第4話 兄の日記

文字数 1,779文字

 兄は仕事柄、上様の外出時に伴うことが多かった。

寡黙でもの静かな家治公は、将棋や絵画を好むインドア派。

外出なさるのは、鷹狩などの年中行事が常。

鷹狩は、伴侍にとって唯一、上様のお目に止まる機会。

兄の日記の中には、鷹狩の様子が委細に書き記されていた。

兄はよく、獲物を射止めたが特別な報奨を得た記憶なし。

その際、兄はいつになく、くやしがり、

しまいには、何故、正当な評価が得られないのか分晰にかかった。

兄の調査によると、報奨を得ているのは田沼派がダントツ。

田沼意次様は、上様の側近中の側近であり、

老中頭という役柄、政への進言はもちろん、

彼の鶴の一言により、表や奥の人事が決まるという権力者。

田沼派は外戚が多く、その他の取り巻きたちは、

事あるごとに、賄賂を欠かさず贈りご機嫌伺いをしている。

そこで、兄は一計を案じて、田沼様に接近を試みた。

何かにつけて、近くにいて話題の中に加わる。

田沼家主催の宴に参加したり、贈り物をしたりと、

思いつき限りのことをしたらしい。

ところが、田沼様のガードは固く、取り入るのに難航した。

元来、人と群れる事が嫌いな質で、

正義感が強い事からまがったことが嫌い。

最後は、田沼様の大切なご子息の命を奪った兄。

いったい、何を考えてそうしたのだろう。

後半は、田沼様に対する批判が書きなぐられていたにせよ、

本人だけでなく、ご子息にまで殺意が向くのは、

何かあったとしか思えなかった。

いっそのこと、墨で塗りつぶそうと思ったが、

これも、兄が生きた証としてとどまった。

それから数日後。ようやく、外出を許された。

兄が亡くなった後、屋敷の周りには、不審者が出るようになったため、

父母から、お稽古ごとも休み外出をしないよう命じられた。

四十九日が済んだ後、わたしはお稽古ごとを理由に、久しぶりに外出した。

お稽古の帰り道、わたしは、兄の日記の中に、

しょっちゅう登場するスポットを散策した。

「もしや、佐野殿の妹ですか? 」

「さようです。るうと申します」

 思い起こしてみると、

兄が新卒で勤めてから、親しくしていた人を知らない。

もちろん、声をかけてくれた人とは初対面。

「佐野殿と同期だった高坂と申します」

 兄より5センチ背が高い。体格が良く浅黒い肌。

わたしの好みのタイプにどストライク。

思わず、顔が赤くなった。

「何故、わたしが、妹だとおわかりになったのですか? 」

 わたしは思い切って聞いた。

「目の辺りがどことなく、佐野殿と似ているからです」

 高坂さんがそう言うと微笑んだ。

「兄の事について知っている限りのことを教えてくだされ」

「何から話したらよいか‥‥ 」

 突然のお願いに、面食らったみたい。

「なんでも良いのです。

実は、ここへ来るのは初めてなんです。

兄の日記の中に出てくる思い出の地をまわるうち、

たどり着いたと言うわけなんです」

「さようでござったか」

少しの間、時が止まった気がした。

高坂さんの穏やかで優し気な声に耳を傾けながら、

今は亡き兄がまるで、近くにいるみたいに感じた。

「お嬢様、そろそろ」

 後ろで控えていた下女が、わたしをうながした。

そのとき、わたしは突然、我に返ったように席を立った。

「どうかしたのですか? 」

 高坂さんが聞いた。

「すみません。そろそろ帰らないと‥‥ 」

 わたしが答えた。

「では、またどこかで」

 高坂さんがそう告げた後、颯爽と歩き去った。

「お嬢様。優しいお方でしたね」

 下女が高坂さんをほめた。

「少し待って」

 ふと思い立ち、高坂さんを追いかけた。

「お待ちくだされ」

「何か忘れ物ですか? 」

 高坂さんが、わたしに気づくと足を止めた。

わたしは懐から、兄の帳面を取り出すと

高坂さんに手渡した。

「教えてくだされ。どこをどう読んだら、

生前の兄に会えますか?

何故、兄があのようなことを成したのか、

真実が知りたいんです」

「それがしに、答えを見つけてほしいと言うわけですか? 」

「はい。わたしが知らない兄を知っているあなた様でしたら、

わたしとは異なる解釈ができるのではないかと存じます」

「佐野と同じまっすぐですんだ瞳をしている」

「?!‥‥ 」

突然、ジッと見つめられたことから、居ても立っても居られなくなった。

気がついたら、くるりと後ろを向いて歩きだしていた。

「読んだら、返しに行きます」

 背中越しに、高坂さんの声を受け止めたものの、

立ち止まって返事する余裕がなかった。


 






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