休日の午後は美味しいお茶を

文字数 5,044文字

 ずっと言わなきゃいけないと考えていた。
 その時を引き延ばしたって仕方ない。いつかは知られてしまう。引き伸ばすほど、そのいつかが来た時にきっと友人を悲しませてしまうだろう。だから早く言わなきゃと思っていた。なのになかなか言えなかったのは、その事に関して今までに起こった出来事が、本人が思う以上にサクヤの心を苛んでいたからだ。
 思い出せばじくじくと痛む傷のように。
 知らない事が多いヒナに説明する時、きっと色々と教えなければいけないし、自分に起こったことも言わなければならなくなるだろう。考えるだけでそれは吐き気がするほど辛い行為だった。
 だから、だなんて。
 たくさんのことがあっただろうに初日その場で自分の問題を教えてくれたヒナには、申し訳なさ過ぎて言えなくて。
 でも傷はあまりにまだ生々しく痛んで、サクヤの気持ちを重くさせた。考えれば考えるほど、言葉は重りのように胸の中に溜まるままで、それを引き出すことは難しくなっていく。
 どうしよう。
 二人で笑いながら、確かに楽しいと思いながら日々を過ごしていても、心のどこかはずっと重い。
 事情を知る父親は時々そっと「もう話したのか?」と聞いて来たけれど、毎回それには頭を横に振るしか出来なかったし、母親はきっと全部伝わっているのだろう、何も聞いてこなかった。父はきっと問いかけることで背中を押そうとしてるし、母はきっと黙って見守ることで応援してくれている。
 わかっているのに、辛い。
 そんなサクヤの事を、つい先日から頭の片隅で同居している誰かが、気づかないはずが無かったのだ。
「そーいやさ」
 ヒナと、ついでにレイの今日の分の買い物を終わった後、3人で歩き疲れた足を休める為に立ち寄ったカフェで。
 なんでも無い雑談をしていた中で、レイが言った。
「ヒナちゃんは解析過敏って知ってるかね?」
 いきなりのその単語に、もし手にカップを持っていたら落とすところだった。今は何も持っていないけれど、聞こえたそれはサクヤの全身を震わせるには十分だった。
 さぁっと真っ青な顔になった隣の席のサクヤに気づかず、ヒナは予想された返事をする。
「知りません」
「ふむ。まぁやっぱりなってか。ちょっと説明してもいいかね?」
「はい。私はいいですけど、サクヤは……」
 話の流れで隣を見たヒナが名前を呼んだままで言葉を止めた。
 他者の変化には異常に鋭いこの友人のことだ。確実にサクヤの変化に気づいた。気づいて、しかもそれが「問いかけていいものじゃ無い可能性」にまで思い至った。過去にヒナがずっと周囲の顔色を伺って生きて来たからこそ身につけてしまったその「過剰な遠慮」を、自分に使わせたくは無かったのに。
 一言、普段通りの言葉を出せばいいだけなのに。
 それが出来ないくらいに、動揺している。
「じゃあ説明するけど」
 何も気づいてないような顔でレイが喋り出す。きっとここでサクヤが止めれば彼は止まってくれるだろう。話し前に問いかけたのもその為だろう。嫌なら止めろと。
 だが出来ない。
 嫌だ、と思う自分もいる。
 けれど同時に、彼が話してくれれば少し自分が楽をできると気づいている自分もいる。
 何より、ここですぐ言葉が出るほどにそれはサクヤの中で軽いものじゃ無かった。真っ青なまま何も言わないサクヤを、レイの説明が始まったにも関わらずヒナが見ている。
「解析ができる人間には、標準として、届ける力と受け取る力が備わっている。例えるなら届ける力が声、受け取る力が耳や目、って言えばいいかな。解析は己の中であーだこーだするだけじゃなく他人や世界に対しても使う力だから、そういう機能が標準装備されてる」
「私には無いんですよね」
「そうだな。解析不能なヒナちゃんは、解析の世界から見れば、耳も聞こえないし声も出せないし目も見えないって感じだろう。周りが何をしてても見えないし、生まれつきだから見えるということがどういうことかもわからない」
「そうですね」
「で、さっき言った解析過敏なんだが」
 長い袖から器用に指先だけ出して、テーブルの上の菓子を取るとパクッと食べながらレイは続ける。
