第29話 奥の老中

文字数 1,129文字

 いかなる奥の手を用いたかは知れないが、

松平定信様が老中頭に就任なさった。

定信様を老中頭に推挙したとされる一橋治済様とて、

予想だにしていない結末が待っていた。

就任後、大崎様と定信様との間に、ひと悶着あったらしく、

大崎様が大奥からお暇を賜ったのだ。

噂によると、定信様が大奥へあいさつに出向いた際、

大崎様が、「これからは同役として、よしなにお願いします」と

発言したことに対して、定信様が反論なさったとのこと。

定信様からしたら、ご自分は、将軍家の血筋を受け継いでいるのであって、

いくら、大崎様が、大奥の最高権力者の地位に就いていようが、

元々、ご自分が、雲の上の人物だという誇りがあるわけだ。

ところが、大崎様が、人知れず大奥を去った後もなお、

大奥の御年寄は今までと変わらず、

権力を行使して表向の人事に口を挟んで来た。

そこで、定信様は、幕府の財政を建て直すことを理由に、

家斉公に、新たな心得を提出した。

新たな心得とは、たとえ、御台所、側室、上級女中であろうと、

表向の一切のことに対して口を挟まないように。

そして、大奥の経費を節約するようにというものだ。

一方、大崎様が大奥を去ったことにより、

将軍付女中たちの勢いがそがれて、代わりに、御台所付女中たちが台頭した。

それを象徴するのが、大奥の人事だ。

質素倹約の鬼と化した定信様に抵抗する為、

御台所の取り巻きの中心人物である

本丸老女の高岳様や滝川様が、

西ノ丸老女の姉小路様たちと結託して、

大奥だけでなく、

武家、豪商、豪農の女性たちを味方に取り込んだ。

そのせいか、定信様が打ち出した倹約令は、

江戸市民の間でも不評を買い、ことごとく、反発された。

わたしはと言うと、めでたく、表使に昇進した。

また、かつて、わたしの先輩であったころさんが、

なんと、中年寄に昇進なさった。

そのころ、大奥では、夕刻の代参が流行していた。

その流行の立役者が、最近、姫君を出産なさった

羽さんこと、お美代の方様であった。

お美代の方様が熱心な仏教信者であることから、

家光公がご寵愛なさったお万の方様に似ていると評判となり、

家光公が開かれた寺を代参すると、

徳を得られると言う噂が長局内に広まった。

その中でも、美僧が揃っているとされる延命院が人気を誇っていた。

表向から、大奥の買い物に対して横やりが入り、

各部屋から注文が入る度、老中の水野忠友様の審査を

受けなければならなくなった。

水野様はかつて、田沼意次様の片腕として活躍しておられたが、

田沼様が失脚するや否や、田沼派の粛清に乗り出されて、

自らの生き残りを図ったというつわもの。

いとこが、江戸城内で刀傷事件を起こして

改易されたという黒歴史がある一方、

家治公の小姓組出身だということから、将軍家から信頼を得ておられる。






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