第17話「サボりもたまには」

文字数 2,898文字

「ハァ……」

 電車を降りた途端、思わず溜め息をついてしまった。

 体調はいいのだが、気が重い。
 足取りが重い……。

「おーっす、一号」
「あ、おはよう朱雀井さん」

 同じ電車に乗っていたようだ。

 のろのろホームを歩いていたら、朱雀井さんが僕の背中を小気味よく叩き、肩を並べる。

「……元気ないな。また具合悪いのか!?」

 ばさっと威勢よくブレザーを脱ぎ、僕の肩に掛けてこようとする朱雀井さん。

 僕はそれを苦笑いで丁重に断りながら、答える。

「ううん。違くて。
実はその……ちょっと色々あって、学校行きづらくてさ」
「…………」

 朱雀井さんは意外そうな顔で、まじまじと僕を見てくる。

 その眼差しで、僕ははっと我に返った。

(うわ、やっちゃった……。急にこんなこと言われても困るよね……)

 ばつが悪くなり、慌てて話題を変えようとした。
 
 すると、不意に朱雀井さんが僕の手首を掴んで立ち止まった。

 そして、

「じゃあ今日はサボろうぜ!」
「え?」

 朱雀井さんの八重歯が光る。

 有無を言わせず、朱雀井さんは僕の手を引っ張って、今降りたばかりの電車に飛び乗った。

 ☆ ☆ ☆

「――やっぱパニック映画は最高だな!
はー、どっかにその辺にいねーかなー。ゾンビ」

 映画館のエントランス前、朱雀井さんは満足げに伸びをした。

 後半の物騒な発言には同意しかねるが、満足したのは僕も同じだ。
 
 最初は、学校をサボって映画なんてと躊躇したけれど、すっかり堪能してしまった。

「うん。面白かった。こんな楽しんじゃっていいのかなってくらい」

 僕がそう返すと、朱雀井さんは「真面目だなぁ」と笑った。

「あたしからすれば、毎日学校行くほうがすげえよ。
ましてや一号は体弱いのにさ、ほんと偉いと思う。
だから、たまにはサボってもいいんだって」
「……そうかな?」
「そうだよ。あたしなんて風邪一つ引かないのにサボりまくりだぜ。
――ま、最近は一号に会うために無遅刻無欠席だけどな!」
「……そっか」

 朱雀井さんの破天荒さにはいつも驚かされてばかりだけど、今はその余裕に心が軽くなる。

 しかも朱雀井さんは、何があったのかを聞いてこない。
 触れようともしない。
 そこに彼女らしい気遣いを感じた。

 だからこそ、話さなきゃと思った。
 僕が学校に行きたくなかった理由を――。

 ☆ ☆ ☆

「――大体の先生は僕の身体が弱いことに理解示してくれてるんだけど、そうじゃない先生もいてさ。
古文の先生なんだけど……僕が途中で授業を抜けたりすると、毎回嫌味言ってくるんだよね」

 フードコートのテーブルに腰掛け、飲み物を一口してから、僕は話し始めた。

「あー、あの偏屈ジジイか」

 朱雀井さんも心当たりがあるようで、紙コップを傾けながら苦る。

「それでも一応抜けさせてはくれるんだけど……昨日さ、僕じゃなくて別の子が古文の授業中に具合悪くなっちゃったみたいで、授業を抜けようとしたんだ。
だけどその先生、僕じゃあるまいし辛抱しろって、その子に言い始めて」
「はぁ!?」
「で、それはおかしいでしょって、僕が我慢できずに口を挟んじゃって、先生と口論みたいになっちゃって……最終的には僕とその子が教室から追い出されるような形に……。
そんなことがあったから、今日もう、すごい学校行きづらくて」

 こうして初めて学校をサボった――というわけだ。

 ことのあらましを語り終えると、朱雀井さんは解せぬといったように眉をひそめた。

「……え、なんで? 一号、何も悪い事してなくね?」
「うん。間違ったことはしてないと思うんだけどさ……。
でも、もっと穏便に済ませられたんじゃないかとか、そもそもその子が意地悪されたのも、僕が日頃から先生を苛立たせてたせいだろうし、そのとばっちりだったんじゃないかとかさ。
そう考えると、すごいその子に申し訳なかったり……。
こんな揉め事起こしちゃってクラスの皆から変なやつだと思われるんじゃないかって……」

 これは性格なのか何なのか。

 考えれば考えるほど、自分がしくじったように思えて、恥ずかしくてたまらなくなる。

 すると、そんな僕に朱雀井さんは、盛大なため息と呆れ顔を返した。

「そんなの気にすることねーってー!
なんだよそんなことだったのかよー。心配して損したぜー」
「……ごめんね」

 自分でも薄々わかっている。
 これが考え過ぎであるということは――。

「……でもそっか。だから一号は一号なんだな」
「?」

 ふんふんと、朱雀井さんは合点がいったようにしきりに頷く。

「こういうのなんてったっけ。
えーっと……あ、そうだ、豆腐メンタル」
「あはは。うん。ほんとにそう。脆くて、弱い」

 まったく的確な指摘に、苦笑いが漏れる。

 取るに足らない些細なことで、勝手に傷ついて、一人で落ち込んで、人に心配かけて――ほんと馬鹿みたいだ。
 
 そう思った。

 けれど、

「ゔえ!?」

 唐突に、朱雀井さんは変な声を上げた。

「あ、豆腐メンタルってそういう意味だったのか!?
うわ、ヤッバ、ぜんぜん違う意味だと思ってた……。
あたし今、褒め言葉のつもりで言ったんだけど……誤解させたならすまん、一号!」

 そう驚き、慌てふためき、拝むように頭を下げた。

 だから僕は訊ね返す。
「どういう意味だと思ってたの?」と。

 すると、





「白くて綺麗」




 朱雀井さんは、真摯な眼差しで、そう答えた。

「いちいち細かいことを気にしたり、傷つくのは、心が綺麗な証拠だと思う。
だからあたしは好きだぞ、一号のその、豆腐メンタル」
「…………」

 思ってもみなかった。そんな考え方があるなんて。
 
 この弱くて脆い、ウジウジした部分を、肯定的に捉えてもらえるなんて――。

「……ありがとう、朱雀井さん。すっごい元気出た」

 僕は姿勢を正して、朱雀井さんに頭を下げた。

 茶化したわけでもポーズでもなく、心の底からのお礼だ。

「! マジか! もしかしてあたしのおかげ!?」
「もしかしても何もないよ。完全に朱雀井さんのおかげだよ」
「~~~! 照・れ・る・なぁ~~! おい~~~っ!」

 デレデレと顔を赤らめる朱雀井さんに、親愛の情が湧き上がる。

 さすがは僕の、マブのダチだ。

 ☆ ☆ ☆

 ちなみにその後その足で、僕らは学校へ行った。
 かなりの重役出勤だ。

 早速古文の授業があったが、先生は昨日あったことなどすっかり忘れている様子だった。

 また僕と一緒に教室を追い出された子は、わざわざ僕に礼を言いに来てくれた。
「昨日はかばってくれてありがとう」と。

 そしてクラスのみんなも昨日のことは、笑い話にしてくれていた。

 結局僕の、取り越し苦労だったわけだ。

 まぁそれでも、朱雀井さんへの感謝が薄れることはないのだけれども。
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