「出来れば傍にいてやりたかったが、『熊』はそれを良しとしなかった。『鷹』の血を寄越せ、と散々責め立てられ、耐えるのに必死だった。だから[地方政府]への異動を期に、君から離れることにした。私のことを黙っていてくれ、とヨザに頼んだのも、君の命を守るためだ」
実はもうひとり『父』がいる。と聞かされたら、幼い頃の自分ならヨザの目を掻い潜ってでも会いに行っただろう。ヨザは亡くなるまで、いや。亡くなった後も、大切な相棒との約束を守り続けたのだ。
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