第25話 観菊

文字数 2,526文字

 菊の品評会が開かれる観菊の2日前。

羽さんが懐妊したという知らせが届いた。

同じ大奥にいるのに、無視できない。

さっそく、祝いの品を持参して、羽さんの部屋を訪ねた。

隣の部屋に、たくさんの贈り物が置かれているのが見えた。

朝から夕方まで、ひっきりなしに、祝辞を告げる人たちが姿を見せている。

正午に入り、ようやく、わたしの番がやってきた。

そのとき、ちょうど、観菊の会場では設営準備が行なわれていた。

「ご懐妊おめでとうございます! 」

 わたしが告げた。

「ありがとう」

 羽さんが、一呼吸おいてお礼を告げた。思ったより、元気がない。

「もうじき、観菊会ですね。その時に行われる品評会に、

その日の為に育てた菊を出します」

 わたしが告げた。

「さようですか? もし、行けたら見に行きますね」

 羽さんが無理に笑うと告げた。聞いた話では、つわりが重いらしい。

以前と比べて、瘦せた感じだし顔色も優れない。

お互いに、遠慮し合った態度に、どっと疲れがあふれた。

お手つきから、お腹様になっただけで、こんなにも違うのか。

「羽様。お庭をお散歩なされたらいかがですか? 」

 わたしのあとに、羽さんに仕えるようになった女中が、

わたしたちが親しいことを知り気遣いを見せた。

「それもそうね」

 羽さんが重い腰を上げると告げた。

「外の風にあたれば、気分が良くなるかもしれません」

 わたしの方から庭へ誘った。

ところが、縁側から庭へ出ようとした矢先、

前方から、別の側室が、お供を従えて歩いて来るのが見えた。

すれ違い様に、その側室が、羽さんが着ていた着物の裾をふんづけた。

「きゃああ! 」

 次の瞬間、羽さんがよろけながら声を上げた。

「危ない! 」

 わたしがとっさに、羽の右腕をつかんだ。

その甲斐あり、羽さんが転倒することなく無事に済んだ。

「大事ありませんか? 」

 羽さんに仕える女中がどういうわけか、裾をふんだ方の側室を気遣った。

「大事ない」

 その側室が、すました顔でそう告げた後、歩いて行った。

「あれはいったい、どういうわけなんですか? 」

 わたしが、その女中に詰め寄った。

「すみません。あのお方は、わたしと同郷のお方でして」

 その女中が決まり悪そうに告げた。

理由はどうあれ、着物の裾をふんだ側室の方に非があるのではないか。

側室同士。互いに快く思っていないのはわかるが、

あの態度の悪さはなんなのだろう。

しかも、羽さんに仕える女中が、あちらに気を遣うとは考えられない。

「いいのよ。るうさん」

 羽さんが告げた。

その後、わたしと羽さんは、庭を散歩した。

最初こそ、ぎこちなかったが、次第に、昔の親しい関係に戻った。

観菊当日。御台所や上級女中たちが、会場中に並べられた菊を観賞した。

江戸市中で催される観菊会が見事に再現されており、

当日限りの茶席が催された。わたしは、茶人たちのお世話を担当した。

「どれもこれも、美しく、甲乙つけがたい」

 午後に入り、審査員を務める人たちが菊の品評を始めた。

わたしの菊は、池のほとりに置かれた。

まるで、池のほとりに、自生しているかのように自然に見えると、

近くにいた上級女中が話しているのが聞こえた。

ドキドキしながら、会場の片隅で結果を待つ間、羽さんが近づいてきた。

「あなたの菊。お部屋に飾りたいぐらい気に入りました」

 羽さんが穏やかに告げた。

「ありがとうございます。それもこれも、指導して頂いた先生方のおかげです」

 わたしが告げた。

「今、女中に、品評会の様子を探らせています」

 羽さんが意外なことを言った。そう言えば、あの時にいた女中の姿が見えない。

少しして、その女中が戻ってくると、羽さんに耳打ちした。

「なんですって! 」

 すると、羽さんが声を上げた。

「何かあったのですか? 」

 わたしが思わず聞いた。

「言いにくい話ですが、あなたの菊が大変なことに」

「え!? 」

 急いで、菊を見に行くと、品評会が終わった様子で誰もいなかった。

会場のあちらこちらに置かれた菊に、札がついているのが見えた。

池のほとりにあったはずのわたしの菊がどこにもない。

「これはいったい、どういうこと? 」

 気づくと、共に切磋琢磨したさよさんやとわさんが近くに立っていた。

「わたしの菊が跡形もなくなっているんです! 」

 わたしが訴えた。

「品評会の前までは、確かにあったと思います。変ですね」

 さよさんが告げた。

「菊を盗んだのは、どこの誰? 」

 とわさんが言った。

会場をくまなく探したが、わたしの菊はどこにもなかった。

途方に暮れているところへ、春日さんが、様子を見に来てくれた。

どちらからともなく、人の気のない茶室へ向かった。

わたしは心を落ち着ける為、お茶をたてた。

「そなたの菊がどういう経緯でなくなったのか、今、調べてもらっています」

「ありがとうございます」

 同時に、大きなため息が出た。

「申し訳ありません」

 わたしが頭を下げた。

「何故、そなたが謝るのですか? 」

 春日さんが告げた。その一言で、こらえていた涙があふれ出した。

「せっかく、育てたのに。肝心な時になくなるなんて」

 わたしが、着物の袖で涙をぬぐうと言った。

「必ず、どこかにあります」

 春日さんが力強く告げた。

翌日の朝。如月様が、わたしを部屋へ召された。

「ついて参るが良い」

 如月様が、とある場所へわたしを連れ出した。

わけもわからないまま、ただ、ついて行くと、

たどり着いたのは、吹上花壇の前だった。

どこからともなく、春日さんたちが姿を現した。

驚いたことに、春日さんが、わたしの菊を抱え持っていた。

「おめでとうございます! 」

 川村さんが告げた。

「これはいったい? 」

 わたしは驚きを隠せなかった。わたしの菊が金賞を獲得した。

「品評会の場に、上様が御成りになり、自ら評価をおつけなさりました」

 町田さんが神妙な面持ちで告げた。

「それはまことの話でございますか? 」

 如月様が、わたしの手を取ると喜んだ。

「信じられません。見つかっただけでもうれしいのに。

上様からご評価頂けるとは‥‥ 」

 わたしは、全身の力が一気に抜けたような気がした。

「上様直々に、品評会後、ここへ移されたとのことじゃ」

 川村さんが告げた。

それから、枯れるまで、わたしの菊は、吹上花壇に置かれた。













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