第19話 花将軍

文字数 2,381文字

 すみさん経由で、家斉公が園芸好きが高じて、

今では、自ら、花をお育てになっていると知った。

それもこれも、元来、園芸好きの父母の影響が大きいとのこと。

ご幼少の頃、家斉公は、葉っぱを食い荒らす害虫を毛嫌いして、

家臣から、害虫駆除の方法を聞くと自ら駆除なさった。

手厚い管理の甲斐あって、毎年、実家の一橋邸の庭では、

四季折々の草木や花が楽しめると言う。

「上様から、植木を頂いた家臣もおられるそうよ」

 わたしが伝え聞いた情報を教えると、

ようやく、羽が関心を示した。

「殿方だけなんでしょう? 」

 羽が聞いた。

「園芸の話題をすれば、上様の御心をつかめるかもしれない」

 わたしが答えた。

「その為には、わたし自身も花を育ててみないと、

ダメだと言うことになるわね」

 羽が面倒くさそうに言った。

「なんなら、如月様にお願いして、

いくつか、植木鉢を買ってきてもらおうか? 」

 わたしが申し出た。

「るう。あなたが自ら担ってほしい」

 羽が思わぬことを告げた。

やったと思った。久しぶりに、外出することができるからだ。

よほどの理由がなければ、外出は至難の業なのだ。

「それもそうね。なんとかしてみる」

 わたしが告げた。

わたしが、表使の部屋子たちの中で、

大奥の買い出しにお供する許しを

特別に得ていたことを長局内で知らない者はいない。

荷物持ちがお役目であったものの、買い付け方法をこの目で盗んだ。

いつ、表使を引き継いでも、やってゆける自信を身に着けた。

「あなたの目利きを信用しているだけではない。

如月様に、変なことを勘ぐられたら後が大変なわけ」

 羽が神妙な面持ちで言った。

羽の直感はあながち、間違ってはいないと思う。

いくら、お世話になった方だとは言え、

いつ、どの瞬間で、敵にまわるのかしれないからだ。

さっそく、外出の許しをもらいに行った。

「久しぶりじゃのう」

 猿渡さんが声をかけてくれた。

「すみません。買い物で外出したいのですが」

 わたしが願い出た。

「何を買うんだい? 」

 猿渡さんが聞いた。

「花の植木を数点買う予定です」

 わたしが正直に答えた。

「用向きは? 」

「部屋に飾る用です」

「であれば、問題はなかろう」

「ありがとう存じます」

 担当が顔見知りで良かった。すんなり、許しを得られた。

買い物当日。買い物の途中、わたしには行きたいところがあった。

書院番の村上義礼(むらかみよしあや)様に嫁いだ

姉のたきが、体調を崩して床に就いていると聞いた為、

お見舞いに行きたいと考えていた。

買い物するお店のリストは提出してある。

本当ならば、寄り道をしてはいけない。

日が暮れる前に、大奥へ帰らなければならない。

久しぶりの市中。日本橋など繫華街は、相変わらずの人の多さ。

お目当ての店は、下谷・牛込・千駄木にある。

ひととおり、店をまわった後、村上家を訪れた。

「姉上。るうです」

 門の前で名を名乗ると、下女が戸を開けに来た。

「どうぞ、お入りくださいまし」

 下女が戸を開けると、わたしを中へ招き入れた。

庭に面した廊下を歩いている時だった。

台所の方から、何やら話し声が聞こえた。

「せちがねぇ、世の中になっちまったもんでさあ」

「こんだけ、民が困窮していると言うのに、

御上はいってぇ、何をご覧になって、

うまく収まったとお思いなんだろうねえ」

「ほんに、そうでさあ。

その日暮らしの人らの間では、その日の食うものに困って、

盗みを働く人もいるらしいんさ」

 浅間山噴火の後、日本各地で一揆や打ちこわしが起こり、

いまだ、世情不安が続いている。

奉行所へ多数の訴えが届いているが、江戸城までは行き届かないと、

出入りの商人たちが嘆いている声が聞こえた。

実際、大奥の中にいると、

外の世界が、大変な事になっているなど夢にも思わない。

旗本以下が、質素倹約を強要されているぐらいしかわからない。

わたしがふと、足を止めて、台所へ向かおうとした矢先、

「どこへお行きになるのですか? 」

 下女が驚きの声を上げると引き止めた。

「すみません」

 わたしはあわてて平謝りした。

姉がいる部屋へ通されると、姉が上体を起こしていた。

「起きても大丈夫なの? 」

 わたしが聞くと、姉が小さな声で、「気を遣わないで」と告げた。

「ごゆっくり」

 案内して来た下女がそう告げた後、立ち去った。

「さっき、台所から聞こえたけど、

奥へ伝わっている話と実情が違っていますね」

 わたしが身を乗り出すと告げた。

「そうなの? 米の値が、高騰していると聞いて知っているけど、

台所って、出入りの商人らの会話で聞いたわけ? 」

「さようです。みんな、口には出して言いませんが、

世直し明神と言われた佐野家の女がいると意識して

聞こえよがしに言っているのではないですか? 」

「考え過ぎよ」

「聞こえた以上、放っておけません。

もし、誰かが虚偽の報告をしていたとしたら、

救える命も救えないじゃありませんか? 」

 わたしが思わず興奮気味に言った。

「兄妹にしてよく似ている。わかったわ。

折を見て、殿に話してみるわ」

 姉が苦笑いすると告げた。

「ありがとう。早く元気になってくだされ」

 わたしはそう言うと、滋養強壮に良いとされる高麗人参を差し出した。

「このような高い品を、いかにして、手に入れたのですか? 」

 姉が驚いた声で聞いた。

「中野家にいた頃、買って頂いた着物を売りました。

奥にいると、どこかに着ていくこともありませんから。

たとえ、大事に取っておいても、

袖を通す時には、流行りが過ぎてしまい、

宝の持ち腐れになりましょうよ」

 わたしが曖昧に微笑みながらそう告げると、

姉が、わたしの両手をにぎりしめた。

「るう。あなたはまことに優しい妹ね。

わたしだけでなく、見知らぬ人の心配までできるなんて。

あなたが、側室になったら良かったのに。

そうしたら、優しくて、頭の良い世継ぎが産まれたに違いないわ」

 と言った姉の目に涙がきらりと光った。







 








 





 
















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