第9話 出会いと別れ

文字数 1,430文字

 それから1年後。家治公が崩御なされて、家斉公に代替わりした。

大奥にいた家治公の側室たちは、桜田屋敷へ移り住んだ。

入れ替わりに、家斉公の生母や御代所となられた茂姫が入り、

それに伴い、奥女中たちも一新された。

家斉公は即位して以来、養父、中野定之助を重用している。

奥奉公直前のある日。実父と会うことを許された。

実父が、歴代将軍家の御霊が祀られている

寛永寺を参りたいと言ったことから、

寛永寺で会うことにした。

寛永寺は、江戸城鬼門に位置する上野にある。

一足先に着いた為、近くを散歩することにした。

綱吉公の墓がある付近にさしかかった時だった。

停まっていた輿の中から、体格の良い侍が降り立ったのが見えた。

お供らしき年配の侍を従えて、綱吉公の墓の隣へ向かって歩いて行った。

垣根の合間から、りっぱな宝塔が見えた。

「上様。寺の住職へあいさつをなさってからお帰りになりますか? 」

  お供の者が、合掌している体格の良い侍に聞いた。

(今、上様と言わなかった? )

「気遣いは無用じゃ」

 上様(?)がそう言うと、すたすたと歩き出した。

「さようですか」

 お供の者が小声で独り言を言った後、その後を続いて歩いて行った。

(もし、あのお方が家斉公だったら、

何故、歴代将軍の命日でもないのに参拝に来られたのかしら? )

わたしは好奇心が抑えられなくて、気がついたら、宝塔の前にいた。

宝塔の側面に、「家基公」と刻印がしてあった。

家基公とは、先代の実のご子息にあたるお方で、若干18歳で急遽なさった。

初代将軍から引き継がれる「家」の文字を継承なさっただけに、

「幻の将軍」とも称されている。聡明な人柄と知られて、

もし、跡を継がれていたら、名将軍になっただろうと言われている。

手を合わせると、どこからか、心地良い風が吹いて来た。

「こんな所にいたのか」

 背後から、父の声が聞こえた。

家を出る前に会ったきり。白髪が増えた気がする。

このあと、墓場を通り、寺の本堂へ向かった。

「何故、あんな場所にいたんだ? 」

「え? それはその」

 わたしは言葉を詰まらせた。言い訳が思いつかない。

「用もないのに、人気のない場所にいない方が良い」

  父がはっきりと言った。

「以後、気をつけます」

 わたしがしゅんとなった。

「正直言うと、おまえが中野家の養女として、

奥へ奉公に出ることは反対なのだよ」

 父がポツリと言った。

父曰く、中野家へ奉公させたまでは、予定通りだったが、

それもこれも、良家に嫁がせる為だった。

けっして、今のような展開は考えていなかった。

「実を言うと、わたし自身も戸惑っています。

いまだ、これで良いものかと悩んでいる次第」

 わたしが告げた。

「奥へ奉公したあかつきには、死ぬまで外へ出ることができない。

それだけに、もし、迷いがあるならばここへ置いてゆきなさい」

「迷いを置いてゆけるのですか? 」

「この地は城の鬼門にあたる。鬼門は霊界に通じている。

迷いを捨てるには最適な所じゃ」

「‥‥ 」

 わたしたちは、城の方角へ向くと手を合わせた。

寛永寺を出る間際、父が、わたしの前に立つと、

わたしの頭の上から、つま先まで手で払う仕草をした。

「これにて、迷いは消え失せた」

 父が告げた。

「ありがとうございます」

  わたしがお礼を言うと、父がうなづいた。

別れ道にさしかかった時、わたしは、

父の後ろ姿が見えなくなるまで見送った。

もしかしたら、父が、

わたしの姿を見るのは、これで最後かもしれないと思ったから。

だから、後ろ姿を見せたくなかった。









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