第40話 時の間

文字数 1,063文字

 嘉永6年。家慶公が突然、この世を去られた。

次期将軍に就任なされた家定公は、風変わりなお方と評判だ。

家定公には、公家出身の御台所がお2人おられたが、

いずれのお方も先立たれた。

元々、公家より、武家に肩入れしていた将軍生母の本寿院様が、

3人目の御台所として、外様大名の島津家出身の

近衛敬子(このえすみこ)様をお選びになられた。

同じ頃、アメリカの提督、ペリーが来航して、

日本近海の海防対策が必要だと騒がれていた。

御台所は女の身ながら、政に関心をお示しになられて、

大奥老女の幾島様を介して、祖国の要人たちと交流なさっていた。

わたしの娘、徳(とく)が縁あって、

御台所付の御小姓として奉公へ上がった。

我が家の庭園は一時閉鎖となり、

その代わりに、銃の練習場が設立された。

春日家の男や岩次郎さんの同僚たちが、

毎朝、出勤前に、銃術の稽古に汗を流している。

子育てがひと段落したことから、

わたしは、近所の人たちを集めて

いけばなやお茶を教えるようになった。

また、暇を見て、オランダ語を学習するようになった。

師匠になったり、生徒になったり、

武家の主婦だけでない別の顔を使い分けて楽しんでいる。

おもしろいことに、お茶を教えていた生徒さんが、

わたしのオランダ語の師匠になったりする。

蘭学者の奥様はたいてい、オランダ語が話せる。

そんなある日。徳から手紙が届いた。

「母上様。どうか、大奥で、師匠となっていただけませんか」

 奥女中に教えられることは、わたしにもあると自負していただけに、

2つ返事で引き受けることにした。

ふたを開けて見てびっくり。

てっきり、お茶やいけばなを奥女中たちに教えるのかと思いきや、

大奥の方から、御台所や上級女中たちへの指南役を拝命された。

指南役とは、恐れ多いことであれど、やりがいはある。

書院番の妻、元奥女中、大御所様の側近の養女。

という肩書が信用を得たらしい。

佐野家の娘よりも、それらの肩書の時間の方が多い。

月に3度。お茶やいけばなを教えることになった。

稽古の合間、植物の栽培を教えることになった。

岩次郎さんが毎回、四季折々の花を用意してくれる。

我が家の庭園は、かつての左金吾様の庭園のように、

見物人が集まる場所となっていた。

お目当ては西洋式の温室。まだ、江戸でも珍しい。

突然、家慶公や家定公の御成が数回あった。

屋敷の中でもてなすよりも、

庭園に設けられた宴会場でもてなす方が好まれた。

御台所のご提案により、お部屋の一角に、

花の植木鉢や観葉植物を置くことになった。

徳がそれらの管理を任された。

わたしは、人生の時の間を慈しんでいる。

おわり





 











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