第72話 奇岩

文字数 3,761文字

 あんたいくつだっけ? ああ、そうか。おれより五つ下か。

 じゃあ知らないかもなあ……ま、おれが小学生だった頃の話なんだけどさ。変な話っていったってこれくらいしかないんで。

 こりゃはっきり日時を憶えてるんだ。一学期の終業式の日。おれは小学三年生だった。

 朝、あすから夏休みだってウキウキしながら登校してる途中、岩を見つけたんだな……道のど真ん中に。

 しかもこれがけっこうでかい。直径一メートルくらい、高さは二メートルくらいか。

 指サック型の形状だったんだが、ところどころ出っ張りがあってゴツゴツしている。海から持ってきたんじゃないかって気がした。

 あんたもよく知ってるだろうが、田舎町だからな。さしあたって支障はない。

 ほら、戸出だよ。戸出、戸出。憶えてないか? 小学校のすぐ近くで、当時ちらほら家が建ち始めてたところ……うん。

 おれがこりゃなんだろうって撫でたり叩いたり、周囲をぐるぐる回ったりしている間、車は一台も通らなかった。

 先生方はほとんど車で出勤してたが、通るのはその道の一本浜側だ。通学路の……アレだ。アレアレ。そうそう、それ。メインストリート。

 学校のすぐ前に出る道だからな。そっちの方は当然、ランドセルしょって行くやつがいっぱいいたさ。

 だがおれのいる場所はまだ空地のが多い、絶賛宅地造成中ってとこだ。友達もだれも通りゃせん。

 庭石か……? 確かにその岩、おあつらむきではあった。

 でも、そんな建坪の広くとってある区画はなかったし、おれはそれからもずっとそこを通ってたからなあ。そんな立派な庭があるうちなんて、できちゃいない。こりゃ確実だ。

 なにかの手違いで、業者が置き忘れたんだろうか?

 そうだとしたら、わざわざ道の真ん中に置いたってことになる。うん、落としたんじゃないんだ。

 荷台からドンといったんだったらそれくらいの岩だ、アスファルトにヒビが入るはずだ。だが、道の方に異状は全くなかったんだ。

 じゃあ、手間ひまかけるのをいとわん愉快犯か? だが、こう考えるならもうお手上げだな。材料がなさすぎる。

 ……と、いまでこそこんなふうに、あれこれ考えるわけだが、そのときのおれは岩の上に登って、ぼうっと往来を眺めているだけだった。

 目の前の少し先を、登校中の児童が通りすぎてゆく。

 知っている顔がゆき、知らない顔がゆく。

 道端の草やなんかをひっこぬいたり、虫をつかまえているやつもいれば、どこから持ってきたんだか棒っきれを振り回しているやつもいる。

 終業式だからランドセルの中身は軽い。みんな、跳ねまわっているように見える。

 その児童の列を、ときどき先生の車が追いこしてゆく。毎朝のように脇を通ってゆくんだから、どの車も見慣れたものだ。

 こんな光景が目の前にありはしても、現実感がないというのか……おれが現にここにいる、岩の上に座っているって感覚があまりなかったんだ。

 ああ、なんともいえず心地よかった。なぜか、な。

 尻は多少痛いんだけれども、フワフワしたものの上で揺られているような感覚。でも、じっさいにはおれの身体は揺れていない。

 しばらくすると、そのフワフワしたものが徐々に下の方から、おれを包みこんでいるんじゃないかって気がしてきた。

 それがまた、なんともいえず気持ちがいい。寝る前の、うん、ああ意識がとぎれそうってときの感じ。アレがな、ずうーっと続いている。そんな感じ。

 そこへ、おれを見つけた友達がふたりきた。

 その頃、遊ぶってなると、なにするんでもいっしょだったやつらだ。ああ……はたから見りゃ、おれの様子はかなり変だったんだと思う。

だから心配してきたんだろう。岩の下まできて、

「おい、なにやってるんだ」

「具合悪いのか?」

「おーい、だいじょぶか」

「学校に遅れるぞ」

 ……こんなことをいう。ひとりは吉田屋。

 そうそう、金物屋の息子な。いまホームセンターなんてつくって、人つかってうまくやってるよ。まあ、その頃から情に厚いというか、面倒見がよかったんだな。

 吉田屋は下でおいおいと声をかけてくる。

 もうひとりは鉄道の息子で、こりゃ国鉄が民営化してJRになったときに、転校してったんだが……こいつは石をよじのぼって、頂上部に腹ばいになった体勢でおれの背中や太股を叩いてきた。