「これは、今の例えで言うなら、耳とか目とか声が、普通の人よりも機能が強い状態だ。普通を超えて聞こえ過ぎる耳、あまりに遠くのものまで見え過ぎる目、普通に出してるつもりでも周囲が耳を塞ぎたくなるくらいに大き過ぎる声、生まれつきでも後天的でもだが、そういう状態にある場合を総じて解析過敏と言う」
 さすが、解析の世界で極めて重要な何かの存在であるらしいレイの説明は、淀みなく、正しく、学校などの授業よりもはるかにわかりやすい。何も知らないヒナへの説明だから配慮しているのもあるのだろうが、とても淡々と彼は説明をする。
「ヒナちゃんの解析不能と違うのは、この解析過敏には大きな個人差があるってとこだな。耳だけのやつもいれば目だけのやつ、複数持ってるやつもいる。強弱すら個人差があるから、一概に解析過敏といっても置かれてる状況は違いすぎている」
「そうなんですか」
「例えば俺やケセドは全部込みの超強度な解析過敏だ」
「え?」
「え?」
 ここで。
 やっとサクヤは声が出た。
 ここまでずっと、どういうつもりか知らないけれど、目の前の青髪の男はサクヤだけの話をし始めたのだと思っていた。だから震えていたのに。混乱しているサクヤに、菓子をさらに取って食べながらレイは続ける。
「俺も、セフィラも、そういう存在だからな。人間が生まれつき稀にもつ解析過敏の域は余裕で超えた感じが、俺たちの状態だ。解析に関しては見え過ぎるし聞こえ過ぎるし声が大き過ぎる。世界中が見えるし世界中が聞こえるし普通の声が世界中に届く、そんな感じか」
「……だって。そんな。そんな風には」
 見えなかった。
 ケセドもレイも、サクヤは交流したことがあるし、もっと言えば彼らはどっちもサクヤの前で解析を使っている。サクヤが見た彼らは、そういう様子を欠けらも見せなかった。どう考えても「普通」だった。
 サクヤに対してすら、普通だったのに。
 呆然と呟くように言ったサクヤに、指先についた砂糖を舐めつつレイが笑う。
「全部な。解析過敏の全部は、訓練さえすれば、適当な感じに普通っぽく見せられる程度に出来るんだよ」
「訓練、さえ、すれば? 絶対、に?」
「絶対に」
 ヒナがじっと見守り、サクヤが動揺する中。
「疑うならばアイン・ソフ・オウルの名において宣言しようか。解析過敏はぜーんぶ誤魔化せる。これは世界の理だ」
 お茶を飲み干してレイがとうとうと抑揚を抑えて語り上げる。
「見え過ぎるものは見ないふりができる。聞こえ過ぎるものは聞こえないふりができる。大き過ぎる声はささやくことができる。その加減は個々人で把握して訓練しなければならないが、全部普通の範囲に誤魔化せる。その証明が俺でありケセドだ」
 言いながら、空になったカップを高々と片手で上げて、レイがちらっとカウンターの方を見た。
 何かをしていた老紳士がそれに気づいてにっこり微笑んで頷いて、また何かを用意し始める。どうやらお代わりを要求したらしい。ヒナと出会った初日にやってきたこのカフェは、今日も静かだ。サクヤたち以外の客は各々離れた場所で本を読んだり日向ぼっこに興じている。
「さてヒナちゃん。ここまではお分かりかね?」
「はい」
「で、説明がもうちょい続くんだが。解析過敏ってのは、解析不能までとは言わんが一般的に嫌われる。人間、普通に理解しづらい相手は嫌うやつが多い。ここまでの話で、なんで解析過敏が嫌われるのか予想はできるかね?」
 レイは、何を話そうとしているのだろう。
 サクヤには本当にわからない。まだ理解が追いつかないが、ヒナは少しだけ思案した後で、躊躇いがちに言う。
「…………見られたくないものを見られる。聞かれたくないものを聞かれる。声が大きすぎて辛い。そんな感じですか」
「そうだ。道端の会話を通りすがりに聞かれるなら誰もが自業自得と思うだろう。でも自宅の中、窓も閉めてて普通の通行人ならまず聞こえない声で会話してる内容が筒抜けな相手がいる、なんて知ったら、相手の事情なんて知った事なく嫌悪感を感じる人はいるわけだ」
「なるほど。でも、それは、解析過敏の人だって、きっと望んで聞いたわけじゃないですよね」
