第38話 忠義

文字数 1,482文字

 岩次郎さんが時々、「薬草会」や「植物会」の会員たちを

屋敷に招き、会合を開いたり、宴を主催するようになった。

おかげで、我が家の庭園には、四季折々の花や木々が華やぎ、

庭園の一角に設けられた温室なる建物の中には、

珍しい観葉植物なるものが育てられている。

岩次郎さんひとりでは、手に負えないことから、

花木に精通した腕の良い植木職人を雇っている。

庭に面した客間は、英語に訳すと、「サロン」と言うらしい。

岩次郎さんたちのような花好きを「花癖」と言い、

西洋にくわしい人たちを「蘭癖」と言うらしい。

御台所の広大院の実父、島津重豪様は、ヨーロッパの学問や

蘭学を大変好んでおられ、歴代のオランダ商館長と親交をお持ちだ。

島津様のご子息や孫たちもまた、「蘭癖」だと言う。

島津家が治める薩摩藩には琉球を通じて、

唐物抜荷が行われているとの疑いが何度かかけられていた。

我が家には、植物を通じて知り合った蘭学者たちも出入りしている。

その為、家庭の中で、オランダ語が飛び交うことも少なくない。

年子で産まれた娘や息子たちは、父親よりも異国文化に順応している。

岩次郎さんは仕事の合間を縫って、江戸で開催されている

新種や海外の植物の品評会に出席して、

花好きの人たちと意見交換をしたり、情報収集に余念がない。

一方、家斉公のご逝去後に、

養父の中野碩翁様が提出した家斉公の遺言書が問題となった。

その内容が、家慶公を隠居させた後、

お美代の方様の婿または孫を将軍にせよというものだったことから、

家慶公や広大院様たちが異議を唱えたのだ。

お美代の方様の娘お2人と大名家との縁組に関して、

わたしと実家のきょうだいたちが、無関係だとは言えない。

本来ならば、反逆者の一家として、

日陰の人生を歩むことになっていた

佐野家の男たちが幕閣に残り、女たちが良家に嫁げたのも、

わたしを養女となさった中野碩翁様のおかげであり、

中野家に、足を向けて寝ることはできないし、

恩を返すことにより、佐野家が存続できる。

「るう。今こそ、中野家に恩を返す時が来た」

 養父に呼ばれて屋敷に出向くと、開口一番にそう告げられた。

「いったい、何をすれば、よろしいのですか? 」

 わたしが聞いた。わたしに、ことわる選択肢はない。

「広大院が秘かに、捏造の証を調べさせているらしい。

おまえがそれを阻止するのじゃ」

 養父が低い声で命じた。

わたしは、岩次郎さんに害が及んだら困ると思い、

曖昧に返事をしてその場を逃れた。

ところが、その曖昧さが、養父の怒りを買ってしまった。

岩次郎さんが、御禁制に触れる行いをしているとの嫌疑がかかったのだ。

わたしが、捏造の隠蔽工作に乗り出さないことを

裏切りだと考えた養父が仕組んだことに違いなかった。

わたしみたいな何の力も持たない女が、

遺言書の正当性を示す証拠をでっち上げられるわけがない。

「心配しなくても良い。手は打ってある」

 泣いて謝るわたしに、岩次郎さんがそう告げた。

悪い噂が流れてから数週間後。

岩次郎さんが、日本初の植物図譜である

「本草図譜」の編纂に参加することになったのだ。

かねてから、編纂者たちと交流があったことが、

幕臣たちの証言で明らかになり、

家慶公や広大院様も最後には、

岩次郎さんの知識や人脈が、編纂の役に立つとお認めくださった。

結局、遺言書は無効とされた。

お美代の方様は、騒動を招いた罪により押込に処された。

お美代の方様に加担したとされる側近たちも罷免された。

お美代の方様は、家斉公のご寵愛を受けられていたにも関わらず、

今回の騒動により、落飾すら許されなかった。

お美代の方様は、本郷の加賀藩邸に引き取られることになった。



















 










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