二日目の夜 2

文字数 2,417文字

 夕飯が終わった後。
 まだ少し仕事をする、というケセドに、邪魔をしないようにと部屋に戻ろうとしたヒナは引き止められた。側においで、と手招きされて一度は遠慮したけれど。
「会話しながらでも仕事は出来るし、今日のことを聞きたいしね」
 そう言われれば断る理由もない。
 促されるままに、ソファーに向かい、彼の隣に座った。
 ヒナが座ったのを確認したケセドが手を伸ばしてくる。緊張してその手の動きを見守ったヒナは、それが自分の頭にぽんっと乗ったので一瞬ビクッとなった。それは伝わったはずなのに何も言わず、ケセドは片方の手で彼女の頭を撫でながら、空いた方の手を宙に伸ばす。その指先から光る線が出て、ヒナには読めない何かの文章のようなものがざあっと流れ出した。それは次々と現れては消えていく。文章以外にも何かの図形が次々出ては消えた。
 そっと伺って見たケセドは、ずっと目でそれを追っているようで。
 解析で何かを始めた、のはわかるが、何をしてるか、は全くわからない。
「昼間の、サクヤという子とは、仲良くなれそうかい?」
 だが、何かをしながら話しかけてくれる。会話しながらでも出来ると言った手前、無言でいる気はないのだろう。
 本当に会話をするらしいので、ヒナも素直に答える。
「はい。私のこと知っても、仲良くしてくれそうで嬉しいです」
「そっか。僕のことは何か言ってた?」
「すごく偉い解析士だって教えてもらいました。ただ、有名だからこそ、あまり外で話題にすべきじゃないって。だから人の少ないカフェに連れて行ってくれました。あっ」
 そこまで話してヒナは思い出した。
「ん?」
「その、カフェのお会計が、安くはない金額だったそうで……ごめんなさい」
 謝罪すること。
 本当なら真っ先に言うべきことだったのに、家に帰った時にはすっかり忘れていた。カフェの食事は全部美味しかったし店もすごく好感が持てる素敵な場所だったけれど、だからといって金を全部出させていいわけがない。
 頭を撫でていた彼の手が止まる。
 視線は宙の何かを見たままで。
「その店を選んだのはそういう話をするため、だったんでしょ?」
「はい」
「食べたのは紅茶と菓子だったね。美味しかった?」
「はい、とても」
 中身がすぐに言えるということは、サクヤの言った通り本当にその場で内容を確認して認証していたらしい。解析という現象すらどういう風に行っているかわからないヒナには未知の世界だ。
「今日通信した時、好きにしていいって言ったのは僕だよ。認証したのも僕。悪いことなんてしてないなら、謝る必要なんてないでしょ」
「でも。私」
 謝罪以外に何を言えば良かったのか、知らない。
 ヒナの人生にとって、謝罪は全部の場面で必要だったものだ。反論も、理由の説明も、その他何もかもは、全部ヒナには許されていなかった。そういうものは、相手のさらなる不快を呼んで、嫌な時間を長引かせるだけのものだったから。
 そんなことを伝える気は無いけれど、でもじゃあ何を言っていいのかもわからず言葉に詰まったヒナに、ケセドが言う。
「ヒナ、こういう時に、どうしても何か言いたいならね、お礼を言えばいいんだよ」
「ありがとう、ございます」
「よくできました」
 ぐしゃぐしゃ、っと強めに頭が撫でられる。
 この会話の間も彼の目線はもう片方の指先の描く内容に釘付けだったけれど、不思議とないがしろにされているとは思わなかった。
 目を見て話していても心ない会話なんて幾らでもある。特に両親の例でそれを知っている。その逆に、全く視線が向けられていなくても関心が向けられているのがわかる会話もあるのだと……ヒナは初めて知った。
「今後も好きに使えばいい。その程度の甲斐性はあるつもりだよ。気になったらその場で通信して聞くから、悩むくらいなら買いなさい。買う前に通信して相談してくれてもいい。自分で、最初から駄目だろうって決めつけないようにね。君はまだ子どもなんだし、わがまま言っていいんだよ。ダメならちゃんと言うから、不安なことは全部相談しなさい」
「……はい」
 今までヒナの周りにいた大人と、全く違う。
 穏やかに言い含められて、ただ頷くしかないヒナに、更にケセドは言葉を続ける。
「そういえばね。来た時から気になってたんだけど、ヒナは自分のものが少なすぎる。当面の目標は、そうだね、君の部屋のクローゼットの中に空いてる場所を失くすように」
「ええっ!? そんな、無理です」
 ヒナに与えられた部屋にはクローゼットが付いている。前の家では自分の部屋すらなかったヒナには、部屋があるだけでも信じられないのに、ベッドなどの家具も予め中には置かれていたので昨日の夜、部屋に通された時には驚いたものだ。
 しかもそのクローゼット、ヒナの身長より高いし、引き出しも多く収納する空間が多い。
 現在はほとんど何も入ってない状態の大型クローゼットを思い出して大慌てで拒否するヒナに、彼は声をたてて笑った。
「無理じゃない。ヒナくらいの歳の子のクローゼットなら大体そうだから。疑うなら明日サクヤにでも聞いてみなさい」
「疑ってるわけじゃないんですが」
 あんなものがいっぱいになるまで、なんて、どれだけ買えばいいのか。自分でそんなにお金を使うなんて、無理だと思った。
「なんなら買うのを手伝って貰えばいい。ヒナが知らないものもきっと知っているだろう」
 優しい口調なのに一切の拒否権を認めない様子なのは伝わって、ヒナはどうしていいかわからなくなった。彼に反抗したいわけじゃ無いのだけど、戸惑う。
 こんな風に何かを誰かに強制されるのは初めてだった。あれをするなこれをするなという禁止事項なら幾らでも経験があるのに、その逆なんて。
「あぁ、服を買う時は、よほど気に入ったならいいけど、基本的に中古品はダメだからね」
 中古にするくらいならオーダーメイドしなさい、という言葉に、抵抗する気力も残らずヒナは小さく頷くしなかった。
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