16話―3
文字数 2,710文字
昨日は朝から晩まで訓練に明け暮れ、今朝もまだ暗いうちから体を温めていた。相手は部族最強の男なのだ。勝つためには、一分一秒も無駄には出来ない。
外野の人混みが左右に分かれ、一本の道が空く。かつてない気迫を纏ったガウィが現れ、辺りは一斉に静まり返った。
「実力の差はあるからのう。スコードは反撃不可能になったら、ガウィは一本取られたら負けとする。どうじゃ?」
「あぁ。それでいい」
審判役のヤウィは息子の返答に頷き、木の棒を自分達に手渡した。厳しい条件をつけられてもなお、ガウィは涼しい顔をしている。きっと彼は攻撃すらさせずに、潰しにかかるつもりだ。
「(俺はまだまだ未熟だ。でも、大切な人を守りたい想いだけは、誰にも負けない!)」
トゥーイと結ばれた者は将来、ニグル族長老になるだろう。ガウィから『お前に全てを守る覚悟はあるのか』と叱咤されたことを思い出す。部族を率いる立場の者は、全てを守れるくらい強くなければならないのだ。
観衆には不安げな様子の母や、祈るように見つめるトゥーイの姿が見える。スコードは胸に手を当てた。幼い頃に亡くなった狩猟部隊の父も、見守ってくれているだろうか。
深呼吸で心を静め、スコードは棒を構える。トゥーイの側近になり早一年。全てを守る覚悟など、とうに出来ている。
「準備はよいな? ……始めッ!」
合図と共に、ガウィの姿が消えた。辺りを見回すと真横から薙ぎ払われ、スコードは大きく吹っ飛ばされる。あまりの素早さに目が追いつかなかった。しかし、スコードは空中で態勢を立て直し、着地した反動をばねに飛び出した。
ガウィに斬りかかろうとするが、棒で受け止められる。押し返された隙に強烈な蹴りを喰らい、地面に叩きつけられた。すぐさま突きが迫り、素早く転がって追撃を逃れる。猛攻は絶え間なく続き、避けるのに精一杯だ。
一年前の手合わせでは避けることすら出来なかった。あの時とは違い、ガウィは本気だ。今は何とか避けられているが、体力は徐々に消耗している。このままだと反撃も出来ずにやられてしまうだろう。
スコードは背後に跳躍し、力を溜めて一気に突撃した。体のあちこちに強打が当たるが、構わず棒を振り回す。攻撃はガウィの腕や腿に当たり始め、観衆は「おおっ」と沸き立つ。このままたたみかけて、と思った瞬間目の前が白く弾けた。
何も見えず、何も聞こえない。もやが晴れるように感覚が戻ってきたが、気づいたら地面に伏せていた。脳天を殴られ、気を失ってしまったのだ。幸い、試合はまだ終わっていない。スコードは力を振り絞って立ち上がり、ガウィは再び棒を構えた。
雄叫びを上げて駆け出すものの、視界はぐらぐら揺れている。体は思うように動かない。スコードは攻撃を避け切れず腹に受け、咳きこみながら膝をついた。意識は遠のき、割れんばかりの声援は次第にぼやけてゆく。ガウィはゆっくりとこちらへ近寄る。そして狙いを首に定め、棒を振りかぶった。
「スコ、諦めちゃだめっ‼」
その時、トゥーイの叫びが耳を貫いた。
顔を上げると、精一杯声援を飛ばす彼女の姿が目に入る。犯人と対峙した時も、トゥーイは諦めることなく立派に戦ったではないか。彼女はまだ諦めていない。自分もまだ、諦める訳にはいかない。
スコードは深く息を吸い、棒を高く投げ上げた。ガウィと観衆は反射的に上空を見る。棒は回転しながら宙に留まり、勢いをつけて落下し始めた。
その隙を狙い、スコードはガウィの足を払った。体勢を崩したガウィに凶器と化した棒が迫り、彼は間一髪前転で逃れる。スコードは落ちてくる棒を掴み、迷うことなく振り下ろした。棒はガウィの首元で止まる。彼は背を向けたまま、微動だにしない。
「ここまで! 勝者、スコード!」
ヤウィの宣言から一呼吸置き、大歓声が巻き起こった。ガウィはすっと立ち上がり、こちらを振り向く。その表情は予想に反して晴れやかであり、彼は微かな笑顔のまま右手を差し出した。
「どうやら俺は、お前を見くびっていたようだ。負傷しても最後まで諦めず、確実に勝利を狙う姿勢。実に見事だった」
スコードは呆然としながらも彼と握手を交わす。ガウィは不服そうに息をつき、ちらりと観衆に目を向ける。
「約束したからには仕方がない、トゥーイとの結婚を許そう。全く、スカイルの遺言通りになってしまったのは腹が立つな」
「父さんの遺言?」
父スカイルとガウィは狩猟部隊の同期であり、親友だった。ガウィは怒りと寂しさが混ざる表情で自分を見下ろした。
「あいつは常々、それこそ死の間際ですら『俺の息子を婿に取ってくれ』と言っていた。取るつもりなどなかったが、一年前立ち合った時、お前の太刀筋からあいつを感じた。だから、余計に情が湧いたのだろうな」
大きな手が頭に置かれ、くしゃりと髪を掴まれる。以前の手合わせでは一方的にやられていたにも関わらず、トゥーイの側近になることを許された。更に厳しい修行につき合ってくれたのも、自分と、亡き親友を想ってのことだったのか。
ガウィは咳払いをし、普段の厳格な表情に戻る。
「だが、お前はまだまだ未熟だ。部族の指導者にふさわしい力量になるまで、みっちり鍛え直してやる。覚悟しておけ」
「……はい!」
スコードは背筋を正し、自信たっぷりに返事をしてみせる。その瞬間真横から何かに追突され、スコードは地面に押し倒された。
「ほんとうに……ほんとうにすごいわ! お父さんを倒しちゃうなんて!」
心臓が跳ね上がる。トゥーイが泣きながら嬉しそうに、自分に抱きついていたのだ。ガウィは慌てて彼女を引き離そうとしている。しかしトゥーイはしがみついたまま、離れようとはしない。
「スコ、戦ってくれてありがとう。でも、これからは全部ひとりで抱えこまないで。私だって、あなたの力になりたいの!」
彼女の笑顔は、あの日見た夜明けよりも眩しい。スコードは「そうだった」と心の中で呟き、苦笑する。トゥーイはただ守られるだけの存在ではない。常に外に目を向け、自ら道を切り開く、新しき時代の守護者なのだ。
目の前で繰り広げられる親子の攻防は、まだ終わりそうにない。二人によって体を揺さぶられ、ただでさえ一定しない視界はぐるぐると回り始める。もう終わったんだから早く休ませてくれ。そう思いながら、スコードはゆっくりと意識を手放したのだった。
Little guardian's partner
(守護者の許嫁)
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