17話―3
文字数 3,070文字
ダルクは、ハビータの一言を思い出す。ベイツの義父が亡くなったのも七年前であり、思えば事件の数週間前に、ヨザは『師匠の葬儀に行く』と外出していたはずだ。
「[世界政府]のあるポーン島からは、どんなに速く移動しても一週間はかかる。葬儀には間に合わないが、直接別れを告げたかった。だから後日、ヨザと待ち合わせた」
当時の記憶が一気に蘇り、ダルク達は体の震えが止まらなくなった。ヨザが殺されたあの日、彼は猟銃と狩猟道具を持って『ちょっと出かけてくる』と言い残し、二度と戻らなかったのだ。
ベイツはためらうように数秒沈黙し、苦々しい口調で声を絞り出す。
「ヨザと会うのは二十年振りだった。義父を弔った後、『久し振りに組まないか』と誘われた。『熊』の心配はあったが、私はどうしても、ヨザの相棒に戻りたかった……」
唯一無二の相棒と行う狩猟は、快感に似た中毒性を孕んでいる。それは自分達も痛いほど分かる。ベイツは引退しても、『狩人』の心を忘れられなかったのだろう。
「その時の狩りは、人生の中で最高だった。だが大物を仕留めた瞬間、意識を『熊』に支配された。そして気づいたら、ヨザが、血まみれで……。私はその場で報いを受けるべきだった。だが卑怯にも逃げ帰り、罪を隠してしまった」
ベイツは声を濁らせ、両手で顔を覆う。視界が涙でぼやける中、クレイがすすり泣く音も聞こえる。ダルク達が駆けつけたのはこの直後である。今思うと、最期に見たヨザの顔は、どこか満足げに映っていた。
「考えを改めたのは先月のことだ。告発しようとした妻を殺した男の裁判で、被告人の娘が情状酌量を訴えたんだ。彼女にとって父親は仇であるにも関わらずだ。……その親子を見て決心した。君達の『父』を殺して逃げた私は、やはり、死をもって罪を償わなければならない」
ベイツは自分自身に裁決を下すように、厳しい口調で締めくくる。クレイは彼にしがみつき、「だめだ!」としきりに泣き喚いた。ダルクもふらつく足取りで歩み寄り、ベイツに掴みかかった。
「俺の……いや、俺達の『父』はヨザだけじゃない。ベイツさん、俺達はあなたを殺せない。ようやくもうひとりの『父』に会えたんだ。どうか、生きていてほしい……!」
自分達『息子』の背に一瞬触れ、ベイツは「くっ」と苦しげに呻く。
「やめてくれ、いつ『熊』が暴れ出してもおかしくはない」
「そうなったら俺達が止める!」
クレイは腕の力を強め、彼の胸に埋まる。ベイツはふっと力を抜き、クレイの頭を優しく撫でた。そしてダルクの長い髪にそっと触れ、ヨザが遺したサングラスに大きな手を添えた。
「ダルク、クレイ……本当に、すまなかった」
その瞬間、ダルク達は強い力で振り払われた。二人が床に倒れる間、ベイツは作業台から小型のナイフを抜き取り、そのまま小屋を飛び出してしまった。
二人は弾かれるように彼の後を追う。ちょうど道の奥から市場の売り子ハルモが駆け寄ってきていたが、彼女に構う暇はない。
ベイツは小屋の裏手に回り、ヨザの墓標の前に膝をつく。ダルクとクレイは「やめろ!」と同時に飛び出すが、もう間に合わない。ベイツは自身の喉にナイフを向け、ためらうことなく切り裂いた。
真っ赤な血が噴き出し、ベイツは前のめりに倒れた。自分達の背後で、ハルモが何やら泣き叫んでいる。ダルク達は止血しようとするが、傷は深く、既に手遅れだった。
血の海を泳ぐように、ベイツは墓標へと這い寄る。血飛沫を被った石を大事に抱えこみ、空気の混ざる声で咳きこんだ。
