第19話「イアーチェッカー・ミナちゃん」

文字数 1,689文字

「もーーー」
「…………」

 牛のモノマネではない。
 ミナちゃん先生が盛大に呆れて溜め息をついたのだ。

 それはぬるい風となって、僕の横顔に吹き下りる。

 そう、僕は今ミナちゃん先生に膝枕をしてもらい、耳掃除をしてもらっているのだ。

「こんなんでちゃんと授業は聞こえてるの?」
「聞こえてますって。何の問題もないですよ」
「どうだか。
――……Have you not said before when you do not understand what the English teacher says?」
「!? え、な、なんて!?」
「Have you not said before when you do not understand what the English teacher says?」
「は、はぶゆー……? わかんないですよ!」
「ほらもー、やっぱり聞こえてないんじゃない」
「いやそれ聴力じゃなくて英語力の問題でしょ……」

 大卒天才帰国子女が本場で身につけてきた英語を、一介の高校生である僕なんかに聞き取れるわけがない。

「いいえ、耳掃除がちゃんと出来てれば理解できるはずよ。
何度わたしが注意してもハンカチ持たないのも、きっと耳掃除をサボってたせいね」
「……すみません」

 耳掃除の気持ちよさは、降ってくる小言で相殺されていた。

 とはいえである。

 耳掃除に際して僕らが取っている、この膝枕という体勢だけは、否定の余地が微塵もないものだ。

 白衣の下、ミナちゃん先生の服装は、カジュアルなカットソーと、ショートパンツにニーソックス。

 そのため僕は今、ショートパンツとニーソックスの狭間――素肌が露出した太腿部分に、直接頭を乗せている形だ。

 この、10才児の女の子の肌の質感には、正直心を奪われる。

 加重するほどに沈み込んでいけそうな柔らかさといったらない。

 頭を持ち上げればそのまま吸い付いてきそうな弾力はどうだ。

 なるほどこれを指して〝もち肌〟というのかと、僕は妙に感動してしまった。

「――はい。こっちの耳はオッケーね。それじゃあ反対も」

 言われて寝返りをうつ。

 さっきはミナちゃん先生に後頭部を向けるような形だったが、今度はミナちゃん先生のお腹に顔面を埋めるような体勢だ。

「…………」

 なんとなく背徳的なものを感じ、呼吸は浅く短くと自重する。
 
 それでもなお、甘い匂いが鼻の奥にまで香ってくる。

 また、頭部を包み込まれるようなこの安心感と温もりは、僕を眠りへと誘うようだ。

「今後も抜き打ちで耳チェックするからね。いーい?」
「……はい」

 それでまたミナちゃん先生に耳掃除してもらえるなら、自分でするもんじゃないな――つい、そんなことを思ってしまったのは内緒だ。

 ☆ ☆ ☆

「はい、おしまい! キレイになったわよ」

 そうして至福のひとときも終わりを迎えた。

 名残惜しさを覚えつつ、僕は身体を起こす。

 確かに心なしか、耳の通りは良くなったような気もするが……どうだろう。
 英語の授業が楽しみだ。

 僕はベッドに腰掛け、上履きを履こうとする――と、何やら視線を感じた。

 振り向くと、ミナちゃん先生がベッド上で女の子座りをしたまま、僕のお腹をじーっと見ていた。

 一体なんだろうか。

 ミナちゃん先生は口を開く。

「おへその掃除とかは? してる?」
「…………」

 歯、耳と続き、今度は僕のへその状態が気になってしまったらしい。

 そして僕は例の如く、その質問に答えられない。

「~~~! 服脱いで! 今すぐ!」

 飛びついてきて、ワイシャツを脱がそうとするミナちゃん先生。

「そ、それはさすがにまずいです! 
自分でやりますから! やるって約束しますから!」
「もう! もう! もぉーーー! これだから男の子はー!」

 ミナちゃん先生を振りほどき、お叱りを背に受けながら、僕は逃げるようにして保健室を後にしたのだった。
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