第28話 御内書

文字数 2,083文字

 宿下がり当日。

「るうさん! 」

 ふり返ると、さよさんが手すりの前に立っていた。

わたしが一礼して通り過ぎようとしたそのとき、

「手に入れて頂きたいものがあるんです! 」

 さよさんが、わたしの背中に向かってさけんだ。

「なんですか? 」

 わたしが足を止めると聞いた。

「浅草寺で、縁結びの御守りを買って来てくださいますか? 」

「よろしいですよ」

「お願いします」

(縁結びの御守り。さよさんも、恋する乙女なんだ)

「おみやげに買って来ますね」

 わたしはそう言うと、大奥をあとにした。

(単なる宿下がりではないんだ。気を引き締めていかないと)

わたしはその足で、兄が眠る墓地へ向かった。

「越前屋」は、兄が眠る墓地があるお寺の近所にある。

(いったい、どなたなんだろう? )

不安と期待が入り混じった面持ちで、「越前屋」の玄関先に立った。

日中でも人通りが少ない隠れ家的お宿。旗本の通宿に指定されている。

「いらっしゃいませ」

 下足番が、わたしに気づくとあいさつしてきた。

「主人はおられますか? 大奥老女の大崎様の遣いで参りました」

 わたしが何気なく、周囲を見まわした後告げた。

「お待ちくだせえ」

 その下足番がそう告げた後、「旦那様! お客さんです! 」

と中へ向かって大声でさけんだ。

少しして、せわしない足音が聞こえた。

「お待たせしました」

 恰幅の良い中年男性が玄関に姿を見せた。

「旦那様。大奥老女の大崎様の使者がお見えです」

 その下足番が告げた。

「大崎様の使者の方ですか? お話は伺っております。

どうぞ、おあがりください。お部屋までご案内します」

「よしなにお願いします」

 わたしは、宿の主人について2階の部屋へ向かった。

階段を昇ってつきあたりの部屋に、大崎様の知人がいるらしい。

「主の六朗でございます。大崎様の使者がお見えです」

 宿の主人が、部屋の中へ声をかけた。

すると、襖がスーッと開いた。

「ごゆっくりどうぞ」

 宿の主人が、わたしを部屋の中へ招き入れると告げた。

「失礼します」

「そこへ座るが良い」

 襖の前に腰を下ろした際、見知らぬ武士が視界に入った。

「大崎様の遣いで参りました。奥女中のるうと申します。

大崎様より、書状をお預かりした次第」

 わたしは、その場にひれ伏すと書状を差し出した。

「ご苦労。確かに受け取ったとお伝えいたせ」

 その武士が書状に目を通すと告げた。

「承知しました。それでは失礼します」

 わたしがそう告げた後、部屋から出て行こうとした。

階段の手前で、義兄の村上義礼とすれ違った。

「るうではないか!? ここで、いったい、何をしておる? 」

「お義兄様。お遣いを済ませて帰るところです」

「お遣いとはなんじゃ? 」

 2人で立ち話をしていたところ、あの武士が歩み寄って来た。

「大学。その娘と知り合いか? 」

 その武士が、義兄にわたしのことを聞いた。

「義理の妹のるうじゃ。もしや、るうが会いに来たのは、おぬしであったか? 」

 義兄が気さくに答えた。

「いかにも。大崎という老女から書状を受け取った」

 その武士が告げた。

「老女の大崎とは、上様の乳母だというお方。

何故、あのお方が、おぬしに書状を?

るう。何か聞いておらんか? 」

 義兄が話を振った。

「委細は存じ上げません。下命に従った次第」

 わたしが告げた。

「るうと言ったか? もう、下がってよろしい。

大学。これから、もうひとり参る。

話は、その者が参ってからじゃ」

 その武士がそう言うと、義兄の背中に手をまわした。

一目で、2人が旧知の仲だと言うことがわかった。

その武士が醸し出す雰囲気が、義兄と重なるところからして、

出白が似通っているのかもしれない。

御内書というのは、将軍の私的な用向きを伝えた書状のことだ。

今時期、御内書を受け取るということはどういう意味を指すか?

義兄の村上義礼は、御三卿清水家の家老の息子。

もしかしたら、御三卿の関係者かもしれない。

御三卿とは、田安・一橋・清水のことだ。

御三卿は、将軍世子の資格を有している将軍家の親戚。

わたしは、ある確信を得たが胸にしまった。

世の中には知らなくても良いことがある。

わたしは、それを知ってしまったのかもしれない!

一説によると、今は亡き家治公のお世継ぎ候補が2人いたらしい。

そのうちのひとりが、白河藩主、松平定信様とのことだ。

田沼意次様が、松平定信様が将軍世子におなりになるのを

裏から手をまわして妨害したとの憶測がささやかれている。

皮肉な運命のめぐりあわせ。

大崎様は、家斉公が西ノ丸へ入った頃から勢力を拡大。

当時は、田沼意次様とも仲が良かった。

ところが、ある時を境に、大崎様は、反田沼派に変わられた。

わたしの兄、佐野政言は、当時、若年寄だった田沼意知様を

殿中で斬りつけて亡き者としている。

本来ならば、反逆者であったところ、世直し明神とあがめられた。

田沼意知様とは、田沼意次様の跡取り息子。

白昼堂々、殿中で、上役を刺殺するなんていうお恐れたことを、

あの優しくて、穏やかだった兄が成したのが未だ信じられない。

逆恨みだとはどうにも考えられない。

大きくうねった運命の渦中に、吸い込まれていく恐怖を感じた。











ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み