「ヨ、ザ……俺の、罪……は、……これ、で、償える……だろう、か…………」
必死に呼びかけても、ベイツの意識は混濁したまま。そうするうちに彼はまどろみ出し、瞼から力が抜ける。容赦ない吹雪に曝される中、ベイツの体は、次第に冷たくなってゆく。
クレイは吠えるように嘆き、ダルクは悔しげに涙を流す。ハルモは未だにベイツを揺さぶり続けるが、その体はもう、ぴくりとも動かない。
ヨザが亡くなってから七年。仇であり『父』でもあったベイツは、静かに息を引き取った。彼の最期はもうひとりの『父』同様、満足げな表情だった。
――
数日後。ダルクとクレイは朝から、小屋の裏手にいた。
黒ずんでしまったヨザの墓標の隣に真新しい石を据え置き、周りを木の板で囲う。傾斜つきの屋根をその上に取りつけ、作業は終了。簡易的ではあるが、これで雪に埋もれることはなくなるだろう。
ベイツが亡くなった後、ダルク達は警察から聴取を受けた。危うく犯人にされるところだったが、現場に居合わせたハルモが自分達の無実を証言し、難を逃れた。
彼の葬儀も済み、ようやくまとまった時間が取れた。二人の『父』の墓標を前に、ダルク達は目を閉じて静かに祈る。
「そういえばさ。俺達、『酒は絶対に飲むな』ってよく言われたよな。ベイツさんも酒癖悪かったのかな?」
「ふっ、そうかもな」
思わず笑みを溢すと、クレイもつられて笑う。
[獣]は酒や煙草など、化学物質に弱い。今思えば、ヨザは最初から[獣]の弱点を知っていた。『狩人』は酒豪が多く、頻繁に宴席を開く。ベイツはきっと、ヨザが真っ青になるくらい酔っ払ったことがあるのだろう。
「はー……俺達、これからどーすればいいんだろ?」
クレイは雪のちらつく空を見上げ、他人事のように問う。この七年間、自分達は『熊』に復讐するために生きてきた。だが結局何も出来ず、仇はおろか、大切な人もいなくなってしまった。
心にはぽっかりと、大きな穴が開いたような感覚。だが、くすぶる想いがひとつだけ引っかかっていた。
「クレイ。以前から考えていたんだが、指南書を改訂してみたいんだ」
「えっ。指南書ってたしか、ベイツさんが書いたやつ?」
ダルクは大真面目に頷く。突風が吹きつけ、頬に張りついた長い髪を耳の後ろにかけた。
「指南書が出版されたのは三十年以上も前だ。『蛇』と戦った時も思ったが、昔のやり方は、もはや時代が違いすぎる。『しきたり』はその時々で変わるべきなんだ。そうしないと……『狩人』は、今度こそ途絶えてしまう」
ベイツも『狩人』の存続を願い、口伝された『しきたり』を文字に起こすという新しい試みに出た。『狩人』の減少が止まらない今、誰かが立ち上がらなければ。
「そっか、だったら俺も手伝うよ。『親父』達がびっくりするくらい、いい出来にしてやろーぜ!」
クレイはにんまりと笑い、肘で小突いてくる。ダルクは「そうだな」と微笑み、彼の頭をくしゃくしゃに撫で回した。目の前で佇む二人の『父』も、応援してくれているような気がした。
ベイツとヨザが守りたかった、フィロ島の『狩人』。若き『息子』達は彼らの遺志を継ぎ、生涯をかけて啓蒙活動に携わることになる。新しい指南書は改訂の度に全世界に知れ渡り、新たな『狩人』達が誕生するきっかけとなった。
ダルク・グラシア、クレイ・グラシアの名は後世まで語り継がれ、指南書の最初のページに記された言葉もまた、多くの人々の目に触れるのだった。
――親愛なる二人の『父』、ヨザ・グラシア、ベイツ・ブラインに捧ぐ
Decision of "Hunters"
(『狩人』達の贖罪)
(ログインが必要です)