「そうだな。訓練すればって言ったが、逆に言えば訓練しなきゃ嫌でも聞こえるもんをどうこう言われるのは、堪えるな。俺はその気持ちはわかるし、全然違うとはいえどうしようもないことを言われる辛さなら、ヒナちゃんもわかるだろ」
「はい。それは、とても」
「でも、嫌悪感を感じたやつが絶対の悪人じゃない、ってのもわかるな?」
「…………そう、ですね」
「この世には絶対の悪人も絶対の加害者も絶対の被害者もほぼいねーからな。そりが合わない同士は無理せずに距離を置くのが一番だ。それはともかく」
 老紳士がお茶のお代わりを持ってきた。今度は、数杯は飲めそうな大きめのポッドも一緒に。
 それと入れ替えるように持っていた空のカップを渡し、レイは更に空になっていたお菓子の皿も渡した。受け取って老紳士が一礼をして去っていく。
「ここまで言えばヒナちゃんはもう察しただろうけど。サクヤちゃんは解析過敏だ」
 ビクッと体が震えた。
 いつか自分で言わないと思っていたそれを、目の前の男にあっさりと言われるなんて思っていなかった。でも止める言葉が出てこない。ここまで来てもなお、知られてしまった恐怖と、自分で説明しなくていいという身勝手な安堵と、色々な感情が心を渦巻く。
 そんなサクヤを前に、本当に些細な話をするような表情で、更にレイが言葉を重ねる。
「昔そのせいで周囲とちょっとあって、それを安易に周りへ言い出し辛い位の経験をした。今でも言葉にするのはまだ痛い位には」
「レイさんっ!!」
 急に、ヒナが声をあげた。
 普段大きな声をあまり上げないヒナの店中に響くような声に、サクヤは驚いて隣を見る。そこで初めて気づいた。ヒナの表情の変化。
「もういいです。それ以上は、言わないで良いです」
 酷く、怒っている。
 それはそうだろう……ヒナには初日に告白させておいて、自分はここまでずっとうだうだと伝えるのを引き延ばしたのだ。いくらヒナが優しくても、腹が立つくらいはありえる。寧ろ、あのヒナがここまで感情を出せていることに喜ぶべきだろうか。
 その対象が自分だと思うと、酷く切ないけれど。
 当然の報いだ、とサクヤは思ったが。
「これ以上、サクヤを追い詰めないで」
 続いたヒナの言葉に、思考が止まった。
「私の大事な友達なんです。レイさんでも、これ以上するなら、許しません」
「へぇ? じゃあどうするの?」
「後は、いつかサクヤに聞きます。私に何が出来るかは、ケセドにも聞きます。レイさんがこの後言うべきはサクヤに私が出来ること、サクヤが出来る訓練で、今ここでサクヤの過去を私に暴くことじゃない。私も、多分サクヤも、それを望んでない。だから、その話はもう終わりです」
 激しい怒りを見せながら、なのに怖い程に静かな声で、ヒナはそう言い切った。
 そしてはぁっと大きな息を吐いて、自分の分のお茶を飲み干した後、怒りを消した。
「でも、ありがとうございます。お陰で、心の準備が出来ました」
「おう。まーあれだ。全部年寄りのお節介ってやつだから、若者は『よけーなことしやがって』って思う位で丁度良いさ」
 まだ湯気が上がる新しい茶を啜りながらレイが肩を竦める。

 この友人も。
 そして自称年寄りも。
 本当に……なんてことを、してくれたのだ。

「私は別に思わないですけど……サクヤ?」
「……え? げっ、ちょ、待て」
 レイから視線を移して言葉を発しないサクヤの方を見たヒナと、ヒナから視線を移してサクヤを見たレイが、ほぼ同時に酷く驚いた顔をする。特にレイの方は、今すぐこの場から逃げたいという顔になっているけれど……そんなの全部自業自得だ。逃さない。
 乙女を弄んだ報い、きっちり受けて貰わなければ。
 理由?
 そんなもの一つでいいだろう。
 よけーなことしやがって、だ。
「うわああああああああああんっ」
 まるで子どものように。
 人目も憚らずに大声で泣き出したサクヤを前に。
 泣く子をあやす経験が実はほぼないヒナとレイが、どうにか慰めようとしてわたわたと長時間に渡って苦労する姿を、店の主人である老紳士は顔色一つ変える事なく見守った。
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