第1話「ポッカポカのタッポタポ」

文字数 2,475文字

 春は大敵だ。日ごとの寒暖差が激しく、とかく体調を崩しやすい。

 健康な人でもそうなのだから、虚弱体質の僕は尚更のこと。

 この時節は体がダルいのがデフォ。プラス、日によってどこかしらに不調が表れる。

(今日は……お腹か……)

 現在、数学の授業中なのだが、お腹がぐるぐるして手元の数式に集中できない。

 そして経験則からいうと、一回トイレに行っただけで完全に快復するかも怪しい。

  もしかしたらトイレとの往復で、教室を出たり入ったりすることになるかもしれない。

(それはみんなに迷惑だよね……)

 となると、仕方ない。

「……先生。すみません。保健室行ってきていいですか」
「ああ。一人で大丈夫か」
「平気です」

 僕が体が弱いことを、先生たちはみんな知っている。だから途中退室もすんなりだ。

 僕はバッグに勉強道具をまとめて、教室を後にした。

 ☆ ☆ ☆

 トイレに行ってみたものの、案の定お腹は快復に至らなかった。
 さっきよりも大分マシだが、雲行きは怪しい。
 
 なので僕はその足で、特別教室棟へ向かった。

 人気のない一階の角――そこが目的の部屋『第二保健室』だ。

 ……そう、第二。
 僕も、初めてその部屋プレートを見たときには目を疑ったものだ。

 普通、学校の保健室に、第一も第二もない。
 コンコンと引き戸をノックする。

「どうぞー」

 呑気に間延びした返事は、すぐに返ってきた。

「あら、一号くん!」

 中へ入ると、ミナちゃん先生が満面の笑みで迎えてくれた。

 第二と銘打たれてはいるが、広さや備品、そしてその役割は、普通の保健室となんら変わらない。

「ちょっと、お腹痛くて……」
「あらら、横になる?」
「いえ、それほどじゃないです」
「じゃあそこ座って。すぐあったかいものを用意するわ」

 僕が中央のテーブルに腰を下ろすと、ミナちゃん先生はケトルでお湯を沸かし始めた。
 
 お茶でも淹れてくれるのだろうか。
 腹痛の今、温かい飲み物は確かにありがたいが……。

「ポッカポカのタッポタポにしてあげるから、ちょっと待っててね」

 どれだけ飲ませるつもりだろう……。

 第二保健室は利用者が非常に少なく、僕はその数少ない利用者の一人だ。
 だからかミナちゃん先生は、よく僕に飲み物やら食べ物やらを出してくれる。

(でも、腹痛の生徒にタッポタポになるまでお茶を出すなんて……。そんなだから利用者が増えないんじゃ……)

 そう僕は思ったが、

「ふんすふんす!」

 脚立を持ってあっちの戸棚へ行ったりこっちの戸棚へ行ったり……ちょこまかと張り切っているミナちゃん先生を見ていたら、口には出せなかった。

 僕は大人しくバッグから勉強道具を取り出し、考え途中だった数式に向かう。

「ふーっ、ふーっ」

 その間ミナちゃん先生は、お茶を淹れ、湯呑みに注ぎ、おちょぼ口でそれを冷ます。

「……いや、あの、それくらい自分でやりますよ」
「だめ!(ふーっ) おなか痛い時の飲み物には(ふーっ)それに適したぬるさがあるの(ふーっ)。その絶妙なぬるさを再現するにはね(ふーっ)、熟年の(ふーっ)勘が(ふーっ)頼りなのよ(ふーーーーーーーっ)」

 熟年の勘ときたか……ミナちゃん先生、10才なのに……。

「だから一号くんはお勉強に集中して!(ふーっ)」

 まぁ、そう言われてしまっては仕方ない。僕は再び数学の問題に取り掛かる。

 ☆ ☆ ☆

 程なくすると、そっと目の前に湯呑みを置かれた。

 僕は一礼してそれをすする。
 中身はほうじ茶で――、

「……絶妙です。味もぬるさも」

 僕が正直に感想を告げると、ミナちゃん先生はにへら~と頬を緩ませた。

「お粗末さま~」

 そして、

「あとそれ、問3の計算、間違ってない?」
「…………」

 ミナちゃん先生は僕の手元のノートをピッと指差した。

 これは10才の女の子の〝熟年の勘〟などではなく、〝大卒〟の計算能力に基いて寄越した指摘だろう。

 そう、何を隠そうミナちゃん先生は、海外の飛び級制度を利用し、すでに大学を卒業している天才児だ。

 なので僕は素直にその指摘を聞き入れ、問3を計算し直した。

 …………。
 …………。
 …………。
 …………本当に間違っていた。

「――よし出来た。一号くん、ちょっと立って、バンザーイして」

 するとミナちゃん先生が、幅の広い――チャンピオンベルトのようなシルエットの――布のベルトを持ってきた。

 言われるがまま、僕は起立してバンザイ。
 ミナちゃん先生は僕の背後に周り、そのベルトを甲斐甲斐しく付けてくれる。

 問3を正しく解けたから贈呈されたのだろうか。布チャンピオンベルト。
 そう思ったが、

(……いや、違う。これって……)
「……湯たんぽ?」

 ベルトから伝わってくる、ポカポカという温もり。
 そして僕が身じろぎすると、ベルトからはタポタポという水の音が聞こえてくる。

 ミナちゃん先生は「むふー」と一仕事終えた感を出した。

「……もしかして、さっき言ってたポッカポカのタッポタポって、この湯たんぽのことですか?」
「そうよ。おなかが痛いときはやっぱりこれよねー」
「……お腹がタッポタポになるまでお茶を飲ませようとしてたんじゃ……」

 そして、そんなだからこの保健室の利用者が増えないんじゃ――僕は先程、そんなことを考えていた。

 が、

「まさかー。おなか痛い時の水分補給は大事だけど、そんな何杯も飲んだら、かえって体に障るわ。あのお茶も、美味しかったでしょうけどおかわりはだめ~。お預け~。飲みたかったらまた来ることね!」

 ミナちゃん先生はそう言って、どやっと胸を張るのだった。

「……ごめんなさい」
「? 何が?」

 ☆ ☆ ☆

 お茶と湯たんぽベルトのおかげだろうか。腹痛の波はやがて、すーっと引いていった。
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