第20話 孝行猫

文字数 1,709文字

 羽の部屋の窓辺を植木鉢の花で飾った翌日。

突然、家斉公が奥へお越しになった。

そのとき、わたしは、数人の女中たちを招き茶会を催していた。

お茶をまわしていたところ、招待客たちのひとりが

まるで、何かに気づいたかのようにひれ伏した。

何気なく、後ろをふり返ると、家斉公が戸口に立っていた。

「気にせず、続けなさい」

「いたみいります」

 次の瞬間、緊迫感が部屋の中を包み込んだ。

さっきまでの、和やかな雰囲気が一気に吹き飛んだ。

驚いたことに、家斉公が、わたしの横に腰をおろされた。

「わしにも茶をくれるか? 」

 家斉公がわたしに告げた。

「かしこまりました」

 わたしがそう答えるとお茶をたてた。

「実にうまい! 」

 家斉公が、わたしがたてたお茶を一口飲むと告げた。

「もし、よろしければ、どうぞ」

 羽が、自分の目の前にあったようかんを差し出した。

「ところで、窓辺に飾ってある植木鉢はいかがしたのじゃ? 」

 家斉公が、一口でようかんをたいらげた後、植木鉢に目をお止めになった。

「あれは、るうが買い求めた花です」

 羽がそつなく答えた。

わたしはまた、悪い印象を持たれるかと警戒した。

見る人から見たら、御機嫌取りだと勘違いされかねない。

「さよか。どこかで見たことがある花もある」

 家斉公が、春日さんから頂いた植木鉢を指さすと告げた。

「実は、飼い猫を探しに参った折、吹上役人の御厚意により、

わけて頂いた品でございます」

 わたしが正直に事情を説明した。

「さよか。それは良かったのう」

 家斉公が穏やかに告げた。

「いたみいります」

 わたしがそう言うと、頭を下げた。

「上様。実は、先日、老女の大崎様の飼い猫が産んだ

子猫をお譲り頂いた次第」

 羽が、近くに寝ていた小鈴を抱き起こすと告げた。

小鈴が無理矢理、起こされただけでなく、

ふだんは、見向きもしない羽が突然、抱き上げたことから

何とかして、羽の腕の中から出ようともがき出した。

一方、羽の方は、家斉公の御前で良い所を見せようと躍起になっている。

「あまり、かわいがっていないようじゃのう」

 家斉公がポツリと言った。

すると、招待客たちが、口に手を当てるとくすりと笑った。

「羽。今宵は、そなたと夜を共に致す」

 家斉公がそう言い残した後、さっそうと部屋を出て行かれた。

「ありがとうございます」

 羽がしたり顔でお礼を告げた。

その夜。庭の方から、物音が聞こえた気がして目を覚ました。

「大変です! 大崎様のお部屋に、何ものかがもぐり込みました! 」

 障子に、明かりが映った矢先、部屋の外から声がかかった。

「大崎様の安否は? 」

 わたしが部屋の外へ声をかけると、障子が静かに開いた。

「るうさん。わたしです。一緒に来てくだされ」

 すみさんが着の身着のままの姿で立っていた。

肩をがたがた震わせている。よっぽど、怖い目に遭ったのだろう。

「もしや、大崎様を残してきたのですか? 」

「厠から帰って来たら、何者かが、大崎様の部屋から出て来るのが見えたの」

「わかりました。参ります」

 わたしは急いで、上着を羽織ると部屋の外へ出た。

わたしたちが、大崎様の部屋へ駆けつけた時には、

大崎様が部屋の隅で身を固くされていた。

いつになく、神妙な面持ちで畳を見つめていた。

「大事ございませんか? 」

 わたしが、大崎様に聞いた。

「これが、何事もないように見えるとは、

おまえの目は節穴であるか? 」

 大崎様が、窓辺を指し示すときつい口調で告げた。

「え?! これは、いったい、どういうことですか? 」

 驚いたことに、窓辺に飾られていた植木鉢が

目もあてられない様子で畳の上に叩き落されていた。

その中には、春日さんからお譲り頂いた植木鉢も含まれていた。

「申し訳ございません。もしや、鈴がしましたか? 」

 すみさんが平謝りすると告げた。

「そう言えば、鈴がおらぬ」

 大崎様が我に返った様子で告げた。

翌日。鈴が変わり果てた姿になって、庭の片隅で発見された。

幸い、大崎様は無事であり、何も盗まれていなかったこともあり、

犯人が見つからないまま不問とされた。

「もしや、鈴が、わたしの身代わりになったかもしれぬ」

と言う大崎様の鶴の一声で、

鈴の亡骸は、寛永寺の敷地内に手厚く葬られた。












 




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