第36話 門出

文字数 1,633文字

 9という数字は、割り切れない奇数の中でも、

最大数のおめでたい頂点と考えられている。

何かと縁起を担ぐ春日家の希望により、

わたしと岩次郎さんは、長月(9月)に祝言を挙げた。

岩次郎さんが、わたしとの結婚を機に、書院番に昇進なさった。

新たに、下谷練塀小路に屋敷を拝領した。

実は、下谷になじみがない。

初めての土地での新婚生活は、期待と不安が入り混じる。

岩次郎さんが書院番になって以来、仕事が忙しくなり、

毎日、帰りが遅く、新入りということもあり宿直も多い。

たまの休日。屋敷に引きこもりがちなわたしを心配して、

岩次郎さんが、下谷神社へ行こうと誘ってくださった。

「るうさん。神社の境内で、ちまたで評判の

寄席をやっているらしいから、聞きに行きませんか? 」

「岩次郎さんが、そこまでお言いでしたらお供いたします」

 正直、寄席には興味がなかったが、

夫と一緒に過ごせる所ならば、どこでも良いと思い誘いに乗った。

下谷神社の境内の一角に幕がかけてある場所があった。

のぼり旗には、「天狗連 三笑亭可楽寄席」と書かれている。

寄席の開始時刻が近づくにつれて、

どこからともなく、見物客たちが集まり出した。

「春日殿もおいででござったか」

「小谷様」

 思わぬことに、上役と席が隣になった。

わたしも、岩次郎さんにつられて会釈した。

「教えていただきありがとうございます」

 岩次郎さんが、小谷様にお礼を言った。

「せっかく、近所に住んでいるわけじゃ。

流行りを知っておかなければ損じゃないか」

 小谷様が、そう言うと照れ笑いした。

小谷進次郎様。義兄の村上義礼と共通の知人なのだ。

書院番のお役目について以来、

何かと親しくさせていただいている。

現在。小谷様の奥様は4人目の子の臨月を迎えており、

大事を取ってお留守番をなさっている。

「天狗連とは初めて聞きました。

いかなる組合なのかご存じですか? 」

 わたしが質問した。

「おい。天狗連とは、いかなる組合なんじゃ? 」

 すると、小谷様が、席をまわっていた男をつかまえると聞いた。

「天狗連とは、話芸を披露している素人芸人の集まりでさあ」

 その男がそう答えると、小谷様に寄席のチラシを手渡した。

「ここに、1分灰線香即咄と書いてあるが、

いかなるものなのじゃ? 」

 小谷様が、その男に聞いた。

「線香が1分灰になるまでの短い間に、

落咄を即席で考えて披露すると言う話芸でさあ」

 その男が穏やかに答えた。

「面白そう! 」

 わたしが思わずつぶやくと、岩次郎さんが、

「そうさのう」と相槌を打ちなさった。

 それから数日後。わたしの懐妊がわかった。

なんと、大奥から祝いの品が届いた。

差出人は、お美代の方様だった。

大奥を去った後、お美代の方様とは、

時々、手紙で近状を報告し合っている。

お美代の方様がお産みになられたお2人の娘たち。

溶姫が、加賀藩主の前田斉泰様。

末姫が、安芸広島藩主の浅野斉粛様の元へ輿入れなされた。

また、相変わらず、家斉公からご寵愛を受けられて、

まるで、実の夫婦のように仲睦まじいらしい。

将軍の姫君である孫娘たちが、有力大名に嫁いだことから、

実父の日啓様や養父の中野碩翁様の元には、

連日のように、幕臣たちから多くの賄賂が舞い込んでいる。

一方、御台所の茂姫は、夫の好色に理解を示されているらしく、

大奥の側室や女中たちにとって、大母様的役割を果たしている。

他家に嫁いだとは言え、今や、飛ぶ鳥を落とす勢いの

中野碩翁の養女に変わりない。

さらに、将軍の側近の妻である立場から、

わたしや姉が、何かと支援をしなければならない。

今回の姫君たちの大名家への輿入れに関して、

村上家が、養父やお美代の方様のイメージ戦略を支援したらしい。

養父やお美代の方様の権勢を高める為に、

わたしだけでなく、実家や外戚が総出で手助けしている有様だ。

結婚とは、家同士のつながりが大事だと言うことを

改めて、実感させられた。

わたしの実のきょうだいたちも、養父中野碩翁のおかげで、

安定した生活を送れている分、文句を言った義理はない。













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