第33話 縁談

文字数 1,466文字

 表使の部屋子として大奥に奉公したわたしは、

結局、目標だった側室になれず、

側室となった羽さんを支える女中となった。

その後、いろいろとあって、御使番へ転身したが、

思わぬことに、御台所茂姫様付の御年寄の滝山様に見出されて

同じく御台所付の御中臈と相成った。

そんなある日。養父中野碩翁と久しぶりに面会することになった。

養父とは言え、一緒に暮らしたのは、短い期間でしかない。

今や、家斉公の側近となられて、雲の上の存在なのだ。

「しばし、そなたの兄が残した帳面を貸してくんないか? 」

 対面した直後、養父が単刀直入に告げた。

「何故、兄の帳面が読みたいのですか? 」

 わたしが聞いた。

「そなたの兄は、元老中頭田沼意次の倅を殺めた。

万が一、上様の御身に差し障りがある事柄が書かれていたら、

何者かに利用されかねない。

悪い芽は早いうちに、摘み取らなければならぬ」

 養父が低い声で答えた。

「承知しました」

 わたしが机の引き出しから、

兄の帳面を取り出すと養父に手渡した。

養父が、兄の帳面を懐にしまうところを見ながら、

大変な事になったと思った。

もしかしたら、わたしの人生もこれで終わりかもしれない。

「るう。そなたは宿下がりをしなさい」

 突然、養父が告げた。

「え?! 」

 わたしは驚きを隠せなかった。

一生奉公するつもりで、大奥へ上がったのだ。

今さら、宿下がりとは、どういうわけなのだろう?

「実は、そなたを見初めたと言う者がおる。

一度、会ってみないか? 」

「あの。そのお方とは、どんな人なんですか? 」

「表使の見習いをしていた時分。如月の拝領屋敷で、

そなたに、菊の栽培を指導した

吹上花壇役の春日岩次郎という者を覚えてはおらんか? 」

「春日様ですか? もちろん、覚えております」

 養父からの突然の下命。宿下がりというだけでも驚きなのに、

お相手が、あの春日さんだなんて!

わたしは夢心地の気分にひたった。

わたしが結婚するだなんて、考えもつかなかったが、

ここにきて、突然、縁談話が浮上した。

「縁談話を進めても良いか? 」

 養父が身を乗り出すと聞いた。

「はい。よしなにお願いします」

 わたしがその場にひれ伏すと返事した。

それから1週間後。わたしは、宿下がりをすることになった。

今となっては、大奥に未練はない。

御台所付の御中臈となって間もなかったが、引き止める者もいないし、

むしろ、妙にさっぱりとしている。

最後の日。お世話になった人たちにあいさつまわりした。

一番最初に、お美代の方様にごあいさつした。

「お互い、道は違えど、これからも、

何かあった時は、支え合いましょうよ」

 お美代の方様がいつになく、神妙な面持ちで告げた。

別れ際、さみしそうな横顔が印象に残った。

次は、滝山様にごあいさつした。

「さようか。さみしくなるが、達者で」

 思いのほか、あっさりとした別れの言葉だった。

もしかしたら、養父に頼まれて、

わたしを御中臈に推挙したのかもしれない。

頭の良いお方だから、こうなることは、

頭の片隅にあったのかもしれない。

本当ならば、謹慎処分を受けた時点で、

大奥から追い出されても不思議ではなかった。

大崎様の部屋子だったすみさんは、

大崎様が大奥を去る際にお供したらしい。

他の猫つながりともだちは今でも変わらず、

それぞれの上役に仕えている。

お美代の方様の元にいた頃、飼い出した猫の小鈴は、

そのまま、わたしが飼うことになった。

菊を通じて知り合ったさよさんやとわさんは、

なんと、家斉公のお手つきとなったという。

どちらも、容姿端麗だから、お目に止まるのも無理はない。

とりあえず、中野家へ向かった。










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