第2話 世直し明神

文字数 1,757文字

 伝馬町にある牢屋へ行くと、牢番主が待ち構えていた。

先方は、下男または下女が受け取りに来ると思っていたらしい。

わたしの顔を見るなり、驚いた表情を見せた。

「佐野政言の家の者です。遺品を受け取りに参りました」

「中へどうぞ」

牢屋へ入るのは、生まれて初めて。

日中でも薄暗く、ひんやりとした空気が流れている。

詰め所まで行くには、牢の横を通り過ぎないといけない。

緊張した面持ちで、牢番主の後を追いかけるように歩いた。

なるべく、視線が合わないよう気を配った。

「これで全部です」

 牢番主が、風呂敷包みを差し出した。

「ありがとうございます」

「ご足労でござった」

 わたしは帰り際、立ち止まると一礼した。

一瞬、牢番主と目が合った。すぐにそらしたが、

憐みはみじんもなく、むしろ、冷ややかに感じた。

牢屋が、普通とは異なる所だと痛感させられた。

うちの近所まで来た時、素早く頭巾を外した。

(緊張しすぎて死ぬかと思った! )

「お帰りなさいませ」

 玄関の前に、母が立っているのが見えた。

「ただいま、帰りました」

 わたしはそう言うと、母と連れ立って中へ入った。

「いつ、ごらんになりますか? 」

「父上の帰宅後が良いでしょう」

「さようでございますか‥‥ 」

 わたしは内心、がっかりした。

兄が何故、謀反を働いた理由が遺品の中に、

隠されている気がして逸る気持ちを抑えきれない。

昼食の後、とうとう、我慢できず風呂敷包みを広げた。

兄が身に着けていた着物の他には、使い込んだ帳面一冊あるだけ。

着物から、汗とほこりが入り混じった匂いがした。

兄が最後に身に着けていたものかと思うと、

急に、悲しくなって涙がにじみ出た。

大きく深呼吸した後、兄の帳面を手に取った。

兄らしい几帳面な文字。

日付が飛んでいることから、何かあった時に

書き留める習慣があったようだ。

「人生最後の飯。麦飯茶わん一杯とぬるい水

これと言って、言い残す事はない

良い一生とは言えないが、やるべきことは果たしたと自負する

皆様、末永くお達者で。薄葬でけっこう。墓に入れぬな」

 わたしはこの一文を読むなり号泣した。

「るう。どこにいるの? 」

 そのとき、部屋の外から、わたしを呼んでいる母の声が聞こえた。

急いで、遺品を元に戻すと立ち上がった。

何事もなかったかのように部屋を出て、母の元へ駆け寄った。

「何用ですか? 」

「これから、寺へ参る故、伴いなさい」

「承知しました」

 旦那寺へ着くと、わたしたちは、境内へ向かった。

道中、好奇の目で見られている気がした。

年配の夫婦とすれ違ったその時、

2人が何故か、手を合わせる仕草を見せた。

「母上。あの方らとはお知り合いですか? 」

「いいえ」

「わたしたちへ向かって、

手を合わせて来たのは何故でしょうか? 」

 わたしがそう言うと、母が「まさか」と言い笑った。

兄の遺骨はまだ、家には戻っていない。

肩身の帳面には薄葬にしてほしいと書いてあったが、

おそらく、切腹後ただちに火葬されているだろう。

わたしたちは、先祖代々の墓へ向かった。

「え?! 」

墓と墓の合間をぬうように歩いていると、

突然、一足先を歩いていた母が立ち止まった。

思わず、母の背中に顔があたりそうになった。

「どうかしたのですか? 」

「あれは、いったい、どういうわけですか? 」

「え? 」

 母が後ろへ下がった際、思わぬ光景が視界に入った。

驚いたことに、墓の前に長蛇の列ができていたのだ。

何事が起きたのかと駆けつけたところ、

なんと、墓の両脇に旗が立っていた。

旗には、「世直し明神」としたためてある。

(いったい、何故、誰がこんなことを?? )

「母上! 」

 ふいに、目の前で、母がよろめいた。あわてて、抱きとめると

「これは夢? 誰か、いったい、何の為に

あのようなことをしたというの‥‥ 」

 母が弱々しく告げた。

「さあ‥‥ 」

 返答に困っていると、母が何を思ったのか、

突然、強引に、わたしの肩腕をつかむとグイっと引っ張った。

「行くわよ」

「え?! お参りなさらないのですか? 」

「あのような有様で、どうして、お参りできよう? 」

 そう言った母の瞳は、怒りと悲しみが入り混じっているように見えた。

(世直し明神とはよく言ったものだ。兄が成した事にも、

ある人らにとって、何だかの意味があったのかもしれない)

踏みしめた砂利の音がやけに響いて聞こえた。
 











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