第35話 プロポーズ

文字数 2,314文字

 このところ、開国を求める異国船が頻繫に、

日本海沖に出現するようになり、

薩摩船による北国筋における抜荷が横行している。

そんな中、オランダ商館医のシーボルトたちの帰国船が、

嵐に巻き込まれて船舶事故を起こした。

そのとき、積み荷の中から、日本地図や葵の御紋付着物など

国外へ持ち出し禁止の品々が発見された。

それらの品々は、江戸参府の時に、シーボルトが、

幕府の天文方高橋景保をはじめとする要人、商人、絵師

などから受け取ったものであるとわかった。

その後、事件の関係者50余人が逮捕された。

驚くことに、逮捕された幕臣たちの中に、高坂さんの姿があった。

高坂さんと親しいと言うことから、

事件を担当する役人たちが、中野家にわたしを訪ねて来た。

「御禁制品に関して、見たり聞いたりしたことはないか? 」

 役人が神妙な面持ちで質問した。

さすがに、幕府の大物の養女とあって、

聞き取りを行う側も、失礼な態度を取れないのだろう。

もちろん、養父中野碩翁も聞き取りの場に同席していた。

「ございません」

 わたしが即答した。

「高坂殿とは、どのような間柄ですか? 」との質問に、

「当家の養女になる前に、家同士で親しくしていたと聞いておる」

 と養父がすかさず口を出した。

「さようでござるか」

 役人が緊張した様子で告げた。

「あの者が直接、関与したとは思えぬ。

上役のお供をしただけに過ぎぬであろう」

 養父が告げた。

「聞き取りは、これにて終わりでござる」

 役人が帳面を懐にしまうところ告げた。

「もし、よろしければ、このあと、食事でもいかがですか? 」

 養母が、役人たちを食事に招いた。

「お言葉に甘えさせていただきます」

 役人たちが告げた。

それから数日後。逮捕者たちが処罪された。

高坂さんは、「追い払い」の中で一番軽い「居払い」に処された。

牢屋を出た後の高坂さんの足取りがつかめなくなった。

人知れず、江戸を出たと思われる。

わたしはショックを受けて、1週間、部屋に引きこもった。

あまり、食事を取っていなかった為、3㎏瘦せた。

ようやく、立ち直りを見せた矢先、

春日さんから、花菖蒲を見に行こうと誘いを受けた。

江戸では、花菖蒲の栽培が人気を集めている。

葛飾堀切の花菖蒲園が、人気の名所となっている。

葛飾堀切の菖蒲園は連日、見物客でごった返している。

園前には、長蛇の列ができていた。

園の中に入るまで、長時間、待たなくてはならない。

心労から体調が優れなかったわたしに気を遣い、

春日さんが、別の場所に行くことを提案してくれた。

「ここは、旗本のお屋敷ではありませんか? 」

 連れて来られたのが、旗本のお屋敷だったことから、

思わず、疑問詞が口から飛び出した。

「この屋敷の主は、松平定朝様と言って、

書院番、中奥番、西ノ丸目付、京の禁裏附を歴任なされたお方。

最近、職を辞して、江戸に戻られたわけなんです」

 春日さんが、屋敷の主を紹介した。

「おまえさん方、左金吾様の屋敷見物は初めてですか? 」

 近くにいた初老の武士が声をかけて来た。

「さようです。左金吾様というのは? 」

 わたしが質問した。

「左金吾様というのは愛称ですよ。無類の花好きで、

近年は、花菖蒲の改良に精を出されている。

江戸に戻られて以来、開花にあわせて、お庭を公開なさっています」

 その初老の武士が答えた。

「それで、門前に、黒山の人だかりができていると言うわけですね」

 わたしがそう言うと、大きくうなづいた。

「門前で市が開かれています」

 春日さんが告げた。

市では、夏花の植木鉢が売られていた。

お庭に、一歩足をふみ入れた途端、

池の周りに満開となった花菖蒲の群生が、視界に飛び込んで来た。

「うわあ。見事な咲きっぷり! 」

 わたしが思わず歓声を上げた。

「今が見ごろですから」

 春日さんが穏やかに微笑むと言った。

「ここに連れて来てくださり、ありがとうございます」

 わたしがお礼を言った。

「そなたが喜んでくれてうれしいです」

 春日さんが言った。

お庭を一周した後、わたしたちは、偶然、縁側におられた

左金吾様に向かって会釈した。

「その方、少し、待たれよ」

 左金吾様が、わたしたちを呼び止めると奥へ引っ込んだ。

すぐに、縁側に、植木鉢を抱え持ち舞い戻った。

「そなた。もしや、大奥で行われた菊の品評会で、

金賞を取った女中でござるか? 」

 左金吾様が、わたしに聞いてくださった。

「さようでございます」

 わたしが答えた。

「やはり、そうでござったか。この植木鉢を持って行くが良い」

 左金吾様が、わたしにその植木鉢を手渡した。

その植木鉢には、見たことがない色の花菖蒲が植えてある。

「さすがは、菖扇と称されたお方。

そのような美しい花をお育てになるとは感動いたしました」

 春日さんがお世辞抜きで言った。

「おぬしこそ、只者ではなかろう。花にくわしいと見た」

 左金吾様が、春日さんに詰め寄った。

「吹上花壇役をしております」

 春日さんが告げた。

「さようか。それは良い。その花菖蒲は新種でござる。

その色を出すまで、10数年かかった」

 左金吾様が告げた。

「大切にいたします」

 わたしが告げた。

「るうさん。先に出てくれませんか? 」

 春日さんがそう言うと、左金吾様と立ち話を始めた。

わたしは先に出て、春日さんを待った。

それから数分後。春日さんが出てきた。

帰り道。突然、春日さんが無口になった。

「どうかなさったのですか? 」

 わたしは心配になり聞いた。

「るうさん。これから先も、

一緒にいてくださいますか? 」

「はい」

「これから先と言うのは、どちらかが死ぬまでです」

 春日さんが真顔で告げた。

「つまり、結婚すると言うわけですよね」

 わたしが念を押した。

「はい」

 春日さんがうなづいてみせた。






















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