第29話「突撃! 南中道邸・その2」

文字数 2,936文字

 部屋の中央、与えられたクッションに腰を下ろし、僕はそわそわと周囲を見回していた。

 ややすると背後のドアが開く。

 ミナちゃん先生がオレンジジュースとお菓子を載せたトレイを持って、部屋に入ってきた。

 そして僕の居住まいを見るなり笑った。

「どうしたの、そわそわして」
「いや、まぁ、その……」
「大丈夫よ。猫は離れの部屋に行っててもらってるから」
「そうですか……」

 確かに僕は猫アレルギーだが、猫を警戒してたわけじゃない。

「あー、おじいちゃんなら外出中よ」
「……そうですか」

 それに関しては正直ちょっとホッとした。

 校長にはすれ違いざまに睨まれたことあるからな……僕……。

 ミナちゃん先生と懇意にさせてもらってるのが、校長的には気に食わないらしい。

 ただ、僕がそわそわしてる理由はそれでもない。
 ミナちゃん先生の部屋が、思った以上に女の子の部屋だったのだ。

 部屋そのものの広さには今更驚かないが、パステルカラーを基調とした調度品の数々は、なんともファンシーな空間を演出している。

 特にベッドの枕元に並ぶぬいぐるみや、ラックのキラキラした小物類には、ミナちゃん先生の少女然とした嗜好が見て取れた。

 それに何より匂いがいい。
 以前耳掃除をしてもらった時に嗅いだあの、ミナちゃん先生のお腹の香りが、部屋全体を満たしている。

 こんな空間、女の子の部屋自体初経験の僕には、そわそわするなという方が無理な話だ。

 けれどそんな理由、体裁が悪いにもほどがある。
 なので僕は話題を逸らした。
 ちょうど気になっていたこともあったし。

「ところで、変なこと言っていいですか? 
僕、佳代さんをどっかで見たことがあるような気がするんですけど……」

 僕が尋ねると、ミナちゃん先生はあっさりと白状した。

「ええ。うちの学校の食堂でも働いてるもの」
「ですよねえ!?」

 憶測が的中してちょっとテンション上がった。

 そう、玄関先で顔合わせをしてからどうにも既視感(ミナちゃん先生の面影とは別に)が拭えず、記憶をひっくり返してみたのだが、どうも学校の食堂で、割烹着を着て働いている佳代さんを何度か目撃しているような気がしたのだ。

「ママ、ああ見えて結構活発だから、家に閉じこもってるのが嫌みたい。
それで働きに出ようとしたらおじいちゃんが『ならうちの学生食堂で働かないか~』って」
「へ~」

 そうだったのか。

 僕は食堂を利用することが多いから、今後も顔を合わせることになるだろう。
 次からは挨拶、ちゃんとするようにしないと。

 それにしても校長、縁故採用しすぎじゃないかなぁ……。

 ミナちゃん先生が正面に座り、僕との間にトレイを置く。

 勧められたオレンジジュースに早速口をつけてみたところ、その濃厚さと美味しさに感激した。

「僕の知ってるオレンジジュースじゃない……」
「本物のオレンジよりもオレンジオレンジしてるでしょ」
「はい……すごい喩えですけど、的確ですそれ……。
本物のオレンジよりオレンジオレンジしてる……!」
「ふふふ。喜んでもらえて何よりだわ。
ようやく一息つけたみたいだしね。
さっきは何を緊張してたのよ」
「いやぁ、女の子の部屋ってドキドキするなーって思っ――あ」
「…………」

 やってしまった。

 いやむしろこれは、やられたのか?

 あまりにもナチュラルに訊ねられたものだから、つい物の弾みで、口を滑らせてしまった。

「あ、いや、違くて、別に変な意味とか下心とか、そういうのがあるわけじゃ――」

 弁解を試みるも、しどろもどろになってしまい、それがかえって悪い印象を与えるのではと、ますます焦って汗が吹き出る。

 と、

「――……ぷふっ、ふふっ、あはは、あはははははは!」

 突然、ミナちゃん先生は声を上げて笑いだした。

 呆気にとられていると、ミナちゃん先生は目尻を指の背で拭いながら言う。

「あはは。あーおかしい。何をそんなに焦ってるのよ。
別に普通のことじゃない、それ」
「普通?」
「ええ。わたしだって、もし一号くんのお宅にお邪魔させてもらったら、きっと緊張しちゃうもの。
『わー、男の子の部屋に来てるー』って」
「…………」
「本当よ? なんなら今度試してみましょうよ! 
――なんちゃって。本当は一号くんのお家に行ってみたいだけ。えへへ」

 僕が言葉を探していると、ミナちゃん先生はちろりと舌を覗かせて、そしてすぐ、穏やかな微笑みを湛えた。

「とにかくね。わたし、嬉しいわ。
一号くんが、わたしのことをちゃんと女の子として見てくれてて」
「……そりゃ見るでしょ。誰だって」

 別に僕に限ったことじゃない――そう思ったが、ミナちゃん先生は少しだけ悲しげに、首を横に振る。

「ううん。そんなことない。
学校のみんながわたしを見る目は揃って〝子供〟よ」
「…………」

 そんなことないですよとは、確かに言い難い。

「……僕だって、ミナちゃん先生のこと、子供だなぁって思うことありますよ」

 僕は正直に告げた。
 自分のことを棚に上げるような真似はしたくなかった。

 チクリと良心が痛んだけれど、ミナちゃん先生はまたも首を横に振る。

「ううん。いいの。
実際にわたしと接してみて、子供だなって思われて子供扱いされるのはいい。
それはわたしのせいだもの。
でも、会ったばかりの人に、頭ごなしに子供扱いされるのは嫌」

 つぶらな瞳に、強い意志が光った。

 そしてその光が、僕を見据えた。

「一号くんは、それがなかった。
初めて会った時から、ずっと……。
一人の人として尊重してくれて、先生として敬意を払ってくれて、友達として親愛を示してくれる――」

 そこまで言って、ミナちゃん先生は一呼吸の間を置いた。

 それが単なる息継ぎなのか、はたまた躊躇か、或いは思い切るのに要したものか、それは知れないが、




「わたし、一号くんのそんな誠実なところ、大好き。心の底から尊敬してる」




 その言葉が、僕の胸に深く刻まれたのは確かだ。

「だから、これからもよろしくね」
「……はい」

 半ば気圧されて、僕は頷く。

 するとミナちゃん先生は、気まずげに視線を泳がせた。

「なんか変な空気になっちゃったけど、ほら、遊びましょ! ゲームゲーム!」

 まったくだ。
 ただ遊びに来ただけなのに、どうしてこんなこっ恥ずかしいことを面と向き合って話してるんだろうか、僕らは。

 友達は普通、こんな話はしない。

 裏を返せば、僕らは〝普通の友達〟ではないのかもしれない。

 じゃあなんだろうかという思索は、さっさと頭の隅へと追いやった。

「――それじゃあ何のゲームする? 囲碁? 将棋?」
「ゲームと来てそこいきますか……。
校長と遊ぶ時のクセが抜けてないですね……。
いや、別にいいですけど。
将棋しましょうか。ミナちゃん先生、強そう」

 今はただ、和やかにして心弾むこの一時を、よくよく噛み締めながら享受しよう。
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