 おれの方はといえば、こいつらの声がくぐもって聞こえていた。

 テレビを見てたら、匿名の人間の音声を替えるってことがあるだろう? あんな感じ。

 鉄道がずいぶん力を入れて叩いているのは分かっていたんだが、バンバンやられてもかゆいような、くすぐられてるような感覚だった。

 要するに、おれはふつうの反応ができなかったんだ。

 岩を見つけた、それで登ってみたと、これだけのことがどうしても口にできない。

 いや、ンッ、ンッと、声は出てた。

 口をふさがれているような声だな。身体の方はうごかそうとしたとたんに、どうしようもなく億劫になる。ジッとしてたら、また気持ちよくなってくる。それで動けない。

 五分か、十分か……それくらいだろう。しばらくそうしているうち、チャイムが鳴った。

 学校のチャイム。予鈴ってやつだな。

 あと五分以内に着かなければ、遅刻になる。学校に向かう道の方を視線を移すと、だれもいなくなっていた。まるで急に消えてしまったようだった。

 チャイムが鳴り終わると同時に国鉄が地面に降り、それから火のついたように泣きだした。

 ああ、あれは本当にことばどおり……火がつくと同時にボウッと燃えあがったときのようだったな。

 ふだんならおれも吉田屋もなだめるんだが、おれはご覧のとおり。感情が鈍くなっていて、なんとも不吉そうな泣き声で嫌だなと思っただけだった。

 吉田屋はかたまっていた。小学生にはとうてい処理できない容易ならん事態に、どうしていいか分からなくなっていたんだろう。

 おれを置いて行けば見捨てることになるが、このままいれば遅刻してしまう。もう先生は通りかからないだろう。

 じゃあ、周囲の住宅内にだれか大人がいるだろうか。みんな仕事に出かけてるんじゃないのか。だれかこないか。できれば大人がいい……。そんなところだろうか。

 さっきの通学路の騒がしさが嘘のように、あたりは静まり返っている。音といえば、とんでもないことが起きていると訴えるには十分過ぎるくらいの、鉄道の泣き声だけだ。

 おれはやっぱり、泣き声が嫌だなと思っただけだった。べつに見捨てていいから早く学校に行けよとも思っていた。

 すると、本鈴が鳴りだして……鳴り終わった。

 ひときわ鉄道の泣き声が大きくなった。

 吉田屋が鉄道の腕を引っ張るようにして学校に向かっていった。いちどおれを振り返って、

「ごめんな、終わったらまたくるからな」

 おれは、おうといおうとした。

 でも声はあいかわらず……ンッ、ンッだった。ああ……こりゃなんだか情けなかった。

 それでな、ここから急に記憶が飛ぶんだ。おれはまる一日後に、そこで発見された。

 当然学校にも行かず、家にも帰らずさ。

 両親初め大人はみんなどこに行ってたって聞いてくるが、ここにいたって答えるか、分からないっていうしかない。

 ああ、これがさあ……岩なんてもんはなかった。なかったんだよ。ただ道路の上に倒れてただけ。

 それを車でたまたま通りかかった人が見つけたわけだ。もう少しでひくところだったってな。

 岩の上に登って、それから吉田屋と鉄道がきて……と話したんだが、信じてもらえんでなあ。

 吉田屋と鉄道にも事情聴取したらしくて、あとで聞いたらやっぱり岩の上におれがいたっていったんだけど、それでも口裏合わせてるんじゃないかって疑われたみたい。

 そうそう、確かにおれは岩の上に登ったんだし、吉田屋も鉄道もおれを……その岩を見てるんだ。

 ああ、岩がどこに行ったんか。そんなの分かりゃしない。

 おれは二日入院させられて、なんともないってことで家に帰った。

 オヤジもオフクロもべつに監視してどうこうってわけじゃなかったんだがな、吉田屋も鉄道もしばらくのあいだ、なんとなくおれを避けるというか、あまり近づかないようにしてるというか。

 また変な目にあったらどうしようって思ったんだろうな。

 鉄道は前にもいったように中学入ってから転校して旭川に行っちまって、その後まもなくして、音信が途絶えた。だからいまなにをしてるのか知らん。

 吉田屋とは何度か話した。あそこに絶対岩があったよなって。

 そのたびに、吉田屋はいう。

「うん、本当にあった。あれはなんだったんだろうな」ってな。

 だいたい一日ほどの間、おれがどうしてたのかは全く分からん。

 いわゆる神隠しだっていうんで調べてみたこともあるんだが、似たような話はないみたいなんだ。

 もしだれか似たような体験をしてたり、そういう話を知ってる人がいたら、教えてくれ。

 絶対だぞ